ゆみさんの歌ったセヴラックCDについてのフランスの新聞記事をピエール・ギヨー先生が送ってくださいました。ありがたや……。
Voici l'article français relatant les activités de Yumi Nara, surtout concernant notre CD Séverac, envoyé obligeamment par le Professeur Pierre Guillot.
2011年10月31日月曜日
2011年10月30日日曜日
スコラ
NHK-Eテレの坂本龍一『スコラ』(毎週土曜夜11時から)を見た。昨日は印象派第一回。うまくドイツ風構築的音楽とフランス印象派音楽の違いを説明してくれていて、授業にでも使えそうだなと思った。ガムラン実際体験はとてもよいですね。これは同女の授業ではできないなあ。ぼく自身が芸大に紛れ行ってガムランを叩いたことを思い出しました。其他雖在所思不言而華也。
PS:Je t'ai vue, Momoka ! Bravo, bien joué !
PS:Je t'ai vue, Momoka ! Bravo, bien joué !
2011年10月26日水曜日
L'avant-garde musicale à Paris de 1871 à 1939
Michel Duchesneau, L'avant-garde musicale à Paris de 1871 à 1939, Mardaga, 1997 を読んだ。著者はカナダ在住のオーボエ奏者だそうだ。1994年に Université Laval に提出された博士論文。ラヴァル大学というのはカナダ最古の大学のようですね。知らなかった。これまで国民音楽協会(la Société Nationale)や独立音楽協会(la Société Musicale Indépendante)については、まあそこそこ知識はあったけれど、その後に活動していた二つの団体、セレナード (la Sérénade)とトリトン(Triton)というのはよく知らなかったので、面白かった。しかしちょっと似たような(あるいは全く同じ)記述が多過ぎる。これはワープロのコピペの弊害ですね。これから頼まれて、戦前ドイツで活動した貴志康一についての本の書評をしなければならないのだが、同じ頃のこれらフランスの音楽団体の中にも一人日本人の名前があって驚いた。1922年2月2日の独立音楽協会のコンサートに、Yoshinori Matsyama という人の des chansons populaires japonaises が演奏されたというのだ。だれ?
2011年10月24日月曜日
奇談異聞辞典
柴田宵曲編『奇談異聞辞典』(ちくま学芸文庫)読了。読み終わるのがもったいないくらいでした。素晴らしい!「共同幻想論」は全然、『遠野物語』だけに依拠する必要がなかったわけだ。日本中、共同幻想だらけである。
いまどきフランス音楽コンサート
そしてルドン展の後は「いまどきフランス音楽コンサート」と題された森本ゆり(Pf)・畑中明香(perc)・改發麻衣(perc)さんのコンサート。後二者は同女打楽器の卒業生。曲はエマニュエル・セジュルネ《火をお持ちですか》、アラン・ゴーサン《アルカーヌ》、 クセナキス《プサッファ》、ティエリー・ド・メー《机の音楽》、ジョルジュ・アペルギス《ル・コール・ア・コール》、モーリス・オアナ《エチュード12》(それぞれ原題:Emmanuel Séjourné, Vous avez du feu ?, Allain Gaussin, Arcane, Iannis Xenakis, Psappha, Thierry De May, Musique de tables, Georges Aperghis, Le corps à corps, Maurice Ohana, Etudes d'interprétation XII)。なかなかの熱演であった。クセナキスやアペルギスを暗譜で演奏するなど結構がんばっているな、との感。後はフランス語をもう少し頑張ろうね。セジュルネとドメーは初めて聴く作曲家(名前も曲も)。ケージや実験音楽系の影響が明らかで面白い。でもきちんと構成された音楽になっているところが「ヨーロッパ」なんでしょうね。机を手で叩いたり擦ったりするするだけでカノンをするところは「伝統」!かな?
成田先生も来ていたけれど、ぼくは細川周平さんを誘ったのだった。彼は嵯峨で念仏狂言を見て来たと言って遅れて来た。コンサート後は三人でぶらぶら帰り、成田さんは帰宅。周平さんとぼくは「受賞祝い」ということで、彼の行きつけの天ぷら「有馬」へ。非常においしかった。天ぷらは言うまでもないが、宮崎出身の御主人の裏メニュー「冷や汁」に感激!
成田先生も来ていたけれど、ぼくは細川周平さんを誘ったのだった。彼は嵯峨で念仏狂言を見て来たと言って遅れて来た。コンサート後は三人でぶらぶら帰り、成田さんは帰宅。周平さんとぼくは「受賞祝い」ということで、彼の行きつけの天ぷら「有馬」へ。非常においしかった。天ぷらは言うまでもないが、宮崎出身の御主人の裏メニュー「冷や汁」に感激!
