2010年12月12日日曜日

比嘉康雄

比嘉康雄の写真についての番組。沖縄の祖霊神信仰。姜尚中氏がよいことを言っていた。沖縄はローカルだと思われているが、その底には(記憶の底)全ての人類に共通のものがある。民族とかローカルなものは、人類共通の普遍的なものの一片の現れに過ぎない。音楽もそうだ。先日、大学案内のゼミ紹介のインタビューを受けて、音楽とは我々の人生そのものだ、みたいなことを言ったら、インタビューをしていた女の人は首を傾げていたが……。ダニエル・シャルルも全く同意見だったのを思い出す。音楽はそれぞれに民族的だったり、ローカルだったりするが、実はその「記憶の底」では普遍的だ。逆も言える。その底では共通のものが、その現れではかくも多種多様でお互いに理解不能にまで至る。ぼくがプラトニズムに魅かれるのは、そこにこのような音楽のアナロジーを見るからだろう。そして、そのことはヘーゲルの「精神」もショーペンハウアーの「意志」も同じである。ぼくの『音楽的時間の変容』で言及した "Le musical" もまさしくそれだ。そして、この考えは大里俊晴さんの考えから影響を受けている。(彼のグールド論。)