音楽を作らないのに、Cap Kobe の「音楽を作る人に聞く?」に出演することに。でもまあ、「?」が入っているのだから、これが「音楽を作る人?」にかかっているということにしよう。(わけがわからない?)
http://www.cap-kobe.com/studio_y3/2012/12/16102201.html
2012年12月26日水曜日
武蔵野美術大学での講演
武蔵野美術大学でブリュンヒルド・フェラーリ女史の行った講演(私は聞き手)の「おこし」がアップされました。貴重な証言がいくつもあります、ぜひ御覧ください。
http://association-presquerien.hatenablog.com/entry/2012/12/24/213832
http://association-presquerien.hatenablog.com/entry/2012/12/24/213832
2012年12月22日土曜日
2012年12月19日水曜日
Froment-Meurice, Les Intermittences de la raison.
Marc Froment-Meurice, Les Intermittences de la raison. Penser Cage, entendre Heidegger,
Klincksieck 1982. 再読。まあ、ていのよい優等生ノルマリアンの作文ですな。頭はいいし、よくいろんな物事を知っているし、それらをうまーく結びつけることができる。ケージを考えて、ハイデッガーを聞く、なんてグッド・アイデアですよね。よいアイデアを、広範な知識と結びつけて、はい、いっちょあがり。でも、つまらない。これは、ジャック・アタリにも言えること。しかし、これは自戒の意味も込めて。ぼくの『音楽的時間』も『狂気の』もそんな面がなきにしもあらずだから。(ぼくは、彼らほど頭もよくないし、知識もないけどね。)だから、そんなんじゃない『セヴラック』が吉田先生に受けたのだと思う。
2012年12月17日月曜日
2012年12月13日木曜日
Contes magiques
ゆみさんのパリの家の近くのアリーグルの市場で古本も売っていて、何度か本を買ったのだが、その中の一冊、Louis Laloy, Contes Magiques, d'après l'ancien texte chinois de P'ou Soung-Lin (l'Immortel en exil), L'Edition d'art, 1925. を(ペッソアを読み終わったので)、夜寝る前に読み始めた。ラロワが中国学者でもあったことは知っていたが、こんな仕事もあるんだなあ、という興味くらいからだが、改めて P'ou Soung-Lin とは誰だかが気になって、いろいろ考えてみて、思い当たった。蒲松齢ですね、あの『聊斎志異』を書いた。多分そうだろうと思うが、まだ少ししか読んでいないし、『聊斎志異』もいちおう昔角川文庫版で全部読んだけど、覚えていないものなあ。しかし、蒲松齢が「不滅の亡命人(亡命中の不滅の人だけど)」というのは、なんだろう?
2012年12月11日火曜日
Pessoa, Oeuvres poétiques
Fernando Pessoa, Oeuvres poétiques, Gallimard (coll. Pléiade), 2001. 終わりの方は、飛ばし飛ばしだったけれども、いちおう読了。これだけの量で、まだまだ全部ではないのだから、すごい。従って、多様性も。単なるマイナーポエトではないね。しかし、ますますこれからはイベリアだろ、という感あり。そう言えば、昨日はスペイン語の前に兵庫県警まで行って、指紋を採られて来た(!?)、いやいやビザ申請用に「無犯罪証明書」というのが必要で、その申請時にそんなことをされるのです、いやはや。(いちおう、証明書発行後にはその記録は破棄されると書いてはあったが……。)
2012年12月9日日曜日
教会で(付:奈良ゆみたゆたう詩と音色)
今日は朝から教会に。午前中は礼拝。昼ご飯は近くの六甲荘でとり、午後からクリスマスの聖歌隊の練習。昨日は、モーツァルトサロンで、奈良ゆみさんの「たゆたう詩と音色の響き」と題されたショーソン(《蝶々》、《温室》、《オフェーリア》、《キャラバン》)、ドビュッシー(《マラルメ》、《忘れられた小唄》)、メシアン(《天と地の歌》)のリサイタル。ショーソンはなかなかよい。ちょっと「くすんだ」デュパルクといった体。基本はロマンである。メシアンはいつものメシアン節。東京から、沖縄から、わざわざ聴きに来る人あり、さらに東京でゆみさんが知り合った姫路の(!)市職員さん。
2012年12月7日金曜日
Bosseur, John Cage. & 『歴史としての音』
Jean-Yves Bosseur, John Cage, Minerve, 1993. と上尾信也『歴史としての音』(柏書房、1993年)読了。Bosseur の方は再読だが、あらためて巻末のインタビュー集の面白さに感心。まあ、それも、最近、ジャクリーヌ・コーの映画でその録音部分があるのをよく聞いていたからだろう、とも思うが。ダニエル・コーとボッスールのインタビューのトーンの違いもちょっと面白かった。上尾著書は、題材は面白いのに、そしてそこここに興味深い記述もあるのに、日本語がいけない。これは編集者の責任でもあるだろうが、誤字脱字どころか、言い回しや助詞の間違いなどのオンパレードで、すっと読もうにも突っかかってばっかりなのだ。ひいては、大事な資料の価値も正しく表現されないので半減である。残念!さらに言えば、もう少し、つっこんだ考察も欲しかったな。イエーツとかも少々出て来ているんだから、ネオプラトニズムだのなんだの、飛躍してもよさそうだが……。
2012年12月1日土曜日
Cage in and again
前の投稿で「Il treno de John Cage」と思い込んでいたのは、実は「Cage in and again」という、1970年11月にLes Halles で行われたケージのミュジサーカスの記録だった。そして、どうもその一週間後に「イル・トレノ」が放送されたらしいのだが、これはぼくが一週間間違っていたのか、フランスの放送にありがちな、突然の放送変更なのかは知る由もない。だいいち、今まで(20年間も!)きちんと聴き直していなかったわたくしがすべて悪いのでございます。しかし、録音レベルの問題も、単にもとのカセットデッキの音量を上げればよかったようで、後は、ガレッジバンドのフィードバックがうるさく表示されるのをいちいち消さなければならないのを除いては、完璧にCDにすることができた。嬉しいですっ!
Il Treno de John Cage
1992年12月27日20:30からラジオ・フランス(フランス・ミュージック)で放送された「Il Treno de John Cage」(これ自体が1978年の再放送)をエアチェック(おお、死語?!)して持っているのだが、カセットなのでCDにしたいと思い、behringer の U-Phono UF0202 というのを購入し、GarageBand を使ってやってみた。しかし、思いのほか、録音レベルが低く、うーむ……。これはどうしてだろう?そう言えば、明日には京阪電車でやはりプリペアード・トレインが走るはずだが(大倉さんからも案内あり)、明日はいづみの授業参観で行けない、残念だ。
2012年11月29日木曜日
L'épinette des Vosges & Mélodies de Debussy
先日の音楽学会全国大会で出店を出していたユニバーサルというCD屋で、Ocora シリーズのフランス篇「L'épinette des Vosges」と「Corse Corsica」を購入。コルシカの方は、分厚い解説書付きで本のようになっている。なかなか面白い曲集である。その間に、Francis Bayer, De Schönberg à Cage : Essai sur la notion d'espace sonore dans la musique contemporaine, 1981, Klincksieck をきちんと読了。これも留学時代に買ったまま、ときどき読み齧っただけだが、きちんと読むと、まあなかなかきちんと書かれた非常に良い本である。バイエールの授業は、パリ八時代に出席していて、ベリオの《セクエンツァ》全曲を、演奏者を呼んで演奏させながら、分析するという授業がすごく刺激的だった。
そして、昨日は奈良ゆみさんの歌で(不肖わたくしめの伴奏とお話しで)ドビュッシーの歌曲についてのレクチャーコンサートでした。すごく遠くからも(横浜からも!!)聴きに来てくれた人がいて、ゆみさんの人気のほどが知られたのでした。演奏は、ゆみさんからも言われたのだが、やっとピアノと歌との間のやりとりができるようになったかな、という感じ(というか、できるようになったので、嬉しいです)。
そして、昨日は奈良ゆみさんの歌で(不肖わたくしめの伴奏とお話しで)ドビュッシーの歌曲についてのレクチャーコンサートでした。すごく遠くからも(横浜からも!!)聴きに来てくれた人がいて、ゆみさんの人気のほどが知られたのでした。演奏は、ゆみさんからも言われたのだが、やっとピアノと歌との間のやりとりができるようになったかな、という感じ(というか、できるようになったので、嬉しいです)。
2012年11月19日月曜日
センチメンタル・テールズ
17日(土)「センチメンタルテールズ、ヘールシュピールの諸相」本番。実にさまざまな方々のご協力で無事に終了。下田さん、村上君、小島さん、Tazzさん、そしてジーベックの三井さん始め音響・ホール・照明担当の方々、演奏者の石上君、かつふじさん、渡辺さん、お手伝いしてくれた(同女卒業生でもある)高橋さん、横田さん、村上君の友人岡本君、そしてもちろんフランスから駆けつけてくれたブリュンヒルド・フェラーリさん、その他にも関係の人々みなさまのお力添えのたまものであります。しかし、ものずごい土砂降りになってしまったのが、残念でした。しかし、演奏は素晴らしいもので、ホールそして20台のすごいパワフルなスピーカーとあいまって、音響芸術の別世界を作り上げていた。世界初演、日本初演も目白押し。来ていただいた方には十分に堪能していただけたようである。
翌日のきのうは、ブリュンヒルドさん、渡辺愛さん、村上君と神戸。昼食は神戸デュシャン(Ferrari at Duchamp)。その後、明石。うおんたなに、ブリュンヒルドさん感激しておられた。港を見て、夜は神戸の南京町。
翌日のきのうは、ブリュンヒルドさん、渡辺愛さん、村上君と神戸。昼食は神戸デュシャン(Ferrari at Duchamp)。その後、明石。うおんたなに、ブリュンヒルドさん感激しておられた。港を見て、夜は神戸の南京町。
2012年11月15日木曜日
武蔵美と芸大
この間の土日は推薦入試で、月曜日に武蔵野美術大学へ行って、ブリュンヒルドさんとの対話形式による講演。インスタレーション『思い出の循環』について。クリストフ・シャルルが、とても素晴しい設営をしてくれたので、リュックさんの意図がよく理解できるインスタレーションになった。大きな4面のスクリーンが観客を取り囲み、映像が廻って行くなかで、12台のスピーカー(6台のCD)がさまざまに異なった音響・音楽を流して行く。その組み合わせは、一度として同じになることはない。会場の中を自由に歩き回れるために、これは観客が生み出す作品だ。その上、スクリーン上には、観客である我々のシルエットが写り、まるで我々自身が作品の中に参加しているようだ。講演の後は、神楽坂のクリストフの自宅でご飯をごちそうになった。奥様は、デザイン研究をなさっている日本人の研究者。エゴン君という息子が一人。もう14歳という。ダニエル・シャルルが、赤ちゃんだった彼をだっこしている写真を見た覚えがある。いろいろな話で盛り上がる。翌日は、東京芸大の千住キャンパスで、特別講義。これは、西岡先生という方の授業の枠で、アレンジは渡辺愛さんである。ぼくは、通訳に徹しておりました。しかし、始まりが18時で終了20時ということで、最終の新幹線に飛び乗りました。水曜日の一校時目からの授業のため。このような強行軍がたたったのか、のどをやられ、ひどいガラガラ声。木曜のこれからは、同大今出川の寒梅館で、ブリュンヒルドさんのお相手をしなければならないが、大丈夫か?