ルドンとその周辺
京都駅の「えき」美術館に「ルドンとその周辺」展を見に行った。わざわざ行ったのでなくて、その後のコンサートの前にちょっと時間があったので寄ったのでした。やはりいつみてもルドンの作品はどれも味がある。しかし発見もあって、展示作品の中にはリトグラフが多かったのだが、中にいくつか献辞が書き込まれているものがあって、オクターヴ・モース宛があった。説明ではベルギーの「二十人会」を組織した、としかなかったが、彼こそが「自由美学」演奏会シリーズの立役者である。ダンディをはじめ、セヴラックなどスコラの作曲家たちの多くの作品がここで初演された。今度出るアルテスの雑誌にルドンとセヴラックの関係について書いたけれども、ここでも間接的に彼らの関係が明らかになっている。もう一つの発見は、ギュスターヴ・モローからのルドンへの影響。オルフェの絵があって、それがまさしく竪琴にオルフェの首が乗っているというモローと同様の構図。しかしこれはそのようなイコノグラフィーが他にもあるのかも知れない。
モローのオルフェはこう。実はぼくはこれのカルコグラフィーを持っていて、家のプレイエルの下の壁に立てかけてある。
2011年10月22日土曜日
奈良ゆみさんインタビュー
セヴラックCDでソプラノを歌ってくださった奈良ゆみさんのインタビューがYouTubeにアップされていました。
http://www.youtube.com/watch?v=Qb6Fne-Ep-4
録音時のエピソードなど興味深い話を聞くことができます。
2011年10月9日日曜日
Acousmatic Concert
「関西の電子音楽の現在形」(同志社大学寒梅館)に行って来た。同志社女子大音楽学科の先生たちの作品を集めたもの。
檜垣智也『船上のプレリュード』『インコーポレアル』はフェラーリの「逸話的音楽」の正嫡という感じか。考えさせるのは、日本語の言葉の「近さ」。これは母国語ということから来るか、あるいはもっと音響学的なこと(デジタル/アナログ)か、あるいは……。
石上和也『淤母陀流神への奉納曲』はそのフォルムの不思議さが聴かせる。最後のミニマル的部分(タカタカタタカタカカ)は印象的。
清水慶彦『白傘蓋陀羅尼によるインヴェンション』はチェロと録音された音響との共演。非常に巧みに書かれている。この曲も最後のチェロのソロが印象的。
休憩を挟んで、RAKASU PROJECT『1無題/2みかか/3見えない音』。2の電話インターネット音は何だか懐かしい。最後の音響を「話し中」のツーツー音にしてフェイドアウトして欲しかった。他2曲は光センサーを使ったライヴエレクトロニクス。これは非常に面白い。光の相(時間的要素)の上に色も音響の変化に関係があるらしい。スペクタクル性を開発すると非常に面白そう。
葛西聖憲『1Etude des sons homogènes 1999/2Etude 2006』はフルートとヴァイオリンの音を基にした作品。良くも悪くも非常に巧みなメチエのある作曲家の作品だ。同じことは次の成田和子『ミュジコラマ2011』にも言える。要は素材が楽器音か、録音された具体音かの違いだけである。ただ成田作品の最後(『祈り』)に多少の冒険が感じられる。
檜垣智也『船上のプレリュード』『インコーポレアル』はフェラーリの「逸話的音楽」の正嫡という感じか。考えさせるのは、日本語の言葉の「近さ」。これは母国語ということから来るか、あるいはもっと音響学的なこと(デジタル/アナログ)か、あるいは……。
石上和也『淤母陀流神への奉納曲』はそのフォルムの不思議さが聴かせる。最後のミニマル的部分(タカタカタタカタカカ)は印象的。
清水慶彦『白傘蓋陀羅尼によるインヴェンション』はチェロと録音された音響との共演。非常に巧みに書かれている。この曲も最後のチェロのソロが印象的。
休憩を挟んで、RAKASU PROJECT『1無題/2みかか/3見えない音』。2の電話インターネット音は何だか懐かしい。最後の音響を「話し中」のツーツー音にしてフェイドアウトして欲しかった。他2曲は光センサーを使ったライヴエレクトロニクス。これは非常に面白い。光の相(時間的要素)の上に色も音響の変化に関係があるらしい。スペクタクル性を開発すると非常に面白そう。
葛西聖憲『1Etude des sons homogènes 1999/2Etude 2006』はフルートとヴァイオリンの音を基にした作品。良くも悪くも非常に巧みなメチエのある作曲家の作品だ。同じことは次の成田和子『ミュジコラマ2011』にも言える。要は素材が楽器音か、録音された具体音かの違いだけである。ただ成田作品の最後(『祈り』)に多少の冒険が感じられる。
2011年10月6日木曜日
音楽のカルチュラル・スタディーズ
マーティン・クレイトンほか編『音楽のカルチュラル・スタディーズ』(若尾裕監訳、アルテスパブリッシング)読了。ぼくが普段から考えていることと余り違わないことがほとんどであった。しかし、自分の考えを考え直してみるいい機会にはなって、結局『狂気の西洋音楽史』は「西洋音楽」の「内側」からの、『セヴラック』は「外側」からのアプローチであるということに気がついた。その他にも、この二著は、さまざまな点で補完し合っている(内と外、客観と主観、学問的語りと小説的語り、等々)。その他には、一点、音楽心理学という学問がそれほど当てにならないものでもなさそうだ、ということ。でもどうかなー……。
2011年10月1日土曜日
高橋聖子パイプオルガンコンサート
高橋聖子パイプオルガンコンサートを新島記念講堂で聴いた。曲目はバッハのヘ長調の《トッカータとフーガ》、クープランの《修道院のミサ》よりいくつか、リストの《BACHの名による前奏曲とフーガ》、休憩を挟んでアランの小曲二曲とヴィドールの《交響曲第5番》。やはりクープランはいいですなあ、独特の雰囲気がある。少し彼の Leçons de ténèbres を思わせる部分もあり。ヴィドールはやはりなくもがな、かな?でも第二楽章の中間部でなんと!「待ちぼうけ」の前奏が聞かれますぞ!
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