2010年4月29日木曜日

昇り窯


明治28年製の現存最古の昇り窯。これをリーチも見たに違いない。その後ろには、まだ桜が咲いていた。

丹波立杭

丹波焼の里に行って来た。ちょうどバーナード・リーチの本を読んだので、感慨深し。このような実にのどかなところ。

2010年4月24日土曜日

Angus

花々が咲き乱れる春になると亡くなった Angus Lindsay を思い出す。彼が亡くなった Oxford はちょうどその時、様々な花が咲き誇っていて、この哀しみの感情に対して花々は余りに美しいと思ったのだった。彼の家(彼の弟の家だが)の庭にきれいな桜の樹があったのを覚えている。そして、彼の死をパリまで伝えてくれた米田佳代子さんの小さな声も(彼女も今は亡き人である)。

2010年4月23日金曜日

柳宗悦

情報メディア学科の大学院の授業で、柳宗悦の著書を読む。『民藝とは何か』、『手仕事の日本』。なかなか面白い。今はバーナード・リーチの『日本絵日記』を読んでいる。

2010年4月22日木曜日

Les jeunes

電車が事故で動いていなくて、同志社前駅でぎゅうぎゅうに学生達に挟まれての愚痴。どうして彼らはこうも落ち着きがなく、騒がしく、また軽薄なのだろう。しかし、最近ではウィーンで同じような一団に出会った。オーストリア人だろう。フランスに住んでた頃は、多くのフランスの若者も同じだった。ようは、歳が若いたあそういうこった!ランボーによれば Quand on a dix-sept ans, on n'est pas sérieux. まさしく!

2010年4月18日日曜日

セヴラックの生誕年

一時期セヴラックの生誕の年が、1873年であるという間違いが横行していたことがあったらしい。それを決定的に払拭したのがエレーヌ・ブロディの博士論文に引用されている「出生証明書」で、そこにははっきりと1872年と書かれてある。73年説の初出は管見では、ブランシュ・セルヴァによる伝記で、これは彼女がセヴラックへの恋心から、相手の年をそれほど離れていないように「無意識に、わざと」間違えたかも知れないのである。

Revue d'Esthétique

Anne Cauquelin さんの編集のものは、Nouvelle Revue d'Esthétique というようだ。校正刷りがメール添付 pdf 書類で送られて来た。以前は、郵便でやり取りしていたのだから、隔日の感ありである。

2010年4月14日水曜日

ショーソン

ショーソンの歌曲でヒュポドリア旋法を探すこと。ジャンケレヴィッチ参照。

2010年4月12日月曜日

Vidal de la Blache

岩波文庫では、ブラーシュ『人文地理学原理』となっている。この上下二巻揃いを今はなき芦屋の古本屋で手に入れておいたが、最近読んでいる。「河根」という「Ex Libris」が表紙裏に貼られており、多くの書き込み、線引きが鉛筆で為されている。この前所有者の「河根」さんは、いろいろな所を旅行したらしく、アフリカ「南阿、リチャードベイ附近を飛んだ」とかオーストラリア「パースからバンバリーを車で走り」とか、書き込まれている。どのような人だったのだろうか。

2010年4月11日日曜日

Pavot ?

芦屋山幹歩道脇の植栽。これはケシ?ですよね?植栽のメインはツツジなので、わざわざ植えたとも考えにくい。自然発生でしょうか?東京にはこのような風景はありませんが、フランスの田舎には普通に見られます。

2010年4月10日土曜日

ラヴェルとバルトーク

ラヴェルとバルトークが出会ったのはどこか?どうもパリで1922年のことではあるらしいのだが、「ある晩餐会兼演奏会」というのはどこか、というのである。伊東信宏さんはアンリ・プリュニエール邸という説だが、フランソワ・ポルシルはジャンヌ・デュボスト邸だと言う。

2010年4月8日木曜日

ベルリオーズとプーランク

これも先日のゴーサン氏との会食の時のこと。彼の言葉が印象的だったので、書き記しておく。
京都音楽アカデミーの最終日は、教師たちによる演奏会で、そこではベルリオーズ、サン=サーンス、プーランクなどが演奏された。彼が他の教師たちとその後、交わした会話について語ったのだが、未だにベルリオーズが「まともな音楽が書けなかった作曲家」として軽んじている者がいて驚いたと言う。ゴーサン氏にとってはベルリオーズは「偉大な作曲家」なのだった。そして、プーランクを絶賛するその音楽家に対して彼はこう言ったという。「確かにプーランクは『良い』作曲家でしょう。うまく書いています。ただ、それだけです。プーランクの音楽は私を動かしません。快いが、それだけ。対してベルリオーズの音楽は私を感動させます」。

2010年4月7日水曜日

Mompou2

この音楽は4つの部分から出来ていて、
(1)ホ短調
(2)嬰ヘ短調
(3)ホ短調
(4)ホ短調
となっている。(2)と(3)の部分が問題の箇所であるが、よく考えてみると、それぞれはきちんとII7 - V7 - I となっている。ただし、II7 は第1転回形なので、(2)の場合はバスが、昨日述べたように、ロ音になっている。なので、(1)の終わりの和音である「h - dis - fis」の長和音から、短和音の六の和音「h - d - fis -gis」になったような気がする(気がするのではなくて、実際にそうである)。この長調から短調への「落差」(半音落ちる)が問題なのだろう。
そして(2)から(3)への移行も、「fis - a - cis」から「fis - a - c - e」(これも第1転回形でバスがイ音)なので、ここにも半音の「落差」(嬰ハから本位ハ)がある。
これが「ハッと」させるのである。

2010年4月6日火曜日

Mompou

モンポウの和音について。《魂の歌 Cantar del alma》の伴奏部分を見て欲しい。最初はごく普通にホ短調で推移しているが、属和音上でいったん楽節が終わった後、メロディーはホ短調で予想される嬰ニではなく、本位ニに行く。次がバスと共に全てが全音上がるのだが、本位ニの位置は一音半上がって、今度は嬰ヘ短調の属和音になる(嬰ホ)。(ただし、メロディーそのものは、本位ホ、嬰ハ、ロと続く。)同じような進行がその後もう一度続いて、最初のホ短調に戻るだが、要はこの辺りの「はぐらかし」である!


2010年4月2日金曜日

ゴーサン氏

ゴーサン氏と大阪で食事。彼の父親は兵士でフランスで捕虜になったりイギリスにいたりしたらしい。彼はノルマンディーで生まれ、母親と二人(兄弟が二人。しかし一人は夭逝)でフランスをあちこちし、トゥーロンに落ち着く。戦後はパリ郊外にいたが、父親は音楽の道に進むのに反対。家出をし、20代でエコールノルマル、後にパリ音楽院。しかしピアノなどは晩学もいいところだったようだ。娘が二人。37歳と35歳。下のは最近離婚。子供が二人いて大変らしい。大学で仕事のために学位を取ろうとしている。

2010年4月1日木曜日

アイガー

『アイガー北壁』を見た。ドイツの田舎町はやはり、ヴィーンと似たような感じがする。言葉の問題が大きく作用しているかも知れない。何となく懐かしい感じもする。セヴラック伝の中で、彼の反独感情を扱ったので、少々不思議な気分だ。しかし彼自身も言っているように、遠く離れて見ると、諍いごとなど馬鹿馬鹿しく思えてくるものだ。