大賢は大愚に似たり、というのは、中島敦の小説を読む前から、あるいは『老子』(中学時代のあの中公文庫の味わい)を読んで以来、あまりにできすぎた、ありがちな話であるようにも思っていたが、今回のモニックのレッスン、そしてその他もろもろ(これの方が重大だ)において「まさしく……」という実感であった。モニックのレッスンは逐一録音しておいたから、それをおこしてみようか。ちょっと時間をいただければ、お目にかけることができる。あまりにできすぎているということは、できていないことと同じであり、本当にできているということは、できていないことと似ている。