2012年11月11日日曜日
春秋2012/11
この間の京都でのケージ・コンサートで、柿沼さんから『春秋』2012年11月号を貰ったのだった。今日の入試二日目の通勤途上で電車の中で、読んだ。「現代音楽」を専門にする若い音楽学者が育っていることに、ちょっと安心。以下は感想。
三橋圭介『ジョン・ケージ・ショック』は、よくまとまったケージ思想の紹介。ここから、どう行くか、だね。ケージがニューヨークの音を聴いた、とか、電車の中でぼんやりして音を聴く、とか、から今度はひるがえって(おお、翻る!)、そんな日常で音を聴く体験がなぜ特権的になれるのか、とか、つまり、普通は聴いていないのに、聴いてみるとよかった、というのは、何となく予定調和的なのであって、普通は聴かない、ということは、どういうことなのか、ということを問うてみる必要がある。聴くということは、とういうことなのか。そんな意味で、もちろん、音から意味を聴き取らない聴き方(ケージ)に正反対の、リュック・フェラーリ的な、音には意味がいっぱいあるからこそ面白い、という態度はどうとらえるべきなのか、考えてみよう。音から意味を取り去るというのは、実は、けっこう「前衛的」でブーレーズだって、ある意味で、それを目指しているわけだ。
中川克志『現代音楽の「現代」ってなに?』も、よくまとまって、わかりやすい。ただ、今、仕事の必要があって、フランシス・バイエールの『シェーンベルクからケージへ』をちゃんと読み直しているのだが、彼のように本当にきちんと現代音楽をいちいち分析して行くと、いわゆるヨーロッパ流の「前衛」も、決して一枚岩ではなくて、ブーレーズだけで代表させられては困る、という感じがする。シュトックハウゼンだって、あの人は、千変万化だしなあ。クセナキスは?
そして、柿沼さんの『ケージ以後の音楽』。これもとても要領よく、ポスト・ケージの流れを紹介してくれて、とっても役に立つんじゃないだろうか。グレン・ブランカについては、これも大里さんから教わって、そのもの凄さにちょっとついていけなかったのを覚えている。そして、もちろん、ヴェルヴェットもぼくにとっては大里さんからの御教示である。でも、どうも、ぴんと来ませんでした。今度ちゃんと聴いてみます。すみません、柿沼さん。(でも、イーノは好きですよ。ペンギン・カフェも。この流れに、例のピンク・マーティニー[&由紀さおり]もいる感じですね。)
寒川晶子『ケージを再演しながら考えたこと』では、このようにして、ケージが再解釈されて行くんだな、と思いました。ぼく個人的にはちょっとだけ違和感もないわけでもないが、ケージはいつものように笑っているんだろうな。
三橋圭介『ジョン・ケージ・ショック』は、よくまとまったケージ思想の紹介。ここから、どう行くか、だね。ケージがニューヨークの音を聴いた、とか、電車の中でぼんやりして音を聴く、とか、から今度はひるがえって(おお、翻る!)、そんな日常で音を聴く体験がなぜ特権的になれるのか、とか、つまり、普通は聴いていないのに、聴いてみるとよかった、というのは、何となく予定調和的なのであって、普通は聴かない、ということは、どういうことなのか、ということを問うてみる必要がある。聴くということは、とういうことなのか。そんな意味で、もちろん、音から意味を聴き取らない聴き方(ケージ)に正反対の、リュック・フェラーリ的な、音には意味がいっぱいあるからこそ面白い、という態度はどうとらえるべきなのか、考えてみよう。音から意味を取り去るというのは、実は、けっこう「前衛的」でブーレーズだって、ある意味で、それを目指しているわけだ。
中川克志『現代音楽の「現代」ってなに?』も、よくまとまって、わかりやすい。ただ、今、仕事の必要があって、フランシス・バイエールの『シェーンベルクからケージへ』をちゃんと読み直しているのだが、彼のように本当にきちんと現代音楽をいちいち分析して行くと、いわゆるヨーロッパ流の「前衛」も、決して一枚岩ではなくて、ブーレーズだけで代表させられては困る、という感じがする。シュトックハウゼンだって、あの人は、千変万化だしなあ。クセナキスは?
そして、柿沼さんの『ケージ以後の音楽』。これもとても要領よく、ポスト・ケージの流れを紹介してくれて、とっても役に立つんじゃないだろうか。グレン・ブランカについては、これも大里さんから教わって、そのもの凄さにちょっとついていけなかったのを覚えている。そして、もちろん、ヴェルヴェットもぼくにとっては大里さんからの御教示である。でも、どうも、ぴんと来ませんでした。今度ちゃんと聴いてみます。すみません、柿沼さん。(でも、イーノは好きですよ。ペンギン・カフェも。この流れに、例のピンク・マーティニー[&由紀さおり]もいる感じですね。)
寒川晶子『ケージを再演しながら考えたこと』では、このようにして、ケージが再解釈されて行くんだな、と思いました。ぼく個人的にはちょっとだけ違和感もないわけでもないが、ケージはいつものように笑っているんだろうな。
2012年11月9日金曜日
読書感想文
まずプラーツ『肉体と死と悪魔』。これは6月のシンポジウムで同席した高階秀爾先生(勲章おめでとうございます)が、「プラーツのロマンティック・アゴニーは必読」とおっしゃっていたので宿題。しかし、デカダンの作家がこれほど多かったとは。特に19世紀末フランスはほとんど全員がそれ。特に、薔薇十字のペラダンと右翼(?)のバレスもそうだったとは、知らなかった。前者はサティ、後者はセヴラックと密接な関係がある。そして、デカダンの一部分がイギリス由来というのも面白い。次にはコルタサル『秘密の武器』。これは仏訳で読みかけたのだが(「秘密兵器」というものかと思っていた)、これほど面白いとは思わなかった。ちょっと手塚治虫を思い起させたりして(これは多分どこかに共通の根っこがあるに違いない)。最後は山本満喜子『ラテン音楽』。これは三宮の古本屋でたまたま見つけたもの。なんと1963年刊の本である。この山本という人は、山本権兵衛の孫だということで、まあ名家の出ですな。それがなぜか知らないがいきなりアルゼンチンに渡ってしまって、いろいろな音楽に出会う、というわけだが、何しろスタイルが変な女言葉(もしかしたら、当時はかっこよかったのかも)で、「〜やっちゃうのよ」みたいなので鼻につくことおびただしい。その上、表面的には、一般に虐げられた下層階級の人々への同情に満ちているのだが、本人が、どう見ても大ブルジョアでその生き方を変えていないようなので(昔、スイスのレマン湖のほとりで、うんぬん)、説得力に乏しいこと。なんだかなあ、という感じ。スペイン語の訳はどうなのか、ぼくのわかる範囲では、適当にごまかしている感じだけど。
2012年11月7日水曜日
同志社女子大のインスタレーション
いよいよ今週月曜日から始まりました、リュック・フェラーリのインスタレーション『思い出の循環』。もう一度、あのかっこいいポスターを。
どのような状況なのか、ちょっと写真を撮ってきました。知徳館の入り口はこんな感じ。
建物内の中庭に面した窓にも貼られています。
mscギャラリーというのは、ちょっとわかりにくい。廊下の中ほどにいきなりあります。この右手の掲示板の横のドアがその入り口。
中には、本当にミニチュアのインスタレーションが。ぼくが月曜に行った時は調整中でした。しかし、本日、水曜日にはきちんと整備され、入り口にもキャプションが貼付けられていました。どんなようすなのか、ちょっと写真をアップしておきます。(調整中の脚立が移ってしまっていますが、本当はありません。)
どのような状況なのか、ちょっと写真を撮ってきました。知徳館の入り口はこんな感じ。
そばによると、このポスターが。
mscギャラリーというのは、ちょっとわかりにくい。廊下の中ほどにいきなりあります。この右手の掲示板の横のドアがその入り口。
中には、本当にミニチュアのインスタレーションが。ぼくが月曜に行った時は調整中でした。しかし、本日、水曜日にはきちんと整備され、入り口にもキャプションが貼付けられていました。どんなようすなのか、ちょっと写真をアップしておきます。(調整中の脚立が移ってしまっていますが、本当はありません。)
John Cage 100th anniversary countdown event 2007-2012 final
