2011年7月31日日曜日

大漁

たくさんのトマトが採れました。これも猛暑のおかげ?

2011年7月28日木曜日

CD表紙

CDの表紙がどこにもないので、ここにアップします。

『セヴラック 歌曲とフランスの古いシャンソン/奈良ゆみ(ソプラノ)椎名亮輔(ピアノ)』(コジマ録音、ALCD-7158)

ヒグラシ3

イメージとしてヒグラシは晩夏、もうそろそろあの暑かった夏も終わり、という頃に鳴くように思っていた。最初の思い出は夏休みも終わり頃の黒磯の林の中、夕方である。

2011年7月27日水曜日

ヒグラシ2

芦屋では聞かないと書いたばかりで、さっき夕方に家の横の公園の樹に大きな声でカナカナと聞こえました。あれま。異常気象?

ヒグラシ

昨日大学から帰る時に、カナカナと聞こえてきた。ヒグラシを聴くのは久しぶりである。しかし芦屋方面では聞かないなあ。京田辺の、それも竹林の中(国際中高の下あたり)から聞こえてきた。

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CD現物が昨日やっと手に入る。東京ではすでに配達されていたことは小沼純一さんからの突然の連絡で知った。そして同時に大学紀要に載せた論文も出来上がって来た。タイムリー!
PS:しかし、このタイトルは?!携帯からおくったらこうなった!

2011年7月26日火曜日

人身事故

塚本駅での人身事故で、JR神戸線が止まっているというので、北新地で降りて、阪急電車に乗ることにした。途中、タワーレコードに寄る。前回に買いそびれたアール・ブラウンのシリーズ3巻ほかを買うため。阪急電車の振替は問題なかったが、夙川で降りて、新しく出来た山幹を通るバスに乗ろうと思ったが、バス停がない!結局、家まで歩く破目に!

2011年7月25日月曜日

Pensar

Pensar demasiado de los otros es mucho malo; ten cuidado, ten cuidado...

2011年7月24日日曜日

打出天神社夏祭り

打出神社の夏祭りに行ってきた。途中の踏切は最近新しくなってしまって昔の「打出村踏切」の表示がなくなってしまったと思っていたら、まだありました。
さて、二号線を越えて神社に近付くと景気のよい太鼓の音が。

だんじりが出ていました。引回しの時と同様に屋根にも人が乗って威勢のよい掛け声をかけています。

その手前ではうちわをくばっていました。こんなの。
神社の中はなかなかに盛況な夜店が出ておりました。いい感じですな。

2011年7月23日土曜日

M・エックハルト『神の慰めの書』

M・エックハルト『神の慰めの書』(相原信作訳、講談社学術文庫)読了。岩波文庫の説教と重なる部分多し。しかし、相原氏の訳は重厚で、時に時代がかってはいるが、熱がこもっており、味わいがある。「神と取引をする者たち」の話はここにも出ていた。そして、もう一つ心に残ったもの。「神の慰めは純粋であって、何の欠陥もなく完璧であり完全である。実に彼にとってはお前に向かって与え恵むことは必然のことであり、彼は待ちきれないで自分から先回りをして自分自身をお前に与えずにはいられないのである」。私はどんなに小さなものでも喜びを感じるところ、そのようなあらゆるところに「神」と出会う。彼の、彼女の、あれの、これの、本当の姿は実は「神」であった。これがスピノザの言う「神」ではないだろうか?

Luc Ferrari

Luc Ferrari 関連書籍二冊読了。Portraits polychromes no.1 "Luc Ferrari", INA, 2001, Nouvelle édition augmentée 2007, そしてもう一つは、Sonopsys (Cahiers musique concrète / acousmatique) no.4 "Hommage à Luc Ferrari", Licences, Paris, 2007. 特に後者は、Alexandre Yterce という人がやっている個人雑誌らしいのだが、付録CDが付くやら、凝った装丁やら、写真や折り込みも豊富というなんだかすごい得体の知れないもの。限定500部だそうだ。どちらもブリュンヒルドからもらっていて、今まできちんと熟読はしていなかったもの。面白い発見多数。《引き裂かれた交響曲》に言葉が付いているというのもその一つ。また、アクースマティック関係者多数参加の座談会では、フランソワ・ベールが興味深い発言を(やや思い込みの発言も多く、ブリュンヒルド ― 彼女も参加していた ― 他によって修正されたりしている)。それは、ピエール・シェフェールの Traité des objets musicaux に関するもの。この超体系的な書物とフェラーリとの関係である。

