2013年1月31日木曜日

Qu'est-ce que c'est que ça ?

Qu'est-ce que c'est que ça ?

親王塚の木の実

家の隣りの阿保親王塚のうっそうたる木々にこんな得体の知れない木の実が。
何でしょうか?前から気になっていたのだが……。今回はズームしてみました。
そして、その向かいの翠ヶ丘集会所の手前の空き地にこんな生命力を誇示する植物が。
プラスチックの植木鉢をぶち破って根が地面にまで伸びています。近寄るとこんな感じ。
というわけで(何が「というわけ」かわからないが)、今日は甲南大学の港道氏が我が家に。今年度の人間科学研究所の学外審査員に頼まれたのであった。しかし、ちょっと話をしていたら(最近はフランスでも大した哲学者がいないねえ、とかなんとか)、彼の携帯が鳴り、客人が大学で彼を待っていると。あわてて彼は大学へ。超多忙な所長なのであった。

2013年1月30日水曜日

RSS Graffiti

ブログとFBを連動させているRSS Graffitiはどうも字数によって載せるやり方を変えている感あり。

迷宮としての世界

グスタフ・ルネ・ホッケ『迷宮としての世界』(種村季弘・矢川澄子訳、岩波文庫)読了。これは面白い、古典主義と対立する、マニエリスムが脈々とヨーロッパ文化の底流に常に流れていると言う。だから、以前に読んだクルティウス、ではない、マリオ・プラーツのロマン主義の系譜というのと、よく似た考えで、そのものについて、ものすごく共感できる。(ぼく個人的には「ポエジー/プローズ」とか、そういう対立として ― 「ハレ/ケ」とか?「芸術/日常」とか? ― と感じますが……。)そして、しかし、ここでもまた音楽の領域における等価物について考えたら、面白かろうとも思うのでした。musica subtilior とか、モンテヴェルディの seconda prattica とか、あるいはジェズアルドとか?バッハの謎カノン、モーツァルトの音楽の冗談、ロマン派ではやはりアルカンですか(《死んだオウムのための葬送行進曲》)。近代になれば、サティがいるし、現代ではもちろんラモンテ・ヤング、ケージをはじめ人材に事欠かない(ジョージ・ブレクト!)。

キルヒャーの世界図鑑

ジョスリン・ゴドウィン『キルヒャーの世界図鑑』(川島昭夫訳、澁澤龍彦・中野美代子・荒俣宏解説、工作社)読了。こちらの方が図版がいっぱいあって面白かった。しかし、「キルヒャーの世界」とはこれだけではないはず、とも思いました。余りに簡略な紹介ですね。もっと彼の音楽論のことが知りたいっ。

2013年1月28日月曜日

星界の音楽

ジョスリン・ゴドウィン『星界の音楽』(斉藤栄一訳、工作社)読了。つまらなかった。神秘主義的音楽の知識の羅列(いや、いちおう整理されているか)に過ぎない。ぼくが知りたいのは、それらが実際の(音楽の)歴史にどのように影響を与えているか、ということだった(あるいは諸説の軽重と言うべきか)。

2013年1月26日土曜日

秋学期授業

秋学期授業、昨日で終了。試験もぼちぼちあり、明日からは(学科は今日ですが)一般前期入試です。それが終了すると、今度は定期試験。レポートもみなければ。

2013年1月24日木曜日

バッハの暗号

ルース・タトロー『バッハの暗号』(森夏樹訳、青土社)読了。最終的に、結局バッハには暗号はない、という結論。もともとのタイトルは「バッハと数アルファベットの謎」というものだったらしいのだから、ちょっと「売らんかな」の日本語タイトルですか。まあ、それはいいとして、結構まともな内容で、当時のバッハを取り巻く環境での「数と文字の遊び」の流行が細かく辿られていて面白かった。また、クリューガー→マッテゾン→バッハという音楽思想の流れは重要であると再確認。マッテゾンの「状況のロクス」(本書では「事情の主題」となっている)の話は、前に「音楽美学」の講義のテクストで使ったエッゲブレヒトの論文に出て来ていてなじみだったので、ここでまた出会うとは奇遇というべきか、当然というべきか。