というわけで、先日日曜日のニシジマ・アツシ、稲垣貴士、Gak Sato、竹村延和、Haco、村井啓哲、森本誠士、森本ゆり(敬称略、順不同)による、京都アートセンターでのケージ100歳記念カウントダウン。曲は、前半が一階で、Variations VI、後半は二階で、Root of Unfocus、Cartridge Music & Solo for Voice 1、Music for Amplified Toy Pianos、One7 & Inlets、Ophelia。前半は、JCCE Chronicle 2007-2011というインスタレーションが周りにあって、その中での演奏(始まりと終わりは曖昧に、という指示)。聴衆は自由に動くことができる。こういう時には、いろいろと考えることができて、その時にプログラムの端っこに殴り書きしたものがここにある。「無秩序 ― Adorno 現代社会の反映 etc. 聴きにくいだろう、だからこれはそのような社会の反映だ etc. これは音楽ではない、聴くものではない、ただそこに居るというだけのもの ― 庄野の言う立ち会い、cf. Feldman。各々が別々のことをする = 各々の表現? ちがう。生きている証? cf. 近藤譲。それが最もわかりやすいのは、記憶あるいは意味を使うこと、Cycle des souvenirs ― しかし、各人の個性を Cage は嫌った? Musicircus = music + circus 祭り?やはり、その場にいることに意味がある、初詣とか? 周りに最初から流れている4つのビデオ&音響はどうか? 演奏中も存在する。これは Cage の意図とは違うのでは? しかし、意図とは? 変化がないので飽きる → 禅? 飽きたので歩き回る、spectacle 性はあり(音だけでは5分ともたないだろう)、個々の奏者が何をやっているのか具体的に知ることができればなおよかった? → 回るとけっこう楽しい。自らも見られ/見る spectacle 。音響の位置が異なるので、自ら変化を作り出せる → 知人と会うという situation 楽譜の指示だけからではわからない。」第二部も、もちろん十分に楽しめるものでありました。ただ、真っ暗だったので、第一部の時のようなメモはなし。
2012年11月2日金曜日
サラジーヌ
バルザック『サラジーヌ他三篇』(芳川泰久訳、岩波文庫)読了。『サラジーヌ』は、この訳者と同様、ぼくも、バルトの『S/Z』で読んでいたはずだが、全く忘れていた。パンゲ先生の講義を思い出す。バルトもパンゲ先生も、エコール・ノルマル出で、同性愛者だった(フーコーと一緒だ)。彼らの興味がやはり、男なのに女であるラ・ザンビネッラにあるのは、首肯させられる。パンゲ先生のcompagneは、カナダ人の男性だったが、彼らは共同でサルラの別荘を買ったのだった。そこに、一度、遊びに行ったことがある。パンゲ先生の墓参りをかねて。夏だったけれど、大変な雹が降ったことがあって、それが彼の頭に当たって血が流れたことを覚えている。彼は「空港aéroport」を奇妙に発音するのだった。ぼくが2001年にパリに渡った時に最初に住んだ、13区カンポ=フォルミオのアパルトマンも、彼らの所有だった。真下に理髪店があった(イザベルがぼくの担当だった)のと、裏にブルターニュ出身のインテリ(?)の魚屋があった。
2012年10月31日水曜日
エル・グレコ
エル・グレコ展に行って来た。
このポスターの絵『聖ラウレンティウスの前に現れる聖母』もそうだけれど、幻視の絵がたくさんある。『聖母の前に現れるキリスト』、『聖マルティヌスの夢』、『フェリペ二世の栄光』、『福音書記者聖ヨハネのいる無原罪のお宿り』。特に最後のものは、観る者が聖ヨハネの位置にいて、あたかも一緒に幻視を観ているような気にさせる。当時の反宗教改革の中での、神秘主義的傾向の影響か。イエズス会のロヨラとかザビエルとか、関係があるのだろうか。そして、十字架の聖ヨハネ。要探求である。
帰りがけに、ちょっと川端北をを堂島の方へ行ったら、福沢諭吉生誕の地があった。説明に「大教育者」と書いてあって、ちょっと微笑。
このポスターの絵『聖ラウレンティウスの前に現れる聖母』もそうだけれど、幻視の絵がたくさんある。『聖母の前に現れるキリスト』、『聖マルティヌスの夢』、『フェリペ二世の栄光』、『福音書記者聖ヨハネのいる無原罪のお宿り』。特に最後のものは、観る者が聖ヨハネの位置にいて、あたかも一緒に幻視を観ているような気にさせる。当時の反宗教改革の中での、神秘主義的傾向の影響か。イエズス会のロヨラとかザビエルとか、関係があるのだろうか。そして、十字架の聖ヨハネ。要探求である。
帰りがけに、ちょっと川端北をを堂島の方へ行ったら、福沢諭吉生誕の地があった。説明に「大教育者」と書いてあって、ちょっと微笑。
2012年10月27日土曜日
センチメンタル・テールズ
昨晩は、大阪梅田第二駅ビル某所にて、作戦会議。参加者:下田さん、村上君、小島さん、石上君、Tazzさん、そしてわたくしめ。みな、シンケンに、喧々諤々、鳩首凝議、百家争鳴、ひとまずの方向性画定である。
もういちど、下に引用します。
ヘールシュピール (ラジオドラマ) の諸相 ~ センチメンタルテールズ
ドイツ音響芸術の重要なジャンルであるヘールシュピールの紹介をまとまった形で行う日本で初めての試み
~ リュック・フェラーリの協力者として常に彼の創作活動に寄り添って来た、ブリュンヒルド・フェラーリ (Brunhild Ferrari) との共作として発表された一連の『センチメンタル・テールズ Contes sentimentaux』と、日本側でのヘールシュピールの創作例として、石上和也、かつふじたまこ、渡辺愛の電子音響作品も合わせて、このジャンルの多様な側面を紹介する ~
出演:ブリュンヒルド・フェラーリ、石上和也、かつふじたまこ、渡辺愛
日時:2012年11月17日(土) 開場(16:00) 開演(17:00)終演(20:40)
*開演前にホワイエにて作品上演あり:Luc Ferrari / Brunhild Meyer:Music Promenade (1964-1969)
会場:ジーベックホール
神戸市中央区港島中町7-2-1
tel:078-303-5600
料金:2,000円(定員100名)
主催:センチメンタルテールズ上演委員会
予約問合せ:C.A.P. 078-222-1003/info@cap-kobe.com(担当:下田)
協賛:TOA株式会社
後援:同志社女子大学音楽学科、同志社女子大学音楽学科「頌啓会」
制作協力:株式会社ジーベック
協力:同志社大学今出川校地学生支援課、武蔵野美術大学、キャロサンプ、C.A.P.(芸術と計画会議)
もういちど、下に引用します。
ヘールシュピール (ラジオドラマ) の諸相 ~ センチメンタルテールズ
ドイツ音響芸術の重要なジャンルであるヘールシュピールの紹介をまとまった形で行う日本で初めての試み
~ リュック・フェラーリの協力者として常に彼の創作活動に寄り添って来た、ブリュンヒルド・フェラーリ (Brunhild Ferrari) との共作として発表された一連の『センチメンタル・テールズ Contes sentimentaux』と、日本側でのヘールシュピールの創作例として、石上和也、かつふじたまこ、渡辺愛の電子音響作品も合わせて、このジャンルの多様な側面を紹介する ~
出演:ブリュンヒルド・フェラーリ、石上和也、かつふじたまこ、渡辺愛
日時:2012年11月17日(土) 開場(16:00) 開演(17:00)終演(20:40)
*開演前にホワイエにて作品上演あり:Luc Ferrari / Brunhild Meyer:Music Promenade (1964-1969)
会場:ジーベックホール
神戸市中央区港島中町7-2-1
tel:078-303-5600
料金:2,000円(定員100名)
主催:センチメンタルテールズ上演委員会
予約問合せ:C.A.P. 078-222-1003/info@cap-kobe.com(担当:下田)
協賛:TOA株式会社
後援:同志社女子大学音楽学科、同志社女子大学音楽学科「頌啓会」
制作協力:株式会社ジーベック
協力:同志社大学今出川校地学生支援課、武蔵野美術大学、キャロサンプ、C.A.P.(芸術と計画会議)
2012年10月23日火曜日
2012年10月20日土曜日
旧グッゲンハイム邸でのライブ
バールさんの旧グッゲンハイム邸でのライブ。アクトコーベの人たちが、多く参加していたとのこと(下田さん談)。ぼくはよく知らないのだが、大変にユニークな人たちの集まりである。出演者は以下の通り。Barre Phillips、斎藤徹、久田舜一郎、稲田誠、森本アリ、Haco、Hiros、石上和也、川崎義博、角正之、東野健一、白井廣美、佐久間新。グッゲンハイム邸も初めて行ったのだが、広い庭のついた(夜だったので海は見えなかったけれど)、とても気持ちのよい洋館である。最初のセッションで、三挺のベースと鼓が共演して(それにアリさんの「雑音」がからむ)、それが塩屋という伝統日本的な場所の西洋館で、西洋のベースと日本の鼓(謡)が聴こえてくるという、外と内がうまく対応しているような不思議な感覚だった。(Hirosさんのカレーの美味しさを言うのを忘れた。彼のレシピ通り作っても、自分ではうまくいかないのに、彼のは美味しい、なぜ?)
