2010年11月30日火曜日

助成金

セヴラックCDの制作に大学の助成金を貰おうという計画。今日が申請の締め切りだったが、コジマ録音の杉村さんには申請書作成でぎりぎりまでお世話になった。研究所の事務の人たちも何回か研究室にまで来てくれて、なにしろ「出版助成」にCD出版の申請というのは前代未聞の出来事なので、大学側もどう対処すべきか悩んでいる感じである。どうしても、録音の費用がほとんどの割合を占めるのが、腑に落ちないというところらしい。まあ、言ってみれば、普通には本を作るのにかかる費用を補助するはずが、例えば、ワープロ代やら、「ホテル缶詰」代やら、執筆用机の借り賃などが含まれる(含まれるどころか、それがメイン!)、というイメージなのだ。

2010年11月29日月曜日

精神医学から

木村敏氏から『精神医学から臨床哲学へ』が送られてくる。彼には『狂気の西洋音楽史』を送り、丁寧なメールを頂いていたのだった。実にありがたいことである。

2010年11月28日日曜日

ヴァーグナー

吉田寛『ヴァーグナーの「ドイツ」』読了。ヴァーグナーの伝記と当時の「ドイツ」事情が一挙にわかってしまう、よく出来た書物である。各章の分量がアンバランスだったり、「超政治」というのがよくわからなかったりするけれども、総じて明快によく書けている、と思う。『思想』論文もそうだが、吉田氏にはドイツ圏の音楽哲学について今後とも頑張ってもらいたい(というのは、ぼくがドイツ語が苦手だという、わがままからですけれど……)(汗)。

夜来香

家の夜来香(夜香木というのが正しいのか)がまたまたつぼみを付けてきました。また咲くのでしょうか?

2010年11月27日土曜日

論文

眼科で長い間待たされたので、ほぼ『思想』を読了した。いろいろと考えさせられたが(帰りに夙川から歩いたのでこれまた思考時間がたっぷりあったわけだ)、論文というものは、いたずらな科学性でもだめだし、単なる感想でももちろんだめ。論理性が最低限あった上で、そのうえ「面白い」ということにつきるのかなと思ったのでした。村上君のよく言う、面白い「ネタ」が大事ということだな、実生活でも論文でも……(?)。しかしまた、それが「つぼにはまる」かどうかは、運次第ということになるか?

経過観察

左眼の経過観察に、門戸厄神まで行って来た。最初に行ったときもそう思ったが、実に西宮のこの辺りは殺伐とした風景が広がっている。しかし、そう妻に言ったら、あなたの実家の辺り(東京小平)もそうじゃない、と言われた。うーむ、確かに似ているかも。要は、ちょっと前まで、田畑が広がっていたところを、ベッドタウン開発で都市計画も何もなしに闇雲に宅地にしてしまったので、こういう結果になったのではないだろうか。

2010年11月25日木曜日

『思想』

『思想』12月号が送られて来た。「シューマン生誕200年」!なかなかよい。自分の論文は『思想』には相応しくないんじゃないか、と危惧していたが、そんなに悪くないのでは?いや、むしろ結構いいとか?いずれにせよ、巻頭論文として置いていただいたのは誠に光栄である。

先日

先日東京で互さんと会った時に、「狂気の西洋音楽史」の始めと終わりはあるが、願わくばその「あいだ」も欲しいと言われた。いろいろ考えられそうだ。例えばモーツァルト(《音楽の冗談》)、アルカン、そしてもちろんデュパルク、ヴォルフ。

2010年11月24日水曜日

Brunhild

Luc Ferrari の奥さんの Brunhild からメールで返事が来た。ぼくのフランス語版「狂気の西洋音楽史序説」を送っておいたのだった。彼女はフェラーリの残した録音の整理をしたり、それを基に自分の「演奏」(デッキの)をしたりしている。最近は、アンサンブル・ゴルというのと演奏をしたらしい。ちなみにネットで調べたら、こうあった。

GOL
L’ensemble GOL est formé en 1988 à Paris, par Jean-Marcel Busson, Frederic Rebotier, Ravi Shardja et Samon Takahashi. Après de nombreux concerts et un album vinyl paru en 1993 (Gol 01), le groupe fait une pause de presque 10 ans. En 2002, le groupe se reforme pour d’occasionnelles sessions d’enregistrement et quelques apparitions sur scène. GOL joue plus ou moins de la flûte, des trompes, de la guitare, du violon, des jouets, des instruments fabriqués, des bandes, des platines, de la voix, diverses percussions, et de l’électronique. La musique, orientée acoustique mais hautement électrique, est entièrement improvisée et émane le parfum de la violente immobilité de la campagne au milieu de l’été. » (inhttp://www.myspace.com/corporatemambo)