2013年1月23日水曜日

Louis Laloy, Musique retrouvée

Louis Laloy, Musique retrouvée - 1902-1927, Desclée de Brouwer, 1974. 読了。以前から関係個所を「つまみぐい」はしていたが、きちんと最初から最後まで読んだのは初めて。そこで、以前に述べたドビュッシーとの関係に思い違いが。ラロワはドビュッシーと1889年の万国博(「万博」と書いたら阿部良雄先生に怒られた覚えがあります)には行かなかった。一人で行ったのである。ドビュッシーと友達になるのは結構後のことらしい。「仏陀」のプロジェクトも、彼ではなく、セガーレンだね。しかし、この、ギリシャ・ラテン語はもとより、ロシア語もでき(スコラ・カントルムでダンディの授業中にロシア音楽にあるテクストの翻訳を手伝った)、中国語もでき、数学もでき、アルザス出身なのでもちろんドイツ語もでき、スコラで音楽も学んだ人物。オペラ座の経営陣にも入っていたらしい。そして、そして……何と言っても、セヴラック、ギヨーム・ルクー、フランク、ダンディ、フォーレ(リムスキー=コルサコフまで!)を知り、ドビュッシーの友達で、ストラヴィンスキーも、サティも、コクトーも、オーリックもよく知っていた人物。これはすごいことですね。特に、ドビュッシーとはしょっちゅう会っていて、彼とセヴラック、彼とサティ、彼とストラヴィンスキーなどの交流の場に居合わせているのである。うむむ……。

2013年1月21日月曜日

hoy

スペイン語の「今日 hoy」も気になっていた。というのは、フランス語では「今日」は「aujourd'hui」だから、これは「au + jour + de + hui」なので、「hui の日」ということになる。「hoy」と「hui」とも、どうもラテン語源らしい。ちょっと調べると「hodie」、またその元は「hoc + die」つまり「この日」ということだとわかった。

2013年1月20日日曜日

幼児祝福式その他

昨日は、午前中ヴァイオリン。その後、あゆみをねねちゃんのお誕生会に送った後、三宮そごうで神戸小学校書き初め展(いづみの作品が展示)。地下の凮月堂でお茶の後、帰宅し、ちょっとしてまた、あゆみを今度はお迎えに、と思ったら、何と車のエンジンがかからない!あせりました。何とかねねちゃんのお母さんに近くまで送ってもらったが。しかし、その後もう一度車の調子を見てみると、エンジンがかかる。どうもコンピュータ制御の狂いらしい、うーむ。そして、今日は午前中、教会で幼児祝福式。昼食は六甲荘で。

2013年1月15日火曜日

今日の芦屋川

駅前の郵便局へ行ってから、芦屋川沿いを下って芦屋市役所へ。あゆみの私学進学届けを出すため。市の教育委員会に出すのであった。今時けっこう話題の教育委員会なるものを初めて見ましたが、普通の役所のような感じでしたね。(もちろん、これがその本体ではないでしょうけどね。)行き帰りに芦屋川沿いの風景を。遠くに見える六甲山の頂きのあたりはうっすら白く雪化粧をしている感じ。これは市役所の前あたり。
一時期ぼうぼうだった草むらも刈られて、こんなに滝もよく見えます。
これは市民ホールの前あたりです。

2013年1月14日月曜日

cl-、pl-

スペイン語の「ll-」というのは、語源的に「cl-」、「pl-」がもとになっているようだ。いや、どうも何とも連想のきかない単語がこの種類に多いような気がしていて、気になっていたのであった。つまり、「鍵」の意のフランス語の「clef」はスペイン語の「llave」、「雨が降る」のフランス語の「pleuvoir」はスペイン語の「llover」、その他、「着く」は英語で「arrive」、フランス語で「arriver」だが、スペイン語は「llegar」と、予想もつかないが、これは「plicare」(ラテン語の「近付く」)とか「applicare」(同「そばに置く」)から来ているらしい。