2012年10月18日木曜日
ダンディのベートーヴェン
ヴアンサン・ダンデイ『ベートーヴェン』(冨士原清一訳、新太陽社、昭和18年!)読了。以前に手に入れておいたもの。ダンディの反ユダヤ主義とか、王統派思想がよく現れている。まあ、ベートーヴェン(とワーグナー)への帰依もあるけどね。面白かったのは、106頁の注で「audition colorée」という言葉が訳者には、わからなかったのだろう、「音波を色彩に還元する実験会のことか?」と書いている。これは、いわゆる「色聴」のことだろう。ダンディも「synesthésie」という言葉は知らなかった(まだなかった?)と見える。そして、昭和18年の段階では、日本にはそんな言葉(概念も)なかったらしい。(今、ちょっとプチ・ロベールを引いたら、1872年には使用例があるらしい。ということは、ダンディの不勉強!ですな。『ベートーヴェン』の原著は1913年の出版である。)
2012年10月17日水曜日
バール・フィリップス
同女でバール・フィリップスの公開講座。直前には学部会議、直後に教授会、その上、今日は一時間目からの授業で、朝6時に家を出るという、なんというか我ながら鉄人並みのハードスケジュールであった。公開講座では、ちょっとした司会も。しかし、バールさんのコントラバスはやはり凄い。そして、常に「Right now」が大事だと言っていたのが、まさしく先日のケージ・コンサートで話したようなこととマッチしていて、おお、ここにも同じことを考えて実行している人がいる、と深く頷いたのでありました。それにしても、彼の音は、何というか、ほとんど官能的な(ベースの腹を撫でる彼の手!)音(音楽)への愛を感じるね。
バルトークと線量計
伊東信宏『バルトークの民俗音楽編曲』(大阪大学出版会)、片山杜秀『線量計と機関銃』(アルテスパブリッシング)両著ともご恵贈いただいていたのだが、今朝の通勤電車の中で読了。実に日本の音楽学(というかクラシック音楽をめぐる言説)の両極端のような二快著。かたや素晴らしい実証研究、かたや素晴らしい博識と社会への目配りである。このような著者たちがいれば、さしあたり「安心」な気も。伊東さんの学者としての完璧さは知っていたが、片山さんは、彼を知る友人から「オタク」と仄聞していたので、なかば半信半疑だったが、なかなか「まとも」な人ではないですか。とても気持ちよく早朝の通勤電車を降りたのだった。
2012年10月16日火曜日
2012年10月15日月曜日
Sentimental Tales
そろそろ、来月11月17日(土)神戸ジーベック・ホールでの「センチメンタル・テールズ」コンサートのさまざまな準備作業が本格始動である。情宣のためにこんな文を書いた。
「このたび、フランス現代音楽の巨匠リュック・フェラーリ(1929〜2005)の未発表作品を含め、彼の未亡人ブリュンヒルド・フェラーリの新作ほか、内外の電子音響音楽の野心作ばかり集めたコンサートを神戸で開催いたします。 今回はブリュンヒルド・フェラーリ女史御本人も来日され、さまざまな関連の催しも東京や関西各地で行われます。 ぜひ、この機会をお見逃しなく、御来聴頂ければ、さいわいです。」
詳しくは、下のチラシをごらんください。
そして、これがそのうらです。
「このたび、フランス現代音楽の巨匠リュック・フェラーリ(1929〜2005)の未発表作品を含め、彼の未亡人ブリュンヒルド・フェラーリの新作ほか、内外の電子音響音楽の野心作ばかり集めたコンサートを神戸で開催いたします。 今回はブリュンヒルド・フェラーリ女史御本人も来日され、さまざまな関連の催しも東京や関西各地で行われます。 ぜひ、この機会をお見逃しなく、御来聴頂ければ、さいわいです。」
詳しくは、下のチラシをごらんください。
そして、これがそのうらです。
2012年10月11日木曜日
Pascal Dusapin
二時間強の通勤時間のうちに、Pascal Dusapin. Flux, trace, temps, inconscient - entretiens sur la musique et la psychanalyse, Editions Nouvelles Cécile Defaut, 2012 を読み終わる。しかし、得るところのなんと少ない読書だっただろう!デュサパンが癲癇患者だったこと、作曲しているときだけ安心していられること、これだけだ。音楽のこと、精神分析のこと、デュサパンの作品、ラカンのこと、などいろいろ教えられかと思って購入したのだったが、全然だめ。対話相手は、みなラカン派の精神分析者なのだが、これが……、なんだかなあ。確かに、売れっ子の作曲家で、こんなに若くしてコレージュ・ド・フランスの教授になって、デュサパンは「偉い」のかも知れないけど。こんなにへいこらしていていいのか。そして、デュサパン本人はもう、ほとんど何も言っていないに等しい。無駄な読書時間であった(というわけで、JR遅延の上に、疲労困憊が重なったのであります。)
2012年10月8日月曜日
戦後文学は生きている
海老坂武先生からご恵贈いただいた『戦後文学は生きている』(講談社現代新書)京都への2往復の間に読了。大岡昇平、坂口安吾、石川淳、丸山真男、安部公房、大江健三郎、深沢七郎らの作品は昔々に読んでいて、懐かしく思い出した。その他の作品も読んでみたいものばかり。梅崎春生、原民喜、中野重治などなど。しかし、森有正だけは、どうもピンと来ない。(まあ他にも、開高健、鶴見俊輔、小田実などもそうなのだが。)これは、どうも「体質」みたいなものであって、「合わない」んだね。先ほどの会津八一もそうだけれども、同じ現代短歌なら、どうしても釈迢空ということになる。(そんなに知っているわけでもないが。斎藤茂吉?うーん?)ともあれ、海老坂先生の「読み」には、教えられるところ大。このような「知識人」が、少なくなっている昨今、まさしく頼りになる存在だ。
礼拝・会津八一展
今日は今出川で礼拝。お話しとピアノ。その後、裏の相国寺で会津八一展をやっているのを見に行った。好ましいのだが、これという心を打つものがない。これはなぜでしょう。でも嫌いじゃないんですよ。むしろ好きなのだが。
相国寺はこんな広大な寺域である。なにしろ、何億という地代を払って同志社が土地を借りているのである。
中の塔頭の一つに「雁の寺」というのがあって、そこでは水琴窟が目玉らしい。
しかし、拝観はできないのであった。うーむ……。
相国寺はこんな広大な寺域である。なにしろ、何億という地代を払って同志社が土地を借りているのである。
中の塔頭の一つに「雁の寺」というのがあって、そこでは水琴窟が目玉らしい。
しかし、拝観はできないのであった。うーむ……。
2012年10月7日日曜日
ケージ×ビートルズ
「ケージ×ビートルズ」無事終了。高橋アキさんのピアノはいつでも素晴らしい。私たち参加の《ビートルズ1962-1970》も(多少の「事故」?はあったものの)なんとか無事に終わりました。聴きにきてくださったみなさまには感謝です。しかし、演奏する方もとても楽しませてもらいました。
2012年10月6日土曜日
ピアニストになりたい
岡田暁生『ピアニストになりたい!』(春秋社)遅まきながら読了。昨日は大学から直に京都コンサートホールのゲネプロ。その行き帰りに読み終わった。よく事実を調べてあって、ちょうどぼくの『狂気の西洋音楽史』が応用課題だとしたら、その基礎課題みたいな感じだった。でもこういう基礎的なこと、事実の積み重ね、実証主義が大事だよね。しかし、多少の誤植や誤りあり。特にパリコンセルヴァトワールの初期のピアノ教授の名前を、「ルイ・アダム」としているが、この人が《ジゼル》の作曲者アドルフ・アダンのお父さんだということを彼は知らなかったに違いない。つまり、「アダム」ではなく、「アダン」です。(まあ、かくいうわたくしめも、アドルフ・アダンの回顧録を読む前は知らなかったわけですが。ちなみに、この回顧録にはその頃のピアノ科のことなども書いてあって興味深い。)さらに言えば、重大な矛盾として、18世紀的な演奏観が19世紀になって産業革命的な機械的演奏観に取って代わられた、という全体の流れからすると、最初の方にあるシュナーベルの演奏法(20世紀)はチェルニーのそれと一致するというのは、(そしてチェルニーは18世紀的、古典派的演奏法だ)それに棹さしている、と思われた。もちろん、例外は常にある、と言えばおしまいだが、その辺りの一筋縄でいかない反論理的な部分に音楽の面白さがある、というところまで踏み込んで欲しかった。
2012年10月4日木曜日
おばけずき
泉鏡花『おばけずき』(東雅夫編、平凡社ライブラリー)読了。鏡花のスタイルはいつ読んでも心地よい。(でもよくわからないところもあるけどね。)「身体のないものが、踵ばかり畳を踏んでやってくる」というのは、鬼気迫る。しかし、全体的にはそれほど怖くなかったな。
2012年10月3日水曜日
ピアニストの脳を……
古屋晋一『ピアニストの脳を科学する』(春秋社)読了。新しい発見はなし。まあしかし、感覚的にわかっていることを数量的に科学的に表現することは、意味のないことではないだろう。しかし、聴いた音をすぐに演奏できるとか、暗譜の方法については、異議あり!(つまり、少なくとも私は違います。)(しかし、どこまでがプロのピアニストで、どこまでがアマチュア、どこまでが「しろうと」という、線引きはむずかしそうだね。)
2012年10月1日月曜日
2012年9月29日土曜日
2012年9月28日金曜日
ピアニストの系譜
真嶋雄大『ピアニストの系譜 — その血脈を追う』(音楽之友社)読了。何か教えられるところがあるかと思って読んだのだが、どうもこの本の記述は客観的な事実なのか、筆者の思い入れなのか、曖昧なところが多すぎる。人名の読みの間違い(ジャック・ファブリエではありません!そんなファブリーズみたいな名前ではなく、フェブリエです。ソブラジとか、ヴァイオリストとかはご愛嬌?)とか事実誤認(ヴァレーズがピアニスト?)もあり、しかも全く参考文献がない!まあ、著者もしっかりした学問的研究を狙っているわけでもなさそうだから、それでいいと言えばいいのかも知れないが、でもなあ……。単なる音楽読み物とか、そういうものかな。でも、こういうものを読んで、日本の読者たちに片寄った偏見が植え付けられなければよいが(「民族」とか「血統」とかは最重要だ、とか)。PS:個人的には、マリー・ジャエルのこととかがわかるかな、と思ったのでした。全く言及なし。よく考えたら、シャミナードのことだって何にも書いてないぞ。もっと言えば、グレインジャーも丸無視!