2010年11月22日月曜日

古本

神戸三宮のアーケードの古本屋で、マルセル・ブリオン『シューマンとロマン主義の時代』、ハンス=ヨーゼフ・オルタイル編『ローベルト/クララ・シューマン愛の手紙』を購入。どちらも国際文化出版社発行で、どちらも喜多尾道冬ほか訳のもの。しかし、この喜多尾という人はドイツ語専門の人のようなのに、ブリオンの著書(フランス語)を訳しているというのは驚きである。

一昨日は

一昨日は、有賀のゆり先生の春の叙勲をお祝いする会に京都まで行って来た。82歳になられるということだが、甥御さんの奥さんのチェロとのデュオ(バッハ)や、ソロ(クープラン、バッハなど)では、ばりばりの現役でおられる。しかし、チェンバロというものはやはりよいものですね。先生は見事にさまざまな音色を操っておられて、大感心。指の使い方がピアノとは全く違うことも再認識したのだった。

2010年11月21日日曜日

バッハ復活

小林義武『バッハ復活』再読了。前に持っていたのはエディタースクール版の初版であった。小林先生は、『バッハ復活』が春秋社によって「復活」したと書いている(ちょっと笑)が、その著者紹介は「復活」しそこなって、「オーストラリア政府奨学生としてウィーン大学に留学」(苦笑)とある。デーメルにコアラが出てきそうである。

2010年11月20日土曜日

Lauragais

先日、ゆみさんの家に泊まらせていただいていた時に、近くのアリーグルの市場の蚤の市で買った、Villefranche-de-Lauragais の教会の絵の皿。
より近付いた画像はこちら。
Villefranche-de-Lauragais はセヴラックの生まれ故郷の Saint-Félix-de-Lauragais より西南に約20キロ離れた、その辺りでは大きな町である。トゥールーズとカルカッソンヌを結ぶ国道113号線上にある。南仏から遠く離れたパリでこのような皿と遭遇するなんて、天がぼくにセヴラックについてよく働けよ、と言っているような気がしたのでした。多分、ベートーヴェンの墓で錆びたペンを見つけたシューマンも似たような気持ちだったでしょう。

包装

バーバリーのコートの袖がほつれてきたので、修繕に出しておいたのが、出来て送られて来た。しかし、たった数百円で、きちんと自宅玄関までしっかりと包装されて送られて来るなんて、日本は本当に便利な国である。ちょっと異様にしっかりし過ぎている感もあるが(包装紙などの無駄が……)。

2010年11月19日金曜日

ぴあ

『ぴあ』関西版が休刊になっていた!やはり、いろいろと厳しいのか?!

車検

車検で、エンジンオイル、バッテリー、タイヤまで交換。その他諸々も。するとやはり走りはごく快調である。その上、車内・車外すみずみまで掃除されているのもとても気持ちがよい。(普段、ほとんど車内掃除はせず、洗車などは全くしないので……。むむ……。)

種田

芦屋の書店にぼくの本が置いてあるか気になったので見に行ったが、なかった!「ゆるすまじ、ニャジラ!」というわけで、手持ち無沙汰なので立ち読みをしていたら、永井荷風の伝記に遭遇。そこで種田を探すと案の定あった。これはぼくの大叔母の夫である。種田政明という。そして同姓同名の明治時代の薩摩の将軍(暗殺された)がいるが、それは彼の祖父(?)にあたるそうだ。本当だろうか?

2010年11月18日木曜日

エス

互盛央『エスの系譜』読了。ハイデガー経由、およびダニエル・シャルル経由で、ジョン・ケージという線を「エスの系譜」上で再考察すると面白そうだ。

本日

拙著発売でございます。昨夜遅く教授会から帰宅すると送られて来ていた。なかなか美しい。

2010年11月17日水曜日

ドイツ語学

河崎靖『ドイツ語学への誘い』読了。その46頁に、ルターの手紙に文頭に形式的主語「Es」を置く例が見られるという。それまで、文頭にも動詞が来ていたが、それが「動詞の定型第二位の原則」を守るようになって、そうなったのだという。そして、直後に互さんから貰った『エスの系譜』を読み始めた。

