2011年5月17日火曜日

アドルノとアウシュヴィッツ

以前に岡田暁生が今回の大震災とアウシュヴィッツを混同していることを批判したが、考えてみると、それは福島原発事故が人災であってアウシュヴィッツも人間のしわざであるという意味で一緒にしているのだろう。しかし、アドルノが言っているのは、私の意見ではこうだ。「詩」というものは、「言葉」とその意味するもの(「現実」?)との間の「たわむれ」で成り立っている。しかしアウシュヴィッツにおいては、「言葉」そのものが「現実」と全くずれがなく、くっついてしまっている非情な(といっても足りない)世界である。「Arbeit macht frei」という言葉は「死」(以上のなにものか、とも言える)を意味する。もっと言えば「意味する」などとも言えない、ガス室直結のなにものかである。「Arbeit macht frei」はナチスの最悪の冗談(もともとは言葉と意味との遊び)である。遊びがないという遊び。「詩」はもともとはそのような遊びだったのに、アウシュヴィッツではそれがマイナスの遊びになってしまった。そしてまた、遊びとはそれに関与する本人がするべきものだが、アウシュヴィッツではそれは本人ではなく「彼ら」がするのである。