2012年9月18日火曜日
磯江毅
河口湖の美術館で磯江毅の展覧会をやっていたので、見に行った。とてつもない写実である。絵で本物のように描く。それなら、写真を撮ればいいじゃないか、という考えもあるかもしれない。違うんだなあ。写実画は写真よりも「真」を「写」している。質感といったらいいだろうか。だからこれは「視覚」プラス「触覚」の芸術である。そして、触るためには、順番に撫でて行かなければならない。私たちも目で「撫でて」行くのである。だから、時間がかかる。写実画を描くのにも、大変に時間がかかるそうだ。私たちは、それをミニチュアで再構成しているのかもしれない。
2012年9月10日月曜日
山は山、川は川
禅の修行前には山は山で、川は川である。修行中にはそれは何が何だかわからなくなる。しかし、修行後には、また山は山で川は川である。これとまったく同じことが、真木悠介『気流の鳴る音』にあって、我が意を得たりという感じだったが(順番はむしろ逆だったが)、今から思えば、真木祐介(見田宗介)にはそうとう禅の影響とかがあるのかも。そして、今回のケージ論もこれです。乞うご期待(というほどでもないか)。
2012年9月7日金曜日
Montsalvatge
Montsalvatge のCD(Canciones & Conciertos)を買って、知らない曲ばかりだと思っていたら、実は昔から知っていた。Cinco canciones negras で、これは確かビクトリア・デ・ロスアンヘレスの演奏で、よく聴いていたものだった。 Séverac のオルガン曲全集&合唱とオルガンのモテット集も買った。そして Cage, Works for percussion (1936 - 1991)。ナンバーピースが三曲入っている。
2012年9月5日水曜日
2012年8月31日金曜日
Jean Beaufret
Jean Beaufret, Entretiens, P.U.F., 1984. 読了。ダニエル・シャルル先生おすすめだったのに、不肖の弟子はやっと今頃読み終わったのでありました。ギリシャ語のテクネーが、技術と芸術と二つの言葉に分かれる話は、自分でも美学の講義で何度も話をしたが、その「アート」でない方(裏面)の方の「テクニック」の話は図らずも新鮮、そして今日なお、というか今までにまして重要と感じた。なぜ、フクシマとハイデッガーという構図が論じられないのだろう。
2012年8月30日木曜日
サン=サーンスの墓
パリには25日に帰って来て、ちょっといました。その間に、時間を見つけてモンパルナス墓地へ。懸案のサン=サーンスの墓へ。
ユダヤの星があると思ったのは、内部の薔薇窓でした。しかし、よく似ている。これは、わざと?
ユダヤの星があると思ったのは、内部の薔薇窓でした。しかし、よく似ている。これは、わざと?
2012年7月26日木曜日
Saint-Saëns
Jean Bonnerot, C. Saint-Saëns, sa vie et son oeuvre, A. Durand et fils, Editeurs, 1923 を読んだ。これも例の田村書店での収穫のひとつ。もともと Alliance française の図書館所蔵本だったらしいのだが、中にはんこで Alliance française bibliothèque Chang-Maï とあって驚いた。タイのチェンマイのことでしょうね。そこからどうやって神田神保町に流れて来たのか?しかし、1921年にサン=サーンスは亡くなっているので、その直後の伝記、たぶん最初のものでしょうが、急いで書いた感がありありと。同じようなフレーズが何回も出てくる。そしてほとんどが何年にどこで何をした、みたいな話で、作品の記述も分析もない。たまーに感想めいたものが入るくらい。そこで、この Bonnerot とは誰なのかな、と思っていたが、最後の最後、本文後の付録にサン=サーンスの出生証明書と遺言書があって、何とそこに名前があった。つまり彼はサン=サーンスの遺言執行人だったのだ。うーむ、どういう関係なのだろう?
2012年7月17日火曜日
近藤譲さん
一昨日から東京で、まず柴俊一さんと会っていろいろと話す。ピアニストの話で本が書けないか、と。面白そうだが、どんなアプローチがあるかな?そして、昨日はお茶の水女子大まで行って、近藤譲さんにお話を聞いた。ちょうどオープンキャンパスということで、親子連れなどがちらほら。約束の時間前にちょっと時間があったので、一駅手前で降り、後楽園へ行ってみようと思ったが、駅から結構遠い。入り口に辿り着けず挫折。お茶大には初めて行った。近藤さんの研究室でいろいろとお話しをうかがうことができた。(その中身はいずれ……。)その後は、一緒に東京駅で食事。ぼくはそのまま新幹線で帰宅。
2012年7月9日月曜日
2012年7月8日日曜日
呼吸する美術
芦屋市立美術博物館に行った。二つ展覧会があって、ひとつが「呼吸する美術」、もうひとつが「古代の芦屋」。どちらもすごく面白かった。前者は、現代アートの若手と、いわゆる「しろうと」さん、そして障害者の人の作品を展示している。なかでも、やはり、障害者の人の作品はインパクト大である。これはなかなか言葉にしにくい。彼らのぎりぎりの「切羽詰まった表現」が心を打つ。ちょうど近藤譲の作品について考えをめぐらせているところだったので、「表現」とは何か、「芸術作品を作る」とはどのようなことか、を考える手がかりになりそうだ。つまり、近藤作品は「何の表現でもないし、素晴らしい構造体を作るわけでもなく」、「無目的という目的さえない」芸術である。障害者の人たちの作品(アール・ブリュット、アウトサイダー・アート)は、「切羽詰まったもの」であるが、これもまた何かの「表現」かというと、そうではないだろう。また「芸術」でさえないかも知れない。(少なくとも彼らは芸術作品を作ろうという目的など持っていない。)しかし、考えてみると、近藤譲氏もまた「切羽詰まっている」かも知れない。
「古代の芦屋」の展示については、自宅の近所に太古の昔から人々が生活していたのだ、ということに感動を覚える。(そして、自宅横には阿保親王塚があるのだった。ここからの出土品というのはあるのだろうか?)
「古代の芦屋」の展示については、自宅の近所に太古の昔から人々が生活していたのだ、ということに感動を覚える。(そして、自宅横には阿保親王塚があるのだった。ここからの出土品というのはあるのだろうか?)
2012年7月6日金曜日
ジーベックと打ち合わせ
昨日は、神戸ポートアイランドにあるジーベックホールで、11月のリュック・フェラーリ・センチメンタルテールズ上演についての打ち合わせ。ジーベックは音響機器の会社なので、ホール内やホワイエなどいたるところに、スピーカーが設置されている。いながらにしてアクースモニウムという環境。同女(情メの森先生)と武蔵美(クリストフ・シャルル)でのフェラーリ・インスタレーションもほぼ決まりだし、京都造形大にもわたりをつけようというので、なかなか好調な滑り出し。その後、下田さんは翌日(すなわち今日)朝早いというので(日韓共同映画撮影という!)帰宅、石上君、村上君、わたくしで三宮の飲み屋でいろいろ話す。プレスク・リヤン日本支部を設立しようという件もあり。がんばりましょう!
2012年7月1日日曜日
ロマン派
昨日は、日帰りで、恵比寿の東京日仏会館での日仏文化講座「ロマン派芸術最高!」シンポジウムに参加。高階秀爾先生とは初めて間近でお話しした。三浦篤さんもお元気そうである。鈴木康司先生、小林善彦先生、安藤元雄先生みなさん、お変りなく、ぼくの学生時代と変らないのには驚いた。(安藤先生は杖をついて、多少歩きにくそうではあったが。)太田泰人さん、高橋明也さんとは初対面。高橋さんは、自らが館長である三菱一号館美術館に最近ルドンの壁画を買ったということで、ルドンと音楽といったテーマで何かやりたいと。ぼくのブログなど見てくれていた。深尾由美子さんも来てくれていた。メールのやりとりはあったが、初対面。ほかにもさまざまな人が来てくれていて、感謝感謝。
そして、今日はいづみの小学校の音楽会。創立110周年ということで、神戸文化ホールで、けっこうな催しでした。小学校ともなると、なかなかやるね。関西フィルの人たちの出演もあり。帰りは三宮凮月堂で御茶。
そして、今日はいづみの小学校の音楽会。創立110周年ということで、神戸文化ホールで、けっこうな催しでした。小学校ともなると、なかなかやるね。関西フィルの人たちの出演もあり。帰りは三宮凮月堂で御茶。
2012年6月29日金曜日
ネクトゥー氏
ネクトゥー氏が、ドビュッシー展その他で来日するので、その機会に夫婦で京都を見たい、と、ついてはお目にかかりたい、というので、7月に約束していたが、どうも奥さんの具合が良くないらしい。7月はキャンセルで、10月に撤収に来る時にしましょう、と。
2012年6月27日水曜日
Q2 Pelicans
昨日は、神戸 Cap Q2 に下田さんのQ2 Pelicansを聴きに。新作は「おまえの耳は Your Ears are ?」というので、曲はすべて下田さん=シモダノブヒサ(ヴォーカル、ギター)、そこに丁友美子さん(ヴォーカル、クラほか)、宮本玲さん(ヴォーカル、ヴァイオリン)、岩本象一さん(パーカッション)が加わったグループ。2月に結成されたらしい。丁友・宮本は同女の卒業生で、今日大学でたまたま宮本さんに会って、どうやって一緒にやるようになったの?と訊いたら、大学の喫煙室で一緒になって、との答え。この不良め、と言っておきました。下田さんの曲はすべて、とてもいわゆる「癒し系」で、心地よい。村上君も聴きに来た。アイドル系の声っすねえ、と言っていた。ふむふむ、さすが西城秀樹の先輩だけある。会場にあったハヤシライスが、ヒデキカンゲキのカレーでなかったのが惜しい、と彼の一言。
