2023年7月24日月曜日

『上海フランス租界への招待』「伝説のピアニスト上海失踪の謎」後日譚

  榎本泰子・森本頼子・藤野志織編『上海フランス租界への招待 ― 日仏中三か国の文化交流』(勉誠出版、2023年)に寄稿した「伝説のピアニスト上海失踪の謎」において、わたしは、フランスのピアニスト、ユーラ・ギュレールが上海における1931527日の「告別リサイタル」以後、杳として行方知れずとなり、8年後の19396月にパリで再発見される、ということを書いた。彼女については、その上海行以前から、「時に気を失ったり」、「精神的に不安定で脆」かったなど、順調なコンサートピアニストとしてのキャリアを危ういものとするような評判が多かった。そして1939年以後の第二次世界大戦中も、彼女の足跡は謎に包まれており(ユダヤ人であったことも関係するだろうが)、その後の正式なカムバックは1959年代も終わりになってからである。

 わたしは彼女の上海時代の失踪を、8年間にわたるものと仮定して、その前後に彼女をめぐるラブアフェア物語をからめることで、少々ロマンティックに解釈して拙稿を書き上げたのだが、その後、たまたま彼女のその時代の足跡を発見したのである。

 わたしは拙稿において、ギュレールが1931年の上海公演のあと、アメリカに渡るのだという新聞記事に言及していた。もしも彼女がそのとき上海にとどまっていなかったのなら、アメリカに行ったと考えるのが妥当だろう。拙稿にも書いたが、アメリカの当時のあらゆる新聞雑誌を探せば、もしかしたら彼女の足跡が見つかるかもしれないが、なかなか現時点でそれは困難である。しかし、である。現在はインターネットという非常に便利な情報ツールがある。ネット上ですべての情報が見つかるわけではないが、とても幅広い情報が手に入るし、さらには思いもかけないものまでが引っかかってくることがある。今回の発見がそれに当たる。

 わたしはギュレールの名前、1930年代という時代、そしてアメリカなどの検索条件をさまざまに組み合わせながら、探索を続けた。そこで見つけたのが、1936年にドイツからアメリカに旅行をした、ドイツの自動車技術者・発明家、フェルディナンド・ポルシェの情報である。どうやらアメリカのポルシェの宣伝サイト(https://www.stuttcars.com/ferdinand-porsche/)のようだが、そこにフェルディナンド・ポルシェの詳しい伝記のページがあり、彼の一生が年代を追って非常に詳しく解説されている。その1936年の項に、彼がドイツからアメリカに渡る際に載った客船、ブレーメン号の乗客名簿の一部が紹介されており、その名簿のなかにギュレールの名前があったのである。ドイツの豪華客船ブレーメン号は、1929年から北ドイツの港、ブレーマーハーフェンとニューヨークのあいだを結んでいたが、大西洋を横断する前にドイツからフランスのシェルブールに寄港していたらしい。彼女の名前はシェルブールからニューヨークへの船客名簿のなかにあった。

 航海は正確には193610月3日から、当時高速を誇ったブレーメン号は4日で大西洋を横断したというから、107日にはニューヨークに着いたはずだ。この名簿を見ると、ほとんど戸籍のようなもので、今まで謎だった彼女の情報がよくわかる。彼女は当時33歳であり独身、職業はアーティスト、出生地はルーマニアのブラティアという町(村?)であり、国籍はフランス、民族もフランス人となっている。住所はマルセイユであったようだ。

 以上のような情報から、推測されることは、彼女は1931年の上海公演以後、アメリカに行ったかどうかはわからないが、少なくとも1936年までにはフランスに帰国しており、それも南仏マルセイユに住んでいたということだ。拙稿では1939年のパリ出没以後、彼女はその1年後のナチスドイツのパリ侵攻を逃れて南仏に避難し、マルセイユのパストレ伯爵夫人に匿われたと述べた。だが、実はそれ以前から彼女はマルセイユに住んでいたのである。また、しかし、よく考えてみると、彼女の実家はマルセイユにあったはずだ。学生時代こそ、パリ音楽院で学ぶためにパリに住んでいたが、もともとは彼女の出身地は(ルーマニアで生まれたあと)マルセイユなのである。つまり、整理すると、ギュレールは19315月に最後の上海公演を行ったのち、上海にとどまったのか、アメリカに行ったのか、おそらく1935年ころまでに出身地の南仏マルセイユに戻り(おそらく血縁の誰かがいたのではなかろうか)、そこで生活をしていた。1936年に、おそらくまたアメリカ公演の話があり、マルセイユからパリ、パリからシェルブールへと移動し(マルセイユからシェルブールへの直通の列車はない)、そこで10月にドイツからやってきた豪華客船ブレーメン号に乗り込んだのである(この時点では、まだ彼女は財政的にも非常に余裕があったということになる)。当時はすでにヒトラーは政権を取っていたはずだが、まだドイツとフランスとのあいだは平常時の関係であったのだろう。数年後に彼女を迫害する側の船に、それもナチス・ドイツの自動車を製造するポルシェと同道して旅行するなど、今から思えば大変に皮肉な巡り合わせである。彼女がいつ、またフランスに帰国したのかはわからない。その3年後には、彼女の姿はパリにあるのである。