2010年11月16日火曜日

Allain Gaussin

ゴーサン氏から彼の詩集(Allain Gaussin, L'attente... L'absolu, Die erwartung... Das unbeschränkte, Editions d'Ecarts, 2009)が送られて来たのだが、まだちゃんと返事をしていない。この翻訳を柴田君にして貰って、来年の日本公演に使おうという計画なのである。

Pessoa

Fernando Pessoa のプレイアード版があるのを知って、早速手に入れた(Pessoa, Oeuvres poétiques, Gallimard, 2001)。少しずつ楽しみながら読んでいる。

昨日は

昨日は元町。ヘンリー亭のハンバーグ、後にマザー・ムーン・カフェ。どちらも悪くない。

講演

西川君から村上君経由で講演依頼。彼は今、京都でショパン生誕200年記念行事の責任者をしている。タイトルを急いで付けてくれというので、「大砲と花束」というものにした。わかる人にはわかりますね。

2010年11月15日月曜日

ソシュール

互盛央『ソシュール』読了。余りに膨大なので、もう一度序文(これもかなり長大な)を読み直す必要があるかも、と思ったりしている。一大長編映画を見たような気分。ソシュールの人と思想、歴史的・地理的(?)コンテクスト、これらの緊密な関係が鮮やかに解明されている。文句なく素晴らしい。しかし、これほど「素晴らしくて」よいのか、という思いも多少する(これは「文句」か?)。

魔女とカルトの

浜本隆志『魔女とカルトのドイツ史』読了。異端審問、魔女狩りとナチスの連続性。しかし、それが「ドイツ的」特性由来という風土論になってしまうと、なんだかな〜という感じもあり。

2010年11月13日土曜日

ドレフュス事件

『ドレフュス事件のなかの科学』読了。セヴラックもダンディも関係がある話である。特にダンディは、強烈な反ドレフュス派だったから、いろいろと考えることが可能だろう。また、中に19世紀の心理学が実証科学的な性格を追求して行く話があったが、以前に査読をした論文の中に、フランス音楽学が科学性を持つようになったのは実験心理学の手助けがあったからだ、という論旨があったのを思い出した。それによって考えてみると、どうも「音楽学が実験心理学を利用した」のではなくて、その逆に「実験心理学が音楽的なデータも扱ってみた」というのが真実のように思える。

風邪

風邪をひいて、まともな声が出ない。こんなで今日から入試である。大丈夫か?

2010年11月10日水曜日

サン=サーンス

菅野賢治『ドレフュス事件のなかの科学』によれば、エドゥアール・トゥールーズというサン=タンヌ精神病院医師が、さまざまな知的卓越者の「身体測定」を企てた中に、サン=サーンスもその候補者となっていたらしい。最終的にはエミール・ゾラとアンリ・ポワンカレだけが、実際にその対象となったにとどまったという。筆相学に始まり、頭蓋測定など「身体測定」によって、その人間の性質もわかるという思想が、最終的に「科学的」反ユダヤ主義のさまざまな要素の一つとなることをこの書は解明して行くのだが、なぜサン=サーンスなのか?もちろん、神童としてそのキャリアを始め、詩人でもあり、天文学、数学、絵画などにも秀でた、卓越した作曲家・オルガニスト・ピアニストであるから、当然なのだろうが。しかし……。ぼくは、彼の墓を見に行ったのだが、そこには「ユダヤの星」があったのを見たのだ。しかし、彼がユダヤ系だということは、どこにも見当たらない。要確認である。

2010年11月9日火曜日

裁かるるジャンヌ

同大寒梅館で、鈴木治行さん伴奏の『裁かるるジャンヌ』を見る。きちんとした伴奏音楽だったので気持ちよく聞けた。(ときおり「意図的な」ずれもあり、それも面白かった。)しかし、アントナン・アルトーのかっこいいこと!(若い!!)そして、どこかにミシェル・シモンがいたはずなのだが、わからなかった。出口で、鈴木さんのCD『語りもの』を買う。

2010年11月8日月曜日

そこにないもの

ぼくが『セヴラック』を書けたのは、すでにそこにないものだったからではないだろうか(註)。そしてまさしくセヴラック自身が自分の音楽でそれを描いている。
註:ぼくは、フランスにいた頃は、事情はどうあれ、夏休みだけではなく、休みといえば、南仏モンペリエに行っていたものだった。

