2011年7月2日土曜日

堀田正信

堀田正信について佐倉から飯田へ移った家臣の名前がわかればよいのだが、と思っていろいろとネットで探してみると、以下のような記述が目に留まる。以下引用。
「正信は城の近くの守谷というところに蟄居したと言われているが、そこは脇坂氏時代の飯田城の絵図に見える「上野介様御座所」であると思はれている。
ここでどのような生活をしていたのかは記録もなく良くわからない。市の中心地の江戸町にある正永寺には正信の子の墓と言われる2基の五輪塔があると云われるが、飯田での正信は4・5人の子供を為したらしく、また数人の家臣が随行していたと言われるからそれなりの生活が為されていたのであろう。」
筆者は恐らく相当な年齢の人物であろう(「思はれている」)。かなりの博識である。しかし、「子供を為す」は「成す」(あるいは生す)の間違いだね。ともあれ、こうして堀田正信に「数人の家臣」が随いていたらしい証言が出てきた。
PS:今少々気になって広辞苑を調べたら、「なす」は「生・成・為」のどれも同じように書いてあった。そうか?