 さてこうして、拙稿で仄めかされた伝説のピアニストの8年間にわたる上海逃避行は、一枚の乗船名簿により、あえなくもその可能性が消滅してしまったのであった。しかし、こうして考えてみると、やはり、もともと伝説にまとわれたユーラ・ギュレールの行跡は、その行方が「魔都上海」において消えた、とされることにより、なおいっそうの輝きを放っていたとも言えるだろう。本当の彼女の行動は探そうと思えば、たぶんだれでも ― 当時であれば今よりもより簡単に ― 見つけることができただろう。もちろん、戦争というものがそれを困難にしたこともあるかもしれないが、それをだれもしなかったのである。「上海」の神秘をだれもが信じていた、信じたかった、とも言えるのではないだろうか。

 

 

問題の乗客名簿



2023年7月5日水曜日

ギヨー先生の手紙の翻訳

 前の投稿のギヨー先生からの手紙をざっと翻訳してみました。

親愛なる友よ、

 何ヶ月かの道行を経て、あなたのディスクはやっと目的地まで到達しました。まことにありがとうございます。そしてお二人の演奏家を讃えたいと思います。お二人は、かつて素晴らしくセヴラックの歌曲の演奏で協働なさったのですが、この新しいCDによって、ことに独創的なプログラム、叡智のプログラム、禁欲主義のプログラム、もっと言えば神秘主義的なプログラムを提示しているのです。これは、その要求により、少なくとも鋭角的な耳と精神に訴えかけるものです。あなた方の共演は完璧に聴衆を「ひきつける」ことに成功しています。そのことは、この録音の成果がこれから大きな成功を勝ち得ることを約束しているのです。

 もういちど、私から熱い祝福の念をお送りいたします。

 あなたへのよき友情を

  ピエール・ギヨー

2023年7月4日火曜日

ギヨー先生から『永訣の白い響』CDの感想

 セヴラック研究の権威、もとソルボンヌ大学教授のピエール・ギヨー先生にCD『永訣の白い響』の送ったらその礼状が届いた。とても褒めてくださったので嬉しい限りである。あまりに嬉しいので以下にそれを書き写したものを載せます。

Cher ami,

              Après plusieurs mois d’itinérance votre disque est enfin arrivé à destination. Je vous en remercie très vivement et tiens à féliciter les deux interprètes qui avaient déjà collaboré avec mélodies déodatiennes avec bonheur et qui proposent avec ce nouveau CD un programme particulièrement original, programme de sagesse, d’ascétisme, voire de mysticisme, qui s’adresse, par son exigence, à des oreilles et un esprit pour le moins aiguisés. Votre commune interprétation parvient parfaitement à « accrocher » l’auditeur, ce qui promet une belle réussite à cette réalisation discographique.

              Encore une fois toutes mes chaleureuses félicitations.

              Bien amicalement à vous.

                                          Pierre Guillot




2023年5月22日月曜日

『永訣の白い響』一友人の感想

 大学時代からの友人がCD『永訣の白い響』の感想を送ってくれた。ヴァイオリン奏者でもあり、音楽を深く聴き込んできた彼の言葉は、わたしたちの表現をとてもよく理解してくれていて、ありがたい。彼から発表の許可をいただいたので、以下にそれを掲載する。

椎名亮輔様 大変ご無沙汰しております。 過日、CD「永訣の白い響」をお送りいただきまして、誠にありがとうございました。まずは、素晴らしい作品の完成、おめでとうございます。そして、相変わらずの素晴らしいピアノに感動しました。 繰り返し繰り返し何度も拝聴してからお礼と感想をお伝えしようと思ったので、随分と時間がかかってしまいました。申し訳ございません。

サティの作品はあまり知られていなものばかりでしたが、「ソクラテスの肖像」の冒頭の厳格なリズムには圧倒されました。5月のゴ-ルデンウイークにバロック・チェロの第一人者である鈴木秀美先生の指揮でベートーヴェンの交響曲第3番「エロイカ」を演奏する機会があったのですが、秀美先生曰く「葬送行進曲は、リズムが厳格に無慈悲に演奏されてこそ深い悲しみが表現できる」とのことでした。CDの解説文中の「冷たく、白く透き通った、淡々として語りしかない」と響き合うものがありました。また高校時代に「饗宴」を読んだことも思い出しました。

モンポウの作品に移ると、サティの厳格なリズムから一転色彩豊かな和声の響きが耳に届きますが、そこは深い悲しみや寂寥感が漂う不思議な世界でした。モーツァルトの作品は長調の部分にこそ深い悲しみが潜んでいると言われますが、モンポウの作品も豊かな色彩に彩られているが故に、白い百合のためいきが感動を生むのかもしれません。「きみのうえに花々だけが」の序奏と間奏のピアノは、このCDの白眉でした。こんなに美しいにもかかわらず、胸を締めつけられるような悲しみと追憶の深淵。何度も繰り返して聴きました。

シューマンは、音楽が形(旋律や和声)になる直前の瞬間の音楽を作品に表現した天才だと私は思っているのですが、今回演奏されている作品群も、そういった彼の稀有の才能が感じられました。始めて耳にする作品ばかりでした。

CDの演奏を通して、和声や音色の変化が変幻自在にピアノで表現されていることに深い感動を覚えました。また、解説文のフランス語訳をお嬢様がなさっているなんて、なんて素敵なことでしょう!

いずれにしても、今回のCDを拝聴した上で、宮沢賢治の「永訣の朝」をあらためて読み直しました。普段の日常生活では遠ざけている「抗しがたい死」に向き合う魂の悲しさに、言葉を失いました。 長文で失礼いたしました。 どうもありがとうございました。