2013年12月16日月曜日

Blancafort

金曜日には午前中にモンポウ財団にお邪魔し(そう言えば最近手に入れたモンポウ関係資料にプレジデントのジョアン・ミリャ Joan Millà 氏の若かりし頃の写真があった ― 建築関係の会社をやっていた経済人&音楽愛好家ということで、メインはバルセロナ青年音楽会 Joventuts Musicals de Barcelonaの会長でもう何十年もそれをしていると言う)、午後にはサン・パウ病院近くのホテルでセルジ・ブランカフォルト Sergi Blancafortと会う。作曲家のお孫さんである。彼自身は生物学者&社会学者(慢性病の研究)でサン・パウ病院内の大学の施設で働いている。ブランカフォルトからモンポウ宛の手紙のコピーを持って来てくれた。これでカタルーニャ国立図書館でコピーした、モンポウ→ブランカフォルト書簡と合わせて完全な往復書簡ということになる。彼らの手紙のやりとりは1920年代がもっともさかんで、1929年にブランカフォルトがオーケストラ曲を書き始めると共に徐々に疎遠になった、というのはセルジ君が聞いたおじいさんからの直話。ブランカフォルトは11人!の子どもがいて、セルジ君は8番目の子どもシャビエ Xavier の息子。子どもたちの中では、特に音楽関係では、オルガン製作を始めた5番目のガブリエル Gabriel (息子アルベルト Albert が跡を継いでいるという、そして何と!モンセラットやサグラダ・ファミリアのオルガンはこの「ブランカフォルト製作所」製)、スペイン放送管弦楽団の指揮者だった6番目のアルベルト Alberto がいるとのこと。そして何番目か聞き漏らしたが同じ孫の代のシャビエ Xavier が、本業は経済学者だけれども、おじいさんととても仲が良くて、何十年も毎週のように会って音楽の話しをしていたという。今度彼を交えて、またお話しを聞くことに。El divendres passat, al matí, vaig anar a la Fundació Mompou, i a la tarda, vaig veure el Sergi Blancafort, nét del Manuel Blancafort, compositor. Va ser molt interessant.

マヌエル・ブランカフォルト Manuel Blancafort