2011年7月2日土曜日

椎名家

猿丸家のことを調べていて、椎名家はどうなのだろうか、と思った。父親から聞いているのは、もともとは千葉の方の下級武士の家系であり、佐倉宗吾の乱(1653)で、仕えていた殿様である堀田氏が改易となって、飯田に移った時に一緒に随いていったのだという話であった。しかし、ウィキなどで調べてみると、確かに佐倉宗吾の事件後、さまざまな奇行によって(磔刑に処せられた佐倉宗吾のたたりという)、堀田正信(1631〜1680)は飯田に蟄居を命じられるが、それは改易のためではなく、飯田藩主であった弟の脇坂安政(1633〜1694)のところに「お預かり」になったのだった。そのような殿様に随いていったということがあるだろうか。謎である。
ところでこうしていろいろ調べていたら、その後その弟の脇坂安政は1672年に播磨龍野藩に転封になっている。そして龍野の発展におおいに寄与したらしい(特産醤油とか)。ぼくが今住んでいるところからそれほど遠くないのは、少々因縁を感じるね。