2011年7月22日金曜日

アルテス・パブリッシング

アルテス・パブリッシングのHPに拙著『デオダ・ド・セヴラック』の近刊予告が。以下のサイトを御覧あれ。
http://www.artespublishing.com/
乞御期待。

2011年7月21日木曜日

Luc Ferrari, Collection de petites pièces

Luc Ferrari, Collection de petites pièces ou 36 enfilades pour piano et magnétophone (1986) を聴き直す。やはり傑作である。一度聴いたら耳を離れないこのテーマ!なぜ聴き直したのかと言えば、ブリュンヒルドがメールに「comment pourrais-je comprendre ?(どうやって解れって言うの?)」と書き、これはリュックだ、とあったから。恥ずかしいことに彼女に「これはなに?」と訊いたのでした。フェラーリのこの作品の中で女性がこう語るのである。

ザビエル

神戸市美術館のエントランスホールに有名な肖像があった。彼の名前は日本ではフランシスコ・ザビエルと言い慣わされているが、フランス語ではフランソワ・グザヴィエ、まさにその名のメトロ駅がある(その名の教会がそばにある)。しかしスペイン語ではフランシスコ・ハビエルで 愛称はハビとなるらしい。ハビ君!(笑)

2011年7月20日水曜日

Le cantique spirituel

Saint Jean de la Croix, Le cantique spirituel (trad. du Père Grégoire de Saint Joseph, Seuil, coll. point, 1947, 1995) 読了。例の箇所は、

XIV (XV)
Comme la nuit tranquille
Lorsque commence le lever de l'aurore,
Comme la musique silencieuse,
Comme la solitude harmonieuse,
Comme le festin qui charme et remplit d'amour.

2011年7月19日火曜日

神の慰めの書

エックハルト『神の慰めの書』(相原信作訳、講談社学術文庫)。エックハルトをミスティックなどと誰が言った。なんと彼の現実的なことよ。我々が不幸を嘆くにあたらないことを、卓抜な比喩で語る(140頁)。ある人が私に上着とチョッキとマントを貸してくれていて、寒くなったのでマントを返してもらうが、チョッキと上着はまだ貸していてくれる。これはありがたいことではないか。我々が幸福を(少々)失ったからと言って、不平を言うにはあたらないのである。
それから、彫刻家は岩や木を削るのではなく、その中から彫像を「掘り出す」という比喩があったが、これは漱石が『夢十夜』で語っているのと全く同じ。エックハルト→漱石はどのように繋がっているのか?

2011年7月17日日曜日

神戸市立博物館

神戸市立博物館に行く。山本二三展と黄檗宗の画家たち展を見る。山本展はものすごい人で、ほとんどまともに見れなかった。まあ美しい風景画であり、これがアニメの背景というのが実に日本のアニメの底力を見せている。でも、黄檗宗の画家たちはよかった。特に河村若芝は圧巻。素晴らしい!
その後に三宮まで歩くと、旧居留地の石柱(元の西洋商館の門柱だったらしい)が。
68番地である。
そしてセンター街の中には、この酷暑に処そうと氷の置物があった。ちょっと涼しくなったかな。


Much ado

Much ado about nothing...
Ça c'est l'histoire du "livre de la mine" (c-à-d....  facebook, ah ha!).