2012年6月24日日曜日
Régnier
Henri de Régnier, La vie vénitienne, Mercure de France, 1963 もちょっと読んでいる。これも過日、田村書店の二階に登った時に、たまたま足にこつんとぶつかって出て来たもの。偶然の出会いである。ちなみにたったの500円。しかし、レニエのヴェネチアと言えば、窪田般彌訳にお世話になったのが懐かしい。イタリアの雰囲気の活写。まさしく、である。
2012年6月23日土曜日
2012年6月22日金曜日
ボエティウス
神戸線の事故は大したことはなくて、無事に大阪に寄り、阪神地下であなごづくし、タワーレコードでいろいろ、ササヤ書店でいろいろ購入し、大学へ行った。しかし、講読の授業で、ボエティウスの言う「ムジカ・ムンダナ/ムジカ・フマナ/ムジカ・インストルメンタリス」の分類が、その理論性のみで実際と違う点を、グロケイオなどが批判した、みたいな授業をしたのだが、もしかしたら「ムジカ・ムンダナ」も「ムジカ・フマナ」も「聴こえていた」かも知れない(そういう人がいた?)、と思うようになった。一連の現実の背後にある音楽の話である。色聴だって、その能力のある者とない者があるわけだし。
2012年6月21日木曜日
木村敏『臨床哲学講義』
木村敏『臨床哲学講義』(創元社)読了。学校への行き帰りに。やはりゾーエーとしての生命、山括弧付きの〈生命〉、非人称の、誰のものでもない、あるいはみなのものであるいのちが存在する、というところ。これは、ぼくの言う「音楽的なもの」(グールドのバッハ、そしてそれを指摘した大里さん)、あるいはケージの言う「止めることのできない、大文字のMで始まる〈音楽〉」と同じものか。そして、能美さんの言う「背後にあるノイズ」なのか?木村敏も、そこにニーチェの「ディオニソス」との類似を語っている。ぼくは、能美さんに、ショーペンハウアー→ニーチェ→バタイユ→デュシャン→ケージ(そして→椎名 - グールドも介して)(そして能美さんの指摘によれば、テープ音楽の背後に流れるノイズ - これは面白い!)という流れを示唆したのだったが。結局のところ、生命と音楽は一緒か、という問題になるのか?ぼくとしては、肯定で答えたい気持ちに駆られるのだが……。
2012年6月20日水曜日
Adolphe Adam
先日の田村書店で見つくろった仏語図書が大学に届いていた。ヴァンサン・イスパのシャンソン集とかイヴェット・ギルベールの自伝とか。中の一冊 Adolphe Adam, Souvenirs d'un musicien, Paris, Calman Lévy, 1884 を持って教授会に(書類の陰で読む)。アドルフ・アダンの回想録のようなもので、まず最初に自伝 Notes biographiques がある。そこで彼と Eugène Sue が同級生で大の仲良し(一緒に Cochons d'Inde を飼っていたという)だったことを発見。そして帰宅すると、木村敏先生から新著が。いのちの話をしているらしい(まだちゃんと読んでない)。ちょうど、最近、録音エンジニアの能美亮士さんと録音であらわれる美学的問題についてメールのやりとりをしていて、音の背後みたいな話をしていたのだが、それとぼくはショーペンハウアーの「意志」が何か関係ありそう、と思ったりするのだけれども、結局のところ、「音楽的なもの」ひいては「芸術的なもの」一般が現実世界の背後にあるのではないか、とも思ったりしていたちょうどそこに、木村敏先生の「いのち」という言葉があって、これは通底していると直観するのでした。
2012年6月12日火曜日
フランシス・ジャム
『フランシス・ジャム詩集』(手塚伸一訳、岩波文庫)読了。ところどころ素晴らしい、が、やはり詩の翻訳だから難しいのだか、もうひとつしっくりこないところもあり。しかし、例えばヴェルレーヌの詩も「ちまたに雨のふるごとく」とかすると、どうか?これはこれで、いいかな、七五調だから(?)。すると自由詩の訳など、ますます難しいことになるね。
2012年6月11日月曜日
低音デュオ
昨日は京都芸術センターで低音デュオ(松平敬・橋本晋哉)コンサート。曲目は、グレゴリオ聖歌《デ・プロフンディス》、鈴木治行《沼地の水》、パラレリウス《花咲き乱れ》、檜垣智也《第4オルドル》、休憩後は《セイキロスの墓碑銘》、田中吉史《科学論文の形式によるデュオ》、湯浅譲二《天気予報所見》、山根明季子《水玉コレクションno.12》でした。かくも多彩な音響、多様な才能。一番笑ったのはパラレリウス。鈴木さんのは、「語りもの」の延長と言うことで、楽しませてくれた。檜垣作品はこれからライブ・エレクトロニクスでの彼のさまざまな可能性を垣間見せてくれた。田中論文は、バランスが悪いのか言葉がよく聞き取れず、助手の具合がよくわからなかったが、面白い発想ではある(アーティキュレーション)。湯浅作品は彼の豊かなシアターピース的才能を知ることができた。山根作品、興味なしとはせず(音の間の関係性)。しかし、先日の篠原さんも来られていて、おやと思う。湯浅氏もおられ、なんというか、80代はまだまだ現役ですな。すごい!この一連のシリーズ企画の川崎さんも偉い!今後もこの調子で頑張って欲しいと思う。
2012年6月1日金曜日
篠原眞ほか
昨日は「篠原眞の電子音楽上演会」、一昨日は同じ会場で「電子音楽作品の上演についての実践的考察 - 黛敏郎作品のマスタリングを例として」(京都芸術センター、川崎弘二企画)。能美亮士さんによるマスタリングの話は、電子音楽作品においても、背後にある「雰囲気」的音響が大切だというのが興味深かった。これってケージの言う「止めることのない大文字のMで始まる音楽」(不肖私めの言う「音楽的なもの」)ではないだろうか。そして、篠原眞の電子音楽。リュック・フェラーリに習ったというが、篠原氏(80過ぎて矍鑠!)の言では「それとわかる現実音を用いたのは私が最初」。でも Hétérozygote は、彼の Visions I より前ではないかな、と思ったり。そんな疑問、そしてフェラーリとの比較などは、帰りの電車の中で読んだ鈴木治行の論文(会場で配布された川崎編『篠原眞の電子音楽』所収)できちんと解明されていた。鈴木さんの触れてないことを付け加えると、フェラーリ作品のメッセージ性あるいは「やむにやまれぬ」性とでも言うか。篠原作品は、もっと静謐であり、ちょっと俳句とか連歌の、あるいは「数寄」というような言葉を思い出した。手法は徹底的に西洋的だが、結果が日本的?
2012年5月27日日曜日
奈良ゆみコンサートと吉田先生訃報
今日はオープンキャンパスとやらで休日出勤。学科紹介およびミニ講義というやつでした。
さて昨晩は、南森町モーツァルトサロンでゆみさんコンサート。「ユートピアにむけて」という題で、ダオ《ジオ・ドン》、オハナ《マルティネテ》と《花のように》、プーランク《C》、ロルカ《セビージャの子守唄》、ラヴェル《スペインの歌》、松平《子守唄》(ピアノ)、金井《東西東西》と《絶筆》、新垣《一番桜》、吉田《君死にたまふことなかれ》。休憩後にはゆみさん自作《フィネガンズ・ウェイク》、デュパルク《旅への誘い》、ラヴェル《カディッシュ》、グノー《アヴェ・マリア》、ルシュール《牢獄の歌》、デュティユー《強制収容所の女の歌》、ヴァイル《ユーカリ》、コスマ《バルバラ》、トマ《君よ知るや南の国》、ブラームス《子守唄》。だんだん聴いているうちに、ユートピアというよりも、彼岸というか「あの世」、死者の国への誘いという気がして来た。ちょうど Julien Green, Frère François の最後、聖フランチェスコが死ぬところを読んだばかりだったので、ますますそう思った。そして、ぼくの周りの親しかった死んだ人たちのことを思い出していた。何とたくさんの人が亡くなってしまっただろうか!
そして、今日になって、図らずも吉田秀和先生の訃報に接したのだった。なんたる符合だろう!
さて昨晩は、南森町モーツァルトサロンでゆみさんコンサート。「ユートピアにむけて」という題で、ダオ《ジオ・ドン》、オハナ《マルティネテ》と《花のように》、プーランク《C》、ロルカ《セビージャの子守唄》、ラヴェル《スペインの歌》、松平《子守唄》(ピアノ)、金井《東西東西》と《絶筆》、新垣《一番桜》、吉田《君死にたまふことなかれ》。休憩後にはゆみさん自作《フィネガンズ・ウェイク》、デュパルク《旅への誘い》、ラヴェル《カディッシュ》、グノー《アヴェ・マリア》、ルシュール《牢獄の歌》、デュティユー《強制収容所の女の歌》、ヴァイル《ユーカリ》、コスマ《バルバラ》、トマ《君よ知るや南の国》、ブラームス《子守唄》。だんだん聴いているうちに、ユートピアというよりも、彼岸というか「あの世」、死者の国への誘いという気がして来た。ちょうど Julien Green, Frère François の最後、聖フランチェスコが死ぬところを読んだばかりだったので、ますますそう思った。そして、ぼくの周りの親しかった死んだ人たちのことを思い出していた。何とたくさんの人が亡くなってしまっただろうか!
そして、今日になって、図らずも吉田秀和先生の訃報に接したのだった。なんたる符合だろう!
