2010年3月8日月曜日

バスクの音楽

バスクの音楽 Agur Jaunak (musiques basques)というCDの解説に Le Zortziko というダンスのリズムが説明されている。バスク語の zortzi (8の意味)から来ているらしい。このリズムはまさしくラヴェルの《ピアノ三重奏曲》第1楽章のそれだ。8分の8という異常な拍子は何かと思っていたが、これでよく理解できる。そして、セヴラック《夾竹桃の下で》のシャルル・ボルドの名前が挙げられているフレーズ。この5拍子もこれでわかる。というのは、もともと8拍子なのだが、19世紀以来、五線譜には5拍子で記譜する習わしだからだ。しかし、1拍目が他のものより短いために正確に記譜するのは容易でないという。

2010年3月5日金曜日

ミモザ3

セヴラックの手紙に「マットたち les Mattes」とあるのは、彼のオペラ《エリオガバル》中でカタロニア地方の民俗楽器(というより楽団)コブラを演奏したマット一家の人々のこと。オペラ初演の前に、彼らが前列に座り、後ろの左側にセヴラック、右側に指揮者のアッセルマンが立っている写真が残っている。

ミモザ2

これです。山手幹線芦屋川トンネルのすぐそば。

ミモザ

芦屋の町を歩くとミモザが咲いているのに気づいた。セヴラックの友人で詩人の Albert Bausil は、セレの住人でもあり、「ミモザの花のもとでのサルダーヌ」という追悼文を書いている。そこに引用されているセヴラックの手紙には「マットたちがサルダーヌを弾き、ミモザが花盛りだから、遊びにおいで」という表現がある。セレの町はミモザが多かったのだろうか?ぼくは、ミモザ卵も好きだけれどね。

d'Ortigue その2

Joseph d'Ortigue は南仏カヴァイヨン生まれで、やはり同地に生まれた Castil-Blaze の従兄弟だということだ。後者はパリでオペラ関連の音楽評論や出版などで活躍した印象が強いが、実は南仏民謡なども出版していて、例のフェリブリージュのメンバーだったらしい。また前者は、フランスでのグレゴリオ聖歌復興の先駆けとなり、ニーデルメイエールとも一緒に仕事をしたと言う。

Joseph d'Ortigue

Vincent d'Indy が思想的に影響を受けた人物として、Lamennais 師(Abbé Félicité de Lamennais)というカトリックの僧侶の名前が挙がっている。そして、このラムネ師の音楽分野での協力者が、Joseph d'Ortigue らしいのだが、彼の Le Balcon de l'opéra という本は、数年前の静岡での国際音楽学会の時にたまたま見つけて買ったものだった。その時は単に、19世紀の音楽時評集なのだろうくらいにしか思わず、そのまま書棚で眠っているのだが、実は自由主義的神学(ラムネ師はその思想のおかげで破門されたと言う)に基づく音楽論らしい。そしてまた、このラムネ師とは安吾の「ラムネ氏」その人のことでもある!

2010年3月1日月曜日

Lettre de M. Pierre Guillot

ギヨー先生から返信。セヴラックが存命中、彼の作品はインドネシアで多く演奏されていた、と!!全然知らなかった。そして、彼もまたセヴラックについて書物を完成させたと言う。非常に楽しみである。