2011年7月16日土曜日

L'emploi du temps de l'été

Ça se précise... très lentement, mais tous les ans, c'est comme ça, jusqu'à la fin, je ne suis pas du tout tranquille...mmmmm

2011年7月13日水曜日

何か意味が

何か意味があるんだろうか、人々のやることに、と思ったりもした。しかし、漫画を読んだり、ゲームをしたり、電車の中では様々な人間模様が繰り広げられていて、自分としてはそれらが「時間のむだ」と思っていたのだけれども、よく考えれば十字架の聖ヨハネをフランス語で読んでいるのも、単なる「時間のむだ」なのかも知れない。坂口安吾も言っているように、人生は大いなる暇つぶし、なのかも。そうこうしているうちに、時間は今も過ぎていく……。

蝉の声2

今朝は北風が吹いて案外涼しい。しかし、そんな中ここ翠ヶ丘でも今年初の蝉の鳴き声が。

2011年7月12日火曜日

近世畸人伝

伴蒿蹊『近世畸人伝』(岩波文庫)再読了。まあ奇人変人はいるもんだな。一日中、穴の中で読書をしているなど、なんとうらやましい。彼らがまさに生き生きと活写されている。あたかもすぐ隣にいるような。

2011年7月9日土曜日

ジャクリーヌの映画

ジャクリーヌ・コーの映画を神戸で上映する企画について、木曜日の下田さんの音楽マネージメント論で少々試写会を行い、その後石上和也君、また小島剛さんと相談。小島さんとは、初対面。しかし、彼はフェラーリが大阪で演奏をした時のお世話役だったはず。その前日には檜垣君とも相談。みんなが力を合わせてくれているのが、大変嬉しい。

Carmen Bravo

モンポウの奥さんのカルメン・ブラボ Carmen Bravo のインタビューも見つけた!またまたYoutube の快挙である。しかし全編スペイン語。ああ、la langue espagnole、el idioma español !!大体わかるけど……。全部わかりたいっ!

蝉の声

昨日、芦屋駅前で今年初めての蝉の鳴き声を聞いた。(追伸:しかし、その後またぴたりと止んでしまった。)

2011年7月8日金曜日

マイスター・エックハルト

『説教集』(田島照久編訳、岩波文庫)読了。「私は悲しみのあまり死ぬほどである」(マタイ26・38)。ちょうど授業の《マタイ受難曲》で聴いたばかりだったので、衝撃。イエスの場合もそうだが、「外の自己」を離脱せよ。まさしく!ペソアも違うことは言っていない。「商人」となってはならない。ボエティウス『哲学のなぐさめ』でも「商人的」だ。心の自由と平安を!

2011年7月7日木曜日

夜来香とスモークツリー

家の夜来香がまた咲き出した。とてもよい香り。そしてまた、同女の入り口階段下でスモークツリーを見かけた。同じ樹の大きなのを芦屋のフランス料理屋(名前が「Elle de ange」と何語だか意味不明なレストランだが、結婚式などの会場にもなっているようで、けっこう繁盛している)の庭でも見たばかり。

2011年7月5日火曜日

Sauver (salvar) Mompou !

Il faut sauver notre Mompou des mains pestilentielles de Y.T, et surtout de R.S. (oh ! quelle malchance ! c'est nos initiales aussi !! :) :)

Hay que salvar nuestro Mompou de las manos pestíferas de Y.T. y especialmente de R.S. ...
(スペイン語はあやしいです。微苦笑)

(PS:ところで、熊本マリ=「ピアノ界の杉田かおる」?)

トマト収穫

いよいよ収穫です。子供たちと一緒にとりました。どんどん赤く色づいてきます。
こんな感じ。つやつやです。ちなみにお皿は例の Villefranche de Lauragais のやつ。

2011年7月4日月曜日

シグナルとシグナレス

大学院時代、宮沢賢治『シグナルとシグナレス』をドビュッシーの《抒情的散文》と比較したレポートを芳賀徹先生のクラスに提出したことを思い出した。国分寺駅近辺の雪の降る夕方の美しさは……(季節外れですね)。ポイント凍結を防ぐ為に線路の下のそこここにランタンが置かれ、それがシグナルの赤や青と、雪模様の中、濃くなっていく暗闇の中で調和しているのです。Imaginez un peu, svp...

