2012年11月29日木曜日

L'épinette des Vosges & Mélodies de Debussy

先日の音楽学会全国大会で出店を出していたユニバーサルというCD屋で、Ocora シリーズのフランス篇「L'épinette des Vosges」と「Corse Corsica」を購入。コルシカの方は、分厚い解説書付きで本のようになっている。なかなか面白い曲集である。その間に、Francis Bayer, De Schönberg à Cage : Essai sur la notion d'espace sonore dans la musique contemporaine, 1981, Klincksieck をきちんと読了。これも留学時代に買ったまま、ときどき読み齧っただけだが、きちんと読むと、まあなかなかきちんと書かれた非常に良い本である。バイエールの授業は、パリ八時代に出席していて、ベリオの《セクエンツァ》全曲を、演奏者を呼んで演奏させながら、分析するという授業がすごく刺激的だった。
そして、昨日は奈良ゆみさんの歌で(不肖わたくしめの伴奏とお話しで)ドビュッシーの歌曲についてのレクチャーコンサートでした。すごく遠くからも(横浜からも!!)聴きに来てくれた人がいて、ゆみさんの人気のほどが知られたのでした。演奏は、ゆみさんからも言われたのだが、やっとピアノと歌との間のやりとりができるようになったかな、という感じ(というか、できるようになったので、嬉しいです)。

2012年11月25日日曜日

音楽学会

この土日は、西本願寺の付属の施設で、日本音楽学会全国大会。フランス近現代関係の発表の司会を頼まれた。初めて行ったのだが、西本願寺の境内には大きな銀杏が二本ある。

一本目の銀杏は、なんでも火事があったときに、水を吹いて火を消したそうだ。今日(日曜)は、司会もなかったので、福島さんのアルベニス/マラッツ書簡についての発表と、もう一つモンポウについての発表を聞いた。しかし、この会場というのが、西本願寺モンポウ会館というのらしい?漢字は「聞法会館」である(笑)。

2012年11月19日月曜日

センチメンタル・テールズ

17日(土)「センチメンタルテールズ、ヘールシュピールの諸相」本番。実にさまざまな方々のご協力で無事に終了。下田さん、村上君、小島さん、Tazzさん、そしてジーベックの三井さん始め音響・ホール・照明担当の方々、演奏者の石上君、かつふじさん、渡辺さん、お手伝いしてくれた(同女卒業生でもある)高橋さん、横田さん、村上君の友人岡本君、そしてもちろんフランスから駆けつけてくれたブリュンヒルド・フェラーリさん、その他にも関係の人々みなさまのお力添えのたまものであります。しかし、ものずごい土砂降りになってしまったのが、残念でした。しかし、演奏は素晴らしいもので、ホールそして20台のすごいパワフルなスピーカーとあいまって、音響芸術の別世界を作り上げていた。世界初演、日本初演も目白押し。来ていただいた方には十分に堪能していただけたようである。
翌日のきのうは、ブリュンヒルドさん、渡辺愛さん、村上君と神戸。昼食は神戸デュシャン(Ferrari at Duchamp)。その後、明石。うおんたなに、ブリュンヒルドさん感激しておられた。港を見て、夜は神戸の南京町。

2012年11月15日木曜日

武蔵美と芸大

この間の土日は推薦入試で、月曜日に武蔵野美術大学へ行って、ブリュンヒルドさんとの対話形式による講演。インスタレーション『思い出の循環』について。クリストフ・シャルルが、とても素晴しい設営をしてくれたので、リュックさんの意図がよく理解できるインスタレーションになった。大きな4面のスクリーンが観客を取り囲み、映像が廻って行くなかで、12台のスピーカー(6台のCD)がさまざまに異なった音響・音楽を流して行く。その組み合わせは、一度として同じになることはない。会場の中を自由に歩き回れるために、これは観客が生み出す作品だ。その上、スクリーン上には、観客である我々のシルエットが写り、まるで我々自身が作品の中に参加しているようだ。講演の後は、神楽坂のクリストフの自宅でご飯をごちそうになった。奥様は、デザイン研究をなさっている日本人の研究者。エゴン君という息子が一人。もう14歳という。ダニエル・シャルルが、赤ちゃんだった彼をだっこしている写真を見た覚えがある。いろいろな話で盛り上がる。翌日は、東京芸大の千住キャンパスで、特別講義。これは、西岡先生という方の授業の枠で、アレンジは渡辺愛さんである。ぼくは、通訳に徹しておりました。しかし、始まりが18時で終了20時ということで、最終の新幹線に飛び乗りました。水曜日の一校時目からの授業のため。このような強行軍がたたったのか、のどをやられ、ひどいガラガラ声。木曜のこれからは、同大今出川の寒梅館で、ブリュンヒルドさんのお相手をしなければならないが、大丈夫か?