キンモクセイ2

家のキンモクセイが今日やっと満開になりました。
ふとみると、家のマンションの前の家でも、また山幹の駅まで行く途中の家でも、咲いているキンモクセイがあります。つまり、今頃に咲くキンモクセイもあるということ。しかし、キンモクセイというのは、ある時期に中国から輸入され、それの接ぎ木で普及して行ったので、実際には一本の樹しかないのだ、ということを読んだことがあります。すると、このように二つの時期に分かれて咲くのは少々辻褄が合わないことになりますね。

2010年11月7日日曜日

子ども祝福

朝は北野バプテスト教会で「子ども祝福礼拝」。その後、神仙閣で昼食。今日は特にフカヒレスープと焼きそばが格別であった。夕方に芦屋の美術博物館で行われていた古本市。エドワード・リアのナンセンス絵本の復刻版というのがあったので購入(これは全く同じものが隣のブースで500円高かったのでちょっと得した気分)。他には田邊尚雄『島国の唄と踊』(昭和2年刊)、現代詩文庫をいくつか(入沢康夫、吉野弘、吉本隆明)。コクトーのサイン入り本が3万円で売られていた。別にコクトー・ファンではないので買わず。

世界史とヨーロッパ

岡崎勝世『世界史とヨーロッパ』読了。歴史学の歴史的な変遷がよく理解できる。「普遍史」という言い方はしかし、それこそ「普遍的」なのだろうか?

2010年11月6日土曜日

添付書類

やっと自分の論文をPDFファイルにする術を手に入れたのだが、喜んでこれをメール添付書類にしてフランスの友人たちに送ろうとしたところ、問題が噴出!どうも容量の問題らしい。家で作業しているので、ウェッブメールシステムを使っているのだが、それが原因だろうか?なんだか疲れた……。これを何て言うんだっけ?なんとか損のくたびれ儲け……ええっと……。そうそう、骨折り損のくたびれ儲け、だ。

キンモクセイ

家のベランダのキンモクセイがやっと開花!(というか、そろそろですが……。)つぼみが出来てから異常に長かったので、ついに咲かないのではないのか、と心配していました。ちまたの他のキンモクセイは、すでにもう3週間くらい前には咲いていたので、家のはどうしたのか?と思っていました。

ハス

先日の花鳥園のオオオニバスの傍らには、美しい青いハスの花も咲いていました。

2010年11月3日水曜日

オオオニバス

その花鳥園にあるオオオニバスです。子どもの頃に見た植物図鑑などによく人が乗っている図が掲げられていたやつです。しかし、ここでは「乗らないでください」という注意書きが!

グリル一平

休みなので朝のうち、神戸花鳥園に行き、その後、昼に新開地の「グリル一平」に初めて行った。ハンバーグ・ステーキが素晴らしい!これは、麻布の赤十字前のハンバーグに勝るとも劣らない味である。

ニーチェ

永井均『これがニーチェだ』読了。面白い。こんなに解り易くてよいのか。しかし、ときどき現れる「ニーチェには哲学的センスがない」というのはいかがなものか?なんだ、その「センス」って?そう言うと、「君にもセンスがない」と言われるんだろうな。

2010年11月2日火曜日

音楽のヨーロッパ史

上尾信也『音楽のヨーロッパ史』を読む。もっと近代のことが書いてあるかと思ったら、戦争の話(それもなんだか錯綜して)だけであった。もっともっといろいろなことがあるのに……。

こっくりさん

「こっくりさん」は、日本では、私たちの世代(1960年代生まれ)にとって、小学生時代に大流行していた記憶がある(妻とその話題になった)。これは「高度成長期」と重なる。この時期に、例えば「精神的方面がなおざりにされていた」というのがその流行の理由というように説明も可能だ。

心霊術

シューマンやイェリー・ダラーニの心霊術との関係は、思想史・社会史的な文脈で、例えば、シューマンの場合は1848年革命の挫折、ダラーニの場合はナチス政権の支配や世界大戦の危機などへの、一種の精神的応答(?)という説明も十分に可能だ。いわゆる「こっくりさん」が、南北戦争の危機の時期にアメリカで大流行した(それが、黒船に乗って日本にも渡って来た)というのも、全く同じ説明ができる。しかし……。

バジルに

ベランダのバジルにアオムシが!!ショック!しかし、実に保護色というかカムフラージュのうまい奴らである。バジルと同じ色で、身体を延ばし、いかにもバジルの茎に見える。