2011年7月28日木曜日

CD表紙

CDの表紙がどこにもないので、ここにアップします。

『セヴラック 歌曲とフランスの古いシャンソン/奈良ゆみ(ソプラノ)椎名亮輔(ピアノ)』(コジマ録音、ALCD-7158)

2011年7月23日土曜日

M・エックハルト『神の慰めの書』

M・エックハルト『神の慰めの書』(相原信作訳、講談社学術文庫)読了。岩波文庫の説教と重なる部分多し。しかし、相原氏の訳は重厚で、時に時代がかってはいるが、熱がこもっており、味わいがある。「神と取引をする者たち」の話はここにも出ていた。そして、もう一つ心に残ったもの。「神の慰めは純粋であって、何の欠陥もなく完璧であり完全である。実に彼にとってはお前に向かって与え恵むことは必然のことであり、彼は待ちきれないで自分から先回りをして自分自身をお前に与えずにはいられないのである」。私はどんなに小さなものでも喜びを感じるところ、そのようなあらゆるところに「神」と出会う。彼の、彼女の、あれの、これの、本当の姿は実は「神」であった。これがスピノザの言う「神」ではないだろうか?

Luc Ferrari

Luc Ferrari 関連書籍二冊読了。Portraits polychromes no.1 "Luc Ferrari", INA, 2001, Nouvelle édition augmentée 2007, そしてもう一つは、Sonopsys (Cahiers musique concrète / acousmatique) no.4 "Hommage à Luc Ferrari", Licences, Paris, 2007. 特に後者は、Alexandre Yterce という人がやっている個人雑誌らしいのだが、付録CDが付くやら、凝った装丁やら、写真や折り込みも豊富というなんだかすごい得体の知れないもの。限定500部だそうだ。どちらもブリュンヒルドからもらっていて、今まできちんと熟読はしていなかったもの。面白い発見多数。《引き裂かれた交響曲》に言葉が付いているというのもその一つ。また、アクースマティック関係者多数参加の座談会では、フランソワ・ベールが興味深い発言を(やや思い込みの発言も多く、ブリュンヒルド ― 彼女も参加していた ― 他によって修正されたりしている)。それは、ピエール・シェフェールの Traité des objets musicaux に関するもの。この超体系的な書物とフェラーリとの関係である。

2011年7月22日金曜日

アルテス・パブリッシング

アルテス・パブリッシングのHPに拙著『デオダ・ド・セヴラック』の近刊予告が。以下のサイトを御覧あれ。
http://www.artespublishing.com/
乞御期待。

2011年7月21日木曜日

Luc Ferrari, Collection de petites pièces

Luc Ferrari, Collection de petites pièces ou 36 enfilades pour piano et magnétophone (1986) を聴き直す。やはり傑作である。一度聴いたら耳を離れないこのテーマ!なぜ聴き直したのかと言えば、ブリュンヒルドがメールに「comment pourrais-je comprendre ?(どうやって解れって言うの?)」と書き、これはリュックだ、とあったから。恥ずかしいことに彼女に「これはなに?」と訊いたのでした。フェラーリのこの作品の中で女性がこう語るのである。

2011年7月20日水曜日

Le cantique spirituel

Saint Jean de la Croix, Le cantique spirituel (trad. du Père Grégoire de Saint Joseph, Seuil, coll. point, 1947, 1995) 読了。例の箇所は、

XIV (XV)
Comme la nuit tranquille
Lorsque commence le lever de l'aurore,
Comme la musique silencieuse,
Comme la solitude harmonieuse,
Comme le festin qui charme et remplit d'amour.

2011年7月19日火曜日

神の慰めの書

エックハルト『神の慰めの書』(相原信作訳、講談社学術文庫)。エックハルトをミスティックなどと誰が言った。なんと彼の現実的なことよ。我々が不幸を嘆くにあたらないことを、卓抜な比喩で語る(140頁)。ある人が私に上着とチョッキとマントを貸してくれていて、寒くなったのでマントを返してもらうが、チョッキと上着はまだ貸していてくれる。これはありがたいことではないか。我々が幸福を(少々)失ったからと言って、不平を言うにはあたらないのである。
それから、彫刻家は岩や木を削るのではなく、その中から彫像を「掘り出す」という比喩があったが、これは漱石が『夢十夜』で語っているのと全く同じ。エックハルト→漱石はどのように繋がっているのか?

2011年7月12日火曜日

近世畸人伝

伴蒿蹊『近世畸人伝』(岩波文庫)再読了。まあ奇人変人はいるもんだな。一日中、穴の中で読書をしているなど、なんとうらやましい。彼らがまさに生き生きと活写されている。あたかもすぐ隣にいるような。

2011年7月9日土曜日

ジャクリーヌの映画

ジャクリーヌ・コーの映画を神戸で上映する企画について、木曜日の下田さんの音楽マネージメント論で少々試写会を行い、その後石上和也君、また小島剛さんと相談。小島さんとは、初対面。しかし、彼はフェラーリが大阪で演奏をした時のお世話役だったはず。その前日には檜垣君とも相談。みんなが力を合わせてくれているのが、大変嬉しい。

2011年7月8日金曜日

マイスター・エックハルト

『説教集』(田島照久編訳、岩波文庫)読了。「私は悲しみのあまり死ぬほどである」(マタイ26・38)。ちょうど授業の《マタイ受難曲》で聴いたばかりだったので、衝撃。イエスの場合もそうだが、「外の自己」を離脱せよ。まさしく!ペソアも違うことは言っていない。「商人」となってはならない。ボエティウス『哲学のなぐさめ』でも「商人的」だ。心の自由と平安を!

2011年7月1日金曜日

エックハルト

トマス・ア・ケンピスを読んでいて、「キリストにならって」いろいろと苦難に耐え、身をつつましく維持しなければならない、その方が神によって良しとされるからだ、という論理がちょっと気になった。こういう考えに対して、エックハルトははっきりと「それは商人である」と言い切って、否定している。自分の苦難と神から与えられる幸せを「取り引き」しているのだ、と。しかし、トマスの方が100年くらい後の時代の人なのだが……。エックハルトは死後すぐに「異端」として断罪された、というが、こうして彼の影響は無くなってしまったのだろう。残念だ。絶対、トマスよりエックハルトの方が正しいと思う。ニーチェはエックハルトを知っていたのだろうか?