2012年5月20日日曜日
斉藤宏子ピアノリサイタル
昨日は上桂の青山音楽記念館で斉藤先生のリサイタル。初めてのホールだったが、全体(入り口やホワイエ)こぢんまりしているが、中は天上も高くよい響き。プログラムはバッハ《半音階的幻想曲とフーガ》、ハイドン《変奏曲》ヘ短調、ベルク《ソナタ》、休憩後はシューベルト《ソナタ》ニ長調D.850。丁寧な打鍵で清潔な演奏。ウィーンの香りを運んでくれた。アンコールはその雰囲気の延長でシューベルト《楽興の時》。久しぶりにこの曲を聴いた。やはりシューベルトはいいね。子どもの頃よく聴いたNHK FMのクラシック番組のテーマ曲がこれだった。
2012年5月13日日曜日
琵琶プラス
昨日は朝から子どもたち3人(大ちゃんと芦屋駅で待ち合わせ)連れて、まず病院でいづみの血液検査。その後、みなで須磨浦の園遊会。二時半に終わり、家人が後片付け手伝いの間、兵庫駅で子どもたちをおばあちゃんに渡す。そして夜は毎年恒例、ギニャール先生の「琵琶プラス」。今年は尼崎大覚寺。寺町というのは初めて行ったが、風情のある不思議な空間。
寺には能舞台があり、そこで今回は「夢に生き……」という題の琵琶と謡、仕舞のコラボ。ギニャール旭西(筑前琵琶・楽琵琶)、梅若善久(観世流シテ方)、山中雅志(観世流シテ方)、上田敦史(大倉流小鼓方)、高橋奈王子(大倉流小鼓方)で、楽琵琶秘曲『流泉』に始まり、『厳島の戦い』、謡曲『田村』、『実朝公』。最後はギニャール先生新作『玄象の物語』。最後の曲は、書家の田邊柳奨の書が入った屏風の前での演奏。
琵琶あり、謡あり、仕舞ありで琵琶の名器「玄象」をめぐって藤原師長と村上帝(の亡霊)とのいきさつが語られる一編の夢幻劇である。素晴らしい。その舞台が須磨浦であり、ちょうど朝から昼にかけてそこにいた身としては、なんだか genius loci に取り憑かれたようだった。関西にはこんな土地の精霊がうようよいる。帰りがけに打出フェリーチェで遅い夕食。
琵琶あり、謡あり、仕舞ありで琵琶の名器「玄象」をめぐって藤原師長と村上帝(の亡霊)とのいきさつが語られる一編の夢幻劇である。素晴らしい。その舞台が須磨浦であり、ちょうど朝から昼にかけてそこにいた身としては、なんだか genius loci に取り憑かれたようだった。関西にはこんな土地の精霊がうようよいる。帰りがけに打出フェリーチェで遅い夕食。
2012年5月7日月曜日
邪宗門
ちなみに『邪宗門』とは北原白秋の第一詩集です。表紙はこれ。
昨日の「南蛮美術」つながりでもありますね。最初の詩の口絵には伴天連の姿があります。
昨日の「南蛮美術」つながりでもありますね。最初の詩の口絵には伴天連の姿があります。
以前にもこの復刻版は持っていたのですが、これもまたモンペリエで水没してしまったのでした。
ちんき堂
スペイン語の後、家人はクリーニングに行くのでとすぐに芦屋に帰ってしまい、ぼくは娘の迎えに須磨に行くのには早かったので、元町をぶらぶら。ふと思い立って、前から行こう行こうと思っていた(思い続けてはや五年!いつ行っても閉まってるんだもん)ちんき堂に行ってみた。開いていた!小さな店だが面白そうなものがいっぱいある。音楽書も何冊か。80年代の『音楽芸術』(ラヴェル特集とエスニック特集)を二冊と復刻版『邪宗門』を購入。驚くべきはその値段。全て200円!!『音楽芸術』にはもともとの伝票が挟まっていて、岡山の河原書店で岡本さんが買ったものとわかる、それもちゃんと定価の750円で。こうしてぼくの手に入ることになったのも、不思議な縁である。
2012年5月6日日曜日
南蛮美術
今日は本当は宇治に行って大倉さんとピクニックの予定だったのだが、天候不順のため急遽順延。その代わりに屋根のあるところということで、神戸市立博物館に「南蛮美術の光と影」展を見に行った。ちょうどポルトガル・ギターの演奏会。マリオネットというデュオ(ポルトガルギター:湯浅隆、マンドリン:吉田剛士)による。けっこうよかったぞ。ポルトガルギターというのは初めて見た。ファドは聴いていたけれど、その伴奏がこれだったのですね。子どもらはつまんない、というので二人で外で遊んでいたら「博物館で3番目に偉い人」(?笑)という人に遊んでもらって、ジュースまでごちそうになっていた。なんたるヴァイタリティー。
展示品の一部に『泰西風俗図屛風 』があり、中で二人の婦人が音楽を奏でている。ハープとリュートだろうか。
展示品の一部に『泰西風俗図屛風 』があり、中で二人の婦人が音楽を奏でている。ハープとリュートだろうか。
2012年5月5日土曜日
インド古典音楽
Je suis allé écouter de la musique classique indienne à Kobe. En sortant la lune sur la mer.
Cap House Q2 で「声楽とバーンスリー」というコンサート。井上想さんのドゥルパド(歌)、HIROSさんの北インド音楽(バーンスリー)。カネコさんのパカーワジ、大橋さんのタブラー伴奏。最後は全員で。インド音楽は最初に旋法を提示するのだが、そのゆっくりしたやり方が、向こう側に見える船の動きとマッチしていて、面白かった。それと考えたのは、まるで旋法のそれぞれの音を「愛撫」するような、官能的な音楽だ、ということ。帰りには神戸の港の上に大きな月が。しかし写真に撮ると小さいんだよね。
さて、このコンサート前には、三宮そごうにカタルーニャはジローナの画家、フェルミン・コロメール展。この手伝いを福島さんがしていて、昨日は彼女にバルセロナ情報を聞くために家に御招待したのだった。
2012年4月28日土曜日
アルカン、マルモンテル、マスネ、シャミナード
というわけで、6月のロマン派シンポジウムのために、色々と弾いてみている。アルカン、マルモンテル、マスネ、シャミナード……、くらいかな。最近は日本版の楽譜がたくさん出るようになって便利になった。しかし、やっぱり中でもアルカンの作品は、音楽的にも、ピアニスティックな面でも面白い。つまりは、弾いていて楽しい。大ソナタ《四つの世代》を大体弾けるようになった。シンポジウムで弾こうか知らん?
2012年4月26日木曜日
ミメーシス
エーリッヒ・アウエルバッハ『ミメーシス』(篠田一士・川村二郎訳、ちくま学芸文庫)読了。素晴らしい!こんな分析が音楽の世界でもできたら……。ロマン派文学についても勉強になりました。そして古代中世の魅力!
2012年3月29日木曜日
日本禅宗の伝説と歴史
中尾良信『日本禅宗の伝説と歴史』(吉川弘文館)読了。あんまり伝説はなかった。あるのは聖徳太子と達磨が出会ったという伝説。(それなりに興味深いものではあります。)しかし初期日本禅宗の歴史の勉強にはなりました。栄西と道元のまわりにいた、さまざまな人間模様が面白い。
2012年3月24日土曜日
2012年3月15日木曜日
ザビエル
ピーター・ミルワード『ザビエルの見た日本』(松本たま訳、講談社学術文庫)読了。これはたまたまうちにあった。ザビエルの手紙が分断されていて、だいたいのことは解るけれども、なんだか隔靴掻痒。そのうえ、ミルワードの解説がなんだか時代遅れで、現代日本の悪口を言っているのだが(決して間違っているわけではない)、本質を突いていない感が満載である。この人はイエズス会士で日本に布教に来て、何十年と日本にいるのだろうが、ザビエルほどには日本語習得の努力はしなかったようだね。それが何だか何十年前の「ガイジン」の意見という雰囲気を濃厚にしている(まあ相当お年のようでもあるから、それもそうか)。ザビエルがなんだか可哀想である。本当のことを知りたい。
2012年3月13日火曜日
2012年3月2日金曜日
Symphonie déchirée
3月中には、Luc Ferrari, Symphonie déchirée のためのテクストをフランス語で書かなければならない。ブリュンヒルドが大変に貴重な諸資料をスキャンして送ってくれた。先日にパリで会ったアンサンブル・アルスノーヴァの二人、ブノワ・バエルジョーとフィリップ・ナオンも貴重な証言をくれた。もちろんブリュンヒルド本人も。うーむ、熟考、熟考……。
Damunt de tu, només les flors.
Damunt de tu, només les flors.
Eren com una ofrena blanca:
la llum que daven al teu cós
mal més seria de la branca.
Tota una vida de perfum
amb el seu bes t'era donada.
Tu resplendies de la llum
per l'esguard clós atresorada.
¡Si hagués pogut ésser sospir de flor!
Donar me com un llir a tu,
perqué la meva vida s'anés marcint,
s'anés marcint sobre'l teu pit.
I no saber mai més la nit
que al teu costat fora esvaida.
Eren com una ofrena blanca:
la llum que daven al teu cós
mal més seria de la branca.
Tota una vida de perfum
amb el seu bes t'era donada.
Tu resplendies de la llum
per l'esguard clós atresorada.
¡Si hagués pogut ésser sospir de flor!
Donar me com un llir a tu,
perqué la meva vida s'anés marcint,
s'anés marcint sobre'l teu pit.
I no saber mai més la nit
que al teu costat fora esvaida.
