2010年7月1日木曜日

吉田秀和

岡田が柴田『マーラー』解説に、吉田秀和と柴田南雄が「アイドル」だった、と書いているが、彼はぼくと同じ歳のはずなのに全く違った意識を持っているのに驚いた。ぼくは高校の頃に友人で詩人の柴田君(奇しくも同名だが)の影響で、萩原朔太郎や中原中也や富永太郎といったものを耽読していたのだが、そんなレパートリーの中に幸か不幸か小林秀雄も混ざっていたのだった。そして、吉田の評論を読むと、出来の悪い小林の模倣という感が否めなかったのだった。「走る哀しみ」のモーツァルトの方が、シューマンのピアノ協奏曲を聴いて日比谷公園で「手の中の石を握りしめる」よりも、まだポエティックである。でも、吉田秀和の悪口を言うとあらゆるところから袋だたきに会うので、日本はまだまだだな、と思う。