2012年11月11日日曜日

春秋2012/11

この間の京都でのケージ・コンサートで、柿沼さんから『春秋』2012年11月号を貰ったのだった。今日の入試二日目の通勤途上で電車の中で、読んだ。「現代音楽」を専門にする若い音楽学者が育っていることに、ちょっと安心。以下は感想。
三橋圭介『ジョン・ケージ・ショック』は、よくまとまったケージ思想の紹介。ここから、どう行くか、だね。ケージがニューヨークの音を聴いた、とか、電車の中でぼんやりして音を聴く、とか、から今度はひるがえって(おお、翻る!)、そんな日常で音を聴く体験がなぜ特権的になれるのか、とか、つまり、普通は聴いていないのに、聴いてみるとよかった、というのは、何となく予定調和的なのであって、普通は聴かない、ということは、どういうことなのか、ということを問うてみる必要がある。聴くということは、とういうことなのか。そんな意味で、もちろん、音から意味を聴き取らない聴き方(ケージ)に正反対の、リュック・フェラーリ的な、音には意味がいっぱいあるからこそ面白い、という態度はどうとらえるべきなのか、考えてみよう。音から意味を取り去るというのは、実は、けっこう「前衛的」でブーレーズだって、ある意味で、それを目指しているわけだ。
中川克志『現代音楽の「現代」ってなに?』も、よくまとまって、わかりやすい。ただ、今、仕事の必要があって、フランシス・バイエールの『シェーンベルクからケージへ』をちゃんと読み直しているのだが、彼のように本当にきちんと現代音楽をいちいち分析して行くと、いわゆるヨーロッパ流の「前衛」も、決して一枚岩ではなくて、ブーレーズだけで代表させられては困る、という感じがする。シュトックハウゼンだって、あの人は、千変万化だしなあ。クセナキスは?
そして、柿沼さんの『ケージ以後の音楽』。これもとても要領よく、ポスト・ケージの流れを紹介してくれて、とっても役に立つんじゃないだろうか。グレン・ブランカについては、これも大里さんから教わって、そのもの凄さにちょっとついていけなかったのを覚えている。そして、もちろん、ヴェルヴェットもぼくにとっては大里さんからの御教示である。でも、どうも、ぴんと来ませんでした。今度ちゃんと聴いてみます。すみません、柿沼さん。(でも、イーノは好きですよ。ペンギン・カフェも。この流れに、例のピンク・マーティニー[&由紀さおり]もいる感じですね。)
寒川晶子『ケージを再演しながら考えたこと』では、このようにして、ケージが再解釈されて行くんだな、と思いました。ぼく個人的にはちょっとだけ違和感もないわけでもないが、ケージはいつものように笑っているんだろうな。

2012年11月10日土曜日

今日から

今日から二日間、入試。そして、月曜日には、東京に行って、武蔵野美術大学でブリュンヒルド・フェラーリさんとの講演、火曜日は芸大(北千住キャンパス)でやはり同様の講演会。夜のほとんど最終新幹線で戻って来て、水曜日は朝の一時間目から授業。朝5時起きです。そして教授会。木曜日は同志社寒梅館で、土曜日はメインイヴェントのジーベック。さあ、怒濤の一週間です!!

2012年11月9日金曜日

読書感想文

まずプラーツ『肉体と死と悪魔』。これは6月のシンポジウムで同席した高階秀爾先生(勲章おめでとうございます)が、「プラーツのロマンティック・アゴニーは必読」とおっしゃっていたので宿題。しかし、デカダンの作家がこれほど多かったとは。特に19世紀末フランスはほとんど全員がそれ。特に、薔薇十字のペラダンと右翼(?)のバレスもそうだったとは、知らなかった。前者はサティ、後者はセヴラックと密接な関係がある。そして、デカダンの一部分がイギリス由来というのも面白い。次にはコルタサル『秘密の武器』。これは仏訳で読みかけたのだが(「秘密兵器」というものかと思っていた)、これほど面白いとは思わなかった。ちょっと手塚治虫を思い起させたりして(これは多分どこかに共通の根っこがあるに違いない)。最後は山本満喜子『ラテン音楽』。これは三宮の古本屋でたまたま見つけたもの。なんと1963年刊の本である。この山本という人は、山本権兵衛の孫だということで、まあ名家の出ですな。それがなぜか知らないがいきなりアルゼンチンに渡ってしまって、いろいろな音楽に出会う、というわけだが、何しろスタイルが変な女言葉(もしかしたら、当時はかっこよかったのかも)で、「〜やっちゃうのよ」みたいなので鼻につくことおびただしい。その上、表面的には、一般に虐げられた下層階級の人々への同情に満ちているのだが、本人が、どう見ても大ブルジョアでその生き方を変えていないようなので(昔、スイスのレマン湖のほとりで、うんぬん)、説得力に乏しいこと。なんだかなあ、という感じ。スペイン語の訳はどうなのか、ぼくのわかる範囲では、適当にごまかしている感じだけど。