ここも

ここも

国分寺駅

ぼくの夢は、いつもここ、もう今はないここに戻ってくる。

2011年7月2日土曜日

堀田正信

堀田正信について佐倉から飯田へ移った家臣の名前がわかればよいのだが、と思っていろいろとネットで探してみると、以下のような記述が目に留まる。以下引用。
「正信は城の近くの守谷というところに蟄居したと言われているが、そこは脇坂氏時代の飯田城の絵図に見える「上野介様御座所」であると思はれている。
ここでどのような生活をしていたのかは記録もなく良くわからない。市の中心地の江戸町にある正永寺には正信の子の墓と言われる2基の五輪塔があると云われるが、飯田での正信は4・5人の子供を為したらしく、また数人の家臣が随行していたと言われるからそれなりの生活が為されていたのであろう。」
筆者は恐らく相当な年齢の人物であろう(「思はれている」)。かなりの博識である。しかし、「子供を為す」は「成す」(あるいは生す)の間違いだね。ともあれ、こうして堀田正信に「数人の家臣」が随いていたらしい証言が出てきた。
PS:今少々気になって広辞苑を調べたら、「なす」は「生・成・為」のどれも同じように書いてあった。そうか?

椎名家

猿丸家のことを調べていて、椎名家はどうなのだろうか、と思った。父親から聞いているのは、もともとは千葉の方の下級武士の家系であり、佐倉宗吾の乱(1653)で、仕えていた殿様である堀田氏が改易となって、飯田に移った時に一緒に随いていったのだという話であった。しかし、ウィキなどで調べてみると、確かに佐倉宗吾の事件後、さまざまな奇行によって(磔刑に処せられた佐倉宗吾のたたりという)、堀田正信(1631〜1680)は飯田に蟄居を命じられるが、それは改易のためではなく、飯田藩主であった弟の脇坂安政(1633〜1694)のところに「お預かり」になったのだった。そのような殿様に随いていったということがあるだろうか。謎である。
ところでこうしていろいろ調べていたら、その後その弟の脇坂安政は1672年に播磨龍野藩に転封になっている。そして龍野の発展におおいに寄与したらしい(特産醤油とか)。ぼくが今住んでいるところからそれほど遠くないのは、少々因縁を感じるね。

猿丸家の墓

芦屋川駅のそばの橋から開森橋方面をのぞむ。

川の中はぎっしりと草で覆われている。左端の方に川が流れているが、ここからは見えない。
東の方に下りて行くと、バス通りと阪急線が交差する辺りに墓地がある。前から気になっていたが、入り口のところを見ると「猿丸家の墓」、「摂津名所図絵うんぬん」の石碑に気が付いた。

これはもしかしたら百人一首の猿丸大夫の墓なのか?ということで、中を覗いてみると、何と「猿丸家の墓」という名の墓石だらけである。
あとで調べてみたところによると、猿丸家というのは江戸時代以来の芦屋近辺の名望家であるらしい(第4代芦屋市長など)。それが、自分の先祖として百人一首の猿丸大夫も同時に祀っているようだ。中に猿丸大夫の墓とされるものも存在すると。しかし、一般人は中には入れないので、こうやって外から覗いた限りでそれは確認できなかった。

トマトの実3

ベランダのトマトが色づいてきました!

2011年7月1日金曜日

エックハルト

トマス・ア・ケンピスを読んでいて、「キリストにならって」いろいろと苦難に耐え、身をつつましく維持しなければならない、その方が神によって良しとされるからだ、という論理がちょっと気になった。こういう考えに対して、エックハルトははっきりと「それは商人である」と言い切って、否定している。自分の苦難と神から与えられる幸せを「取り引き」しているのだ、と。しかし、トマスの方が100年くらい後の時代の人なのだが……。エックハルトは死後すぐに「異端」として断罪された、というが、こうして彼の影響は無くなってしまったのだろう。残念だ。絶対、トマスよりエックハルトの方が正しいと思う。ニーチェはエックハルトを知っていたのだろうか?

雨2

雨期のラーガというのがある。ラーガ・ガイド(Joep Bor, The Raga Guide, A survey of 74 hindustani Ragas, Nimbus, 1999)を買ったので探してみよう。

久しぶりの雨。ペソアには雨を歌った印象的な詩が多い。リスボンは雨が多いのだろうか?大西洋岸気候?そういえばシェルブールの雨傘というのもあったな。