2012年10月6日土曜日

ピアニストになりたい

岡田暁生『ピアニストになりたい!』(春秋社)遅まきながら読了。昨日は大学から直に京都コンサートホールのゲネプロ。その行き帰りに読み終わった。よく事実を調べてあって、ちょうどぼくの『狂気の西洋音楽史』が応用課題だとしたら、その基礎課題みたいな感じだった。でもこういう基礎的なこと、事実の積み重ね、実証主義が大事だよね。しかし、多少の誤植や誤りあり。特にパリコンセルヴァトワールの初期のピアノ教授の名前を、「ルイ・アダム」としているが、この人が《ジゼル》の作曲者アドルフ・アダンのお父さんだということを彼は知らなかったに違いない。つまり、「アダム」ではなく、「アダン」です。(まあ、かくいうわたくしめも、アドルフ・アダンの回顧録を読む前は知らなかったわけですが。ちなみに、この回顧録にはその頃のピアノ科のことなども書いてあって興味深い。)さらに言えば、重大な矛盾として、18世紀的な演奏観が19世紀になって産業革命的な機械的演奏観に取って代わられた、という全体の流れからすると、最初の方にあるシュナーベルの演奏法(20世紀)はチェルニーのそれと一致するというのは、(そしてチェルニーは18世紀的、古典派的演奏法だ)それに棹さしている、と思われた。もちろん、例外は常にある、と言えばおしまいだが、その辺りの一筋縄でいかない反論理的な部分に音楽の面白さがある、というところまで踏み込んで欲しかった。