2012年11月7日水曜日

同志社女子大のインスタレーション

いよいよ今週月曜日から始まりました、リュック・フェラーリのインスタレーション『思い出の循環』。もう一度、あのかっこいいポスターを。

どのような状況なのか、ちょっと写真を撮ってきました。知徳館の入り口はこんな感じ。
そばによると、このポスターが。

建物内の中庭に面した窓にも貼られています。
mscギャラリーというのは、ちょっとわかりにくい。廊下の中ほどにいきなりあります。この右手の掲示板の横のドアがその入り口。
中には、本当にミニチュアのインスタレーションが。ぼくが月曜に行った時は調整中でした。しかし、本日、水曜日にはきちんと整備され、入り口にもキャプションが貼付けられていました。どんなようすなのか、ちょっと写真をアップしておきます。(調整中の脚立が移ってしまっていますが、本当はありません。)



John Cage 100th anniversary countdown event 2007-2012 final

というわけで、先日日曜日のニシジマ・アツシ、稲垣貴士、Gak Sato、竹村延和、Haco、村井啓哲、森本誠士、森本ゆり(敬称略、順不同)による、京都アートセンターでのケージ100歳記念カウントダウン。曲は、前半が一階で、Variations VI、後半は二階で、Root of Unfocus、Cartridge Music & Solo for Voice 1、Music for Amplified Toy Pianos、One7 & Inlets、Ophelia。前半は、JCCE Chronicle 2007-2011というインスタレーションが周りにあって、その中での演奏(始まりと終わりは曖昧に、という指示)。聴衆は自由に動くことができる。こういう時には、いろいろと考えることができて、その時にプログラムの端っこに殴り書きしたものがここにある。「無秩序 ― Adorno 現代社会の反映 etc. 聴きにくいだろう、だからこれはそのような社会の反映だ etc. これは音楽ではない、聴くものではない、ただそこに居るというだけのもの ― 庄野の言う立ち会い、cf. Feldman。各々が別々のことをする = 各々の表現? ちがう。生きている証? cf. 近藤譲。それが最もわかりやすいのは、記憶あるいは意味を使うこと、Cycle des souvenirs  ― しかし、各人の個性を Cage は嫌った?  Musicircus = music + circus 祭り?やはり、その場にいることに意味がある、初詣とか? 周りに最初から流れている4つのビデオ&音響はどうか? 演奏中も存在する。これは Cage の意図とは違うのでは? しかし、意図とは?  変化がないので飽きる → 禅? 飽きたので歩き回る、spectacle 性はあり(音だけでは5分ともたないだろう)、個々の奏者が何をやっているのか具体的に知ることができればなおよかった? → 回るとけっこう楽しい。自らも見られ/見る spectacle 。音響の位置が異なるので、自ら変化を作り出せる → 知人と会うという situation 楽譜の指示だけからではわからない。」第二部も、もちろん十分に楽しめるものでありました。ただ、真っ暗だったので、第一部の時のようなメモはなし。

多忙なので読書

日曜日には京都アートセンターのケージイベント。これについては、後で書く。そして、その間に読み終わった本三冊。コルタサル『秘密の武器』(木村栄一訳、岩波文庫)、マリオ・ブラーツ『肉体と死と悪魔』(倉智恒夫ほか訳、国書刊行会)、山本満喜子『ラテン音楽への旅』(三一新書)。感想は後で。

2012年11月3日土曜日

運動会

下の子の運動会。鳴尾浜の体育館で。親子競技(バトン持ち競争)やら、父親競技(三人四脚)、父母競技(玉入れ)などなど。あゆみは、リレーやら、組体操やら、パラバルーンではりきっていました。終わった後は、芝生の庭で、おばあちゃん特製お弁当。しかし、ちょっと寒かった。前から少し風邪気味だったのだが、本格的に。というわけで、本日の業務は終了とさせていただきます。

2012年11月2日金曜日

サラジーヌ

バルザック『サラジーヌ他三篇』(芳川泰久訳、岩波文庫)読了。『サラジーヌ』は、この訳者と同様、ぼくも、バルトの『S/Z』で読んでいたはずだが、全く忘れていた。パンゲ先生の講義を思い出す。バルトもパンゲ先生も、エコール・ノルマル出で、同性愛者だった(フーコーと一緒だ)。彼らの興味がやはり、男なのに女であるラ・ザンビネッラにあるのは、首肯させられる。パンゲ先生のcompagneは、カナダ人の男性だったが、彼らは共同でサルラの別荘を買ったのだった。そこに、一度、遊びに行ったことがある。パンゲ先生の墓参りをかねて。夏だったけれど、大変な雹が降ったことがあって、それが彼の頭に当たって血が流れたことを覚えている。彼は「空港aéroport」を奇妙に発音するのだった。ぼくが2001年にパリに渡った時に最初に住んだ、13区カンポ=フォルミオのアパルトマンも、彼らの所有だった。真下に理髪店があった(イザベルがぼくの担当だった)のと、裏にブルターニュ出身のインテリ(?)の魚屋があった。