2010年2月13日土曜日

Roussel

ルーセルの《プレリュードとフーガ》を弾いてみた。しかし、セヴラックと同級生なのに、この無調への傾きは何なのか?フーガは「バッハの名による」ということで、半音階的なのはわかるけれども。確かに、以前から《組曲》やら何やらで「変だ」とは思っていたが。これはどこから来るのだろう。対位法的なテクスチュアはダンディーの教育からか?(昔読んだ音楽辞典の記述にルーセルは線的な印象主義者だとあったのを思い出す。)リュック・フェラーリが若い頃に金持ちのサロンでピアノを弾いていたという話の中に、あるときルーセルを弾いて、これが限界だなと感じた、とあるが、まさしくその通りだろう。そして、ヴァレーズの最初の先生がルーセルであったというのも、うなずける話だ。フランスで《パドマヴァーティ》の全曲レコードを買って、ほおってあるのだが、きちんと聴いてみないといけないな、と思うのでした。しかし、彼の歌曲全集のCDというものもあるぞ。これは、東大の松村君の当時の彼女がソプラノで、一緒に聴いた覚えがある(とても録音レヴェルが低くてみんなで文句を言ったものだ)。彼女の名前は失念したが、新潟出身でその上父親が教育関係というので、大里さんの父親と知り合いだったりして、これもまた「世界は狭い」という一例である。