2013年1月11日金曜日

Rouart et Lerolle

Rouart et Lerolle et cie. セヴラックの本を書いた時に、この名前の楽譜出版社がよく挙がっていた。そして、最近ショーソンのピアノ作品を弾いていたら、その楽譜の解説に、ショーソンの義理の姉妹はアンリ・ルロルと言う画家の妻で、その娘たちがショーソンの作品の献呈を受けたとあり、またドビュッシーの《サラバンド》もそうだ、と。そして、もっと、おやっと思ったのが、ルノアールの有名なピアノを弾く姉妹の絵(下のやつ)のモデルも彼女(たち)だと言うのである。また、姉妹の一人が結婚したのが、画家のルーアールで、ときて「うーむ、これは」と思ったのである。そこで、この出版社についてちょっと調べてみると、以下のようにペトルッチのサイトに解説が。
Founded in 1905 by Alexis Rouart (1869-1921) through the purchase of the Paris publishers Meuriot, and E. Baudoux et Cie. Rouart acquierd the catalog of the publisher Louis Gregh in 1906-07. Jacques Lerolle (Ernest Chausson's cousin) was associated with him from 1908 and continued to run the firm after Rouart's death. After Jacques's death, his son Paul (1906-1972) succeeded him but ultimately sold the catalogue to Francis Salabert in november 1953.
というわけで、ここでは直接にルロルの娘と結婚したルーアールは出てこない。どういう関係なのだろう?

Henri de Régnier, La vie vénitienne

Henri de Régnier, La vie vénitienne, Mercure de France, 1963. 読了。レニエの名は、ラヴェルの《水の戯れ》のエピグラフで知ったのだった。それから色々探して、邦訳が青柳瑞穂訳で出ているのを手に入れたりした。(『水都幻談』。いづみこさんはその孫だ。)その後、いくつかの書物を手にし、ぱらぱらと読んではいたが、きちんと読通したのは初めて。マラルメの弟子として、また貴族であり、アカデミシャンということで、なんか立派すぎて逆に面白くないのではないか、とちょっと敬遠気味であったのは確か。しかし、一読、なんと素晴しい紀行文だろうか。フランス語の美文というのは、これなんだろうな、と思う。美しい文章で、ヴェネチアの陰影に満ちた風景とそこでの経験を、ノスタルジックに描き出すというのは、もう今では流行らないのだろう。これを日本語でできたらどんなにいいだろう(そして、どんなに時代錯誤だろう!)。1899年から1924年にまでいたる、折々のヴェネチア滞在記(および付随するパリ記)。彼にとってのヴェネチアをぼく自身のパリにちょっと重ねたりもした。最後の1924年の滞在では、サン=マルコ広場でファシストの集会があったりするのが、時代を感じさせる。

2013年1月8日火曜日

男性・女性

名詞の男性・女性ということで言えば、スペイン語とフランス語で、同語源でも性が違うことがあり、間違いやすい。たとえば、「終わり」という意味の「fin 」は、フランス語は女性なのに、スペイン語は男性だ。

"la" Noël

Noël は男性名詞なのだが、どうもフランスでは la Noël とよく言われているように思って、不思議だった。何度辞書で確かめても男性名詞に変わりはないのだが(当たり前だ)、アンリ・ド・レニエを読んでいたら、やっぱり彼も「la Noël」と書いていたので、もう一度今度はネットでちょっと調べてみたら、やっぱりフランス人たちのあいだでも「ちょっと変じゃない」ということになっているようだが、そのディスカッションの中でも「la fête de Noël」の略だ、と言う説が多かった。中でもアカデミーの辞書を引用していた人もいて、それも(確か)同意見。なるほど。でも中には、この言い方は俗っぽいというのもあり。すると、レニエは「俗っぽい」?(ちなみに、ぼく自身は「la semaine de Noël」かな〜と思っていた。)

2013年1月6日日曜日

Louis Laloy

Louis Laloy, Contes magiques, H.Piazza, 1925. 読了。蒲松齢の原作との確認はまだ。でもまあいろいろ面白い物語を選んだものだ。彼はドビュッシーと一緒にインドネシアの音楽を発見したわけだが、その後も一緒にオペラ《ブッダ》の計画があったり、面白い関係だ。彼の回想録を読み直そうかな。

2013年1月4日金曜日

東京

年始は元旦に花山、二日から東京、そして三日には上京の機会を利用して、スペイン大使館にビザ申請。疲れました。今日から仕事始め(原稿書き)。