2015年5月27日水曜日

Valéry Larbaud

ヴァレリー・ラルボーとの出会いは、学部生のときに、西村靖敬先生(当時はフランス科の助手だった、いやその前か)の授業で Enfantines を読んだのが最初だった。その後、まったく忘れていたが、リカルド・ビニェスのことを調べていて、彼らがけっこう付き合っていたのを発見したのが、ラルボーとの再会と言える。ラルボーは一時期、長い間スペインに住んでいたのだった。また、カルディナル=ルモワーヌにも住んでいたと聞いて、また親近感が湧いた。ぼくはその近所のゴブランに住んでいたから。カルディナル=ルモワーヌには、École des Hautes Études の図書館があって、誰でも利用できたので、そこでパソコンを持って行って、翻訳などをしていた。その上、ラルボーの父親が薬剤師で、ヴィシー水、正確には Saint-Yorre を発見した、それで莫大な財を成した、というのも、ぼくはよくカフェで「Un quart de Vichy」と頼んでいたので(胃腸にいいと聞いていたので)、別の意味で親近感が……。