2012年3月1日木曜日
フランス・ロマン主義
確定申告で待っている間に、フィリップ・ヴァン・チーゲム『フランス・ロマン主義』(辻昶訳、白水社文庫クセジュ)読了。ロマン主義の作家たちは、初めて大衆のために書いたという指摘が興味深い。つまり「永遠」に向かって書いていた、古典主義の作家たちと違ってということなのだが、これが音楽のロマン主義の作家たちが「歴史」を意識するようになった、というのと正反対なのだ。音楽においてはロマン主義(古典派も入るかな)以前には、「大衆」とはちょっと違うけれども、その場にいる(hic et nunc)聴衆に向かって書いていた。それが19世紀に入ると、「歴史」を意識するようになり(メンデルスゾーンの《マタイ》再演)、「永遠」に向かって(とも言えるような態度で)書くようになった(50年後の聴衆に対して書いていたマーラー)。辻氏の訳は一点だけ惜しい。「cité」の翻訳を「中の島」にルビ(「シテ」)という不思議なものにしている。大阪の人なのか知らん。まあユーゴーの専門家らしいので、なんとなく納得(微笑)。
2012年2月8日水曜日
心霊の文化史
吉村正和『心霊の文化史』(河出ブックス)読了。スピリチュアリズム、骨相学、社会主義、神智学、イェーツ、カンディンスキー、ユング、田園都市というようなキーワード。ここに、ドレフュスとか、スクリャービンとか、シューマンとか、シュレーバーとか、付け加えて行きたいですね。他にもいろいろありそうだな、ドビュッシーとサティ、フリーメーソンつながりではもちろんモーツァルト、セヴラックにモンポウだって無関係ではない。シェーンベルクも、メシアンも、ミニマリストたちも?それからそれから、シェフェールだって。
2012年2月3日金曜日
Alkan
というわけで、あまりに時間があるので、今度依頼を受けた6月に東京日仏会館である「フランス・ロマン派再考」シンポジウムのために(?)アルカンを引っ張り出す。Charles-Valentin Morhange, dit Alkan であって、ダニエル・コーに教わるまで知らなかった存在だった。フランスのロマン派音楽というとベルリオーズか、あとはオペラ関係くらいしか言及されないが、アルカンはショパンとミニマリストたちを繋ぐミッシングリンク、というのがコーの主張。《グランド・ソナタ》とか、ピアノのための《交響曲》、ピアノソロの《協奏曲》など、ほとんど偏執狂的な音楽だ。
ルクーのピアノソナタ
定期試験監督と教授会の間に5時間(!)も暇があるので、ギヨーム・ルクーの楽譜を弾いてみた。《ピアノ・ソナタ》、ピアノのための《三つの小品》(〈言葉のない小さな歌〉、〈忘れられたワルツ〉、〈楽しいダンス(民謡のスタイルで)〉)。ルクーの作品は上村とやった《ヴァイオリン・ソナタ》しか知らなかったが、すぐにそれとわかる彼のスタイルがあるね。不思議な分厚い和音とか、彼流の和声進行とか、複雑な対位法とか。しかし、《ソナタ》には明らかなバッハの模倣がある。この曲に注目していたのは、ギヨー先生がセヴラックの《ソナタ》への影響を指摘していたからだ。ちょっと弾いてみると、これはむしろダンディの二人への影響なのかも、と思ったり、でもそこに「民謡風」(?)の音の動きがあるのは二人に共通で、ダンディにはないかな、と思ったり。しかし、まだまだ時間があるな……。やれやれ……。
2012年2月2日木曜日
アフリカの印象
レーモン・ルーセル『アフリカの印象』(岡谷公二訳、白水社)読了。これもまあ時間がかかった。よくわかったのは「意味」なんてない、ということだ。そして印象的だったのは、ルーセルもまた音楽家であり(パリ音楽院ピアノ科でコルトーと同級)、チェス愛好家であったこと(ルーセル式という手があるそうな)。(さらにピエール・ジャネの患者であったことを付け加えよう。)この作品は「音楽」なのだ、それもぼくが『狂気の西洋音楽史』で述べたような意味で。ところで、レーモンとアルベールには何の関係もないんだろうか?
Le temps des cerises
《さくらんぼの実る頃 Le temps des cerises》は、パリ・コミューンに関連して語られる。その由来はこうらしい。(拙訳、ちょっと文法的にわからないところもあり。)
「彼らが最後の攻防戦をしていたとき、サン=モール通りのバリケードから一人の少女がやって来て、負傷者の手当などをしてくれました。彼らは、ここにいては死んでしまう、と彼女を逃がそうとしましたが、彼女はそれに逆らって残りました。すると間もなく大爆発が起こり、バリケードは粉々になって、巨大な残骸の中で全てが死に絶えました。その音は、サトリー収容所に捕虜となっていた私たちにも聞こえました。最後のバリケードの最後の瞬間のこの看護婦に、J=B・クレマンが後になって、さくらんぼの歌を捧げたのです。その後、誰も彼女を見ませんでした。……コミューンは死に、それと共にいく千もの名もなき英雄たちも消えて行ったのでした。」
(ルイーズ・ミシェル『コミューンの歴史と思い出』1898年)
2012年2月1日水曜日
パリ燃ゆ
大佛次郎『パリ燃ゆ』(全6巻、朝日新聞社)読了。ルフェーブルを読んで、パリ・コミューンについてその分析に終始しているところに、物足りなさを覚え、その前書きにこの本のことが書いてあったので読んだ。やはりフランスどころか、ヨーロッパ全体を震撼させる重大事件であったことがよくわかる。もちろん登場人物として、よく知っているユゴーやら、ゾラやら、ゴンクールやらが出て来るが、彼らの他にも、例えばヴェルレーヌ(これは端役でちょっと登場)もランボーも関わっていたはずだ。そして、ドビュッシーの父親も(コミューン派として参戦)。そして、この事件直後に、サン=サーンスがビュッシーヌと国民音楽協会を作るわけで、彼もそしてもちろんダンディ(彼は普仏戦争に従軍している)、デュパルクもそこにいたはず。フォーレも。彼らは何をしていたのだろう?パリ・コミューンと地域主義の関係には以前言及したが、その他にもナショナリズムももちろん関係があって、だいたいコミューン結成の一つの要因は普仏戦争を敗戦に導いた政府の無能への反発もあったのだ。考えさせられるところ大である。
コミューン政府(中央委員会と公安委員会の名で)が出したポスター。
これはドゥレクリューズ(最後のコミューン指導者、バリケードで戦死)の名前で出された布告。
これは、コミューンの女性指導者であったルイーズ・ミシェル逮捕の情景。
コミューン政府(中央委員会と公安委員会の名で)が出したポスター。
これはドゥレクリューズ(最後のコミューン指導者、バリケードで戦死)の名前で出された布告。
これは、コミューンの女性指導者であったルイーズ・ミシェル逮捕の情景。
2012年1月22日日曜日
ガムラン
Cap House Q2 で「早春ウヨンウヨンの会 」。ガムランは久しぶりに聴いたが、とても懐かしい。大学院生の時に芸大のガムランクラブに潜り込んでいたのでした。すでに小泉文夫氏は亡くなっていたが、その熱い雰囲気はあった気がします。やっぱりいいですね、特にこのQ2は昔の神戸港税関の跡地だか何だかで、すぐ窓の向こうには海が広がっていて、船が行き交っている。まるで海の上に浮いているような立地です。ジャワのダンスは初めて見たのだけれども、これもまた優雅でよかった。音楽・ダンス・海・船・山とよいところばかり満喫でした。出演はCap House本拠の「ふいご日和楽団」と客演がHana&Joss、そして大石麻未さんでした。ブラヴォー!
2012年1月18日水曜日
Symphonie déchirée
リュック・フェラーリの《引き裂かれた交響曲》(1994〜98)のスコアがサラベールから送られて来た(CDの原盤はちょっと前に)。ブリュンヒルドから、今度この曲のCDを出すので、解説を書いて欲しいと頼まれたのが発端である。編集はカトリーヌ・ペイヤンという人がやっているようだが、これがまたダニエル・シャルルの弟子らしい。スコアを見ながらCDを聴くと、さまざまなことがよくわかるし、考えさせられることも多い。その上、最近にはジャクリーヌ・コーの映画『引き裂かれた交響曲の物語』を(何回も!)見たばかりである。このアンテルフェランスはすさまじい。今度二月にパリに行くので、いろいろとできそうである。ブリュンヒルドに手伝ってもらわねば。
このことが一つと、あと懸案であった、ピエール・マリエタン主催「音のエコロジー国際学会」にはいちおうレジュメを出したが、ピエールは学会にぴったりだと言ってくれた。うーむ、これで今年の夏はフランスとスイスである。
このことが一つと、あと懸案であった、ピエール・マリエタン主催「音のエコロジー国際学会」にはいちおうレジュメを出したが、ピエールは学会にぴったりだと言ってくれた。うーむ、これで今年の夏はフランスとスイスである。
2012年1月13日金曜日
2012年1月10日火曜日
音楽の話をしよう
寺内大輔『音楽の話をしよう』(ふくろう出版)を読んだ。「10代のための音楽講座」と副題があるが、これを中高の教科書に使ったらすごくいいだろうと思った。非常にアクチュアルな音楽の問題がほぼもれなく扱われている。ただ、やはり一番難しいのは「音」と「音楽」の差異だろう。音だけでは音楽にはならない。もしも両者が同じであれば、ちがう言葉の存在する意味がない。ある音を「音楽」として聴いたらそれが音楽だ、というような定義もあるよう(それが示唆されているよう)だが、これは「音楽」は音楽だという同語反復になってしまう。(リュック・フェラーリの好きなトートロジーですな。)さて、どう思いますか?
2012年1月7日土曜日
林光追悼
作曲家の林光氏が亡くなった。彼は吉田秀和賞の審査員でもあったので、授賞式などでお会いできるかとも思っていたが、それも叶わずとても残念である。受賞のスピーチでは、吉田秀和先生との関係について語ったけれども、林光氏との関係にも触れなければならないかと思って、記憶を探っていたのだが、高校の頃に同じクラブ(ブラバン)の古川聖先輩があるとき、林光の《フルート・ソナタ》の楽譜をもってきて、「これはフォーレに倣った曲なんだそうだ、君わかるかい?」と訊いてきたのを思い出した。当時からぼくはフランス近代音楽の「専門家」(?)とまわりに思われていたので、そういうことになったんだと思う。その他にも、中古楽譜で林光の《ピアノ・ソナタ》など見つけてきて、弾いていた。やはり、ちょっとフランス風の気持ちのよい曲であったと思う。ちなみに、古川先輩とはその他にも、ピアノ連弾用のショスタコヴィッチ《交響曲第一番》を弾いたり、バルトーク《二台のピアノと打楽器のためのソナタ》を弾いたりして遊んでいました。
2012年1月5日木曜日
グラン・モーヌ
アラン=フルニエ『グラン・モーヌ』(天沢退二郎訳、岩波文庫)読了。昔、『モーヌの大将』というタイトルの訳本を読んだのだったが、まったく話を忘れていた。こんな話だったっけ?つまりは余り印象もなかったわけだが、とにかくモーリス・ラヴェルが大絶賛した小説というので読んだのだった。今回読み返してみて何となくその理由がわかった。これは一般に言われているように恋愛小説ではなくて、男同士の友情小説だったのだ。
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