2015年7月31日金曜日

魔女

ミシュレ『魔女』上下(篠田浩一郎訳、岩波文庫)読了。ヨーロッパの暗黒の女性史、として、奇妙に現代的な部分と古い部分が混ざっているが、フランス語で名文と言われるだけのことはある、と思う。この翻訳もうまい。

2015年7月30日木曜日

親王塚の猫たち

人を人とも思わない……



あゆホウセンカ結実?

そろそろ花も盛りを過ぎたか、花の中心に実ができています。

そして、またもや、植木鉢にキノコが!また違う種類です。

2015年7月24日金曜日

あゆホウセンカその後そのほか

あゆホウセンカはいよいよ満開です。
 
 ガジュマルも気根を延ばし始めました。
いつも元気なニチニチソウ。
 そして一時期花がなかったけれど、復活したゼラニウムです。

2015年7月23日木曜日

ほぼ

キノコ畑の状態に。


Mushroom in campus

またまたキャンパスのキノコ。大量発生です。




2015年7月21日火曜日

神戸モザイク

昨日はいづみ余島合宿のお迎えで神戸かもめりあ、その後、モザイクでお食事をしました。

お食事のおともは、神戸ヴァイツェンビール。
夜景もきれいでした。

2015年7月19日日曜日

フェラーリのピアノ曲を堪能する!

昨日は愛知県芸術劇場で中川賢一現代音楽コンサート「フェラーリのピアノ曲を堪能する!」を聴いた。実を言うと名古屋は初めてなのである。会場はかの有名な「テレビ塔」のそばにあった。ゆるキャラもあり、しかし名古屋の人は見向きもせず、彼は一人寂しく去って行った。


コンサートの曲目は、《ウント・ゾー・ヴァイター》、《失われたリズムを求めて》、《ディダスカリー2》(小坂圭太・照喜名俊典共演)、《小品コレクション》の4曲。いずれにもパワフルな、全力疾走の演奏であった。照明などの演出も素晴らしかった。実に楽しめた。演奏後に中川さんから聞いたのだが、《コレクション》のテープにはいくつものヴァージョンがあるらしい。彼はブリュンヒルドさんに直接、いろいろと問い合わせて、3種類のヴァージョンを送ってもらうことになったという。恐らく、フェラーリは演奏のたびごとに、テープ・ヴァージョンをそれぞれのシチュエーションに合うように作り替えていたのではないだろうか。いろいろ訊いてみたいところである。打ち上げ後、大阪に帰るという小坂さんと一緒に新幹線で、彼の「コレクション」(ピアノとミニカー)の話を聞く。

2015年7月16日木曜日

今日も

また一輪咲きました。
空には不穏な台風の雲。

2015年7月14日火曜日

おお、研究室から虹が!


『フランス・ルネサンスの人々』から

『フランス・ルネサンスの人々』から、心に残った言葉。
「《食うか食われるか》が、人間世界の実相だと言われます。しかし、こうした実相を浄化し、これから脱出しようというのが、人間の文化の歩みなのであってほしいと思います。現実は現実、実相は実相ですから、これを認めねばなりませんが、そこにあぐらをかいてしまうことは、人間であることを放棄する結果になりはしないでしょうか? 「人生は、つまるところ、金力・権力・色欲さ」と嘯く人々はたくさんいますが、それは、要するに、恥ずかしい人間生活の考察にすぎず、何らこれを打開する道を指示することにならぬということを考える人々は、決して多くはないでしょう。」
「現在でも、資本主義制度を批判すればアカということになりますし、共産主義制度を批判すれば反動と呼ばれて、批判する理由も立場も全く無視されて、都合のよい側から都合のよいように利用されやすいものです。」

2015年7月13日月曜日

フランス・ルネサンスの人々

渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』(岩波文庫)とコリャード『懺悔録』(大塚光信校注、岩波文庫)を読んだ。前者は、時代的にはこの間の『フランス・プロテスタントの反乱』の時代の少し前の話で、どうしてこのような歴史の流れになったのかが、よくわかる。しかし渡辺一夫の視点は、戦後日本の現実をもみつめていて、それが、実に、現在も変わらず通用するのが、何と言うか、日本は変わってないなあ、という慨嘆である。もちろん、宗教戦争については現在の世界情勢にも通用する話で、それどころか以前にもましてそうだという気がする。いずれにせよ、そのような変わらない嘆きと同時に、後者においてはもっと感じたのだが、人間はやはり少しずつでもより「人間的に」なってきている、コリャードが伝える戦国末期の日本の、たとえば子どもの扱い(「間引き」など)は、今では考えられない。これはキリスト教というものが、もともと、旧約的世界の暴力性を「人間的に」したこととも関連があるだろう。現代の我々はそれが余り見えなくなっている。

2015年7月12日日曜日

京都賞シンポジウム

第2回京都大学稲森財団合同京都賞シンポジウムに行ってきた。場所は京都大学百周年時計台記念館、初めて京大の時計台を見た。清水哲夫の詩集の写真の印象が強くて、何だか遠い不思議な感じ。


近藤譲さん、三輪眞弘さんの講演、中川俊郎さんのミニコンサート。近藤さんの話の「古代ギリシャのテクネーは技術、ヨーロッパ中世のアルスは知識、近代のアートは作品」というのは、なるほどと思わせた。自由学芸、アルス・リベラーリスはまさに知識だし、近代のアート概念と同時に批評とか趣味が生まれるわけだから。意味論的内容と記号論的内容の話も面白かった。三輪さんの仕事は、今回授業の関係でホフマンを再読していたおかげで、『砂男』の話、ひいてはフロイトの「不気味なもの」との関連を考えさせられた(三輪さんの言う「祈り」とは離れるけれど)。中川さんの演奏と作品は初めて聴いたが、現代日本には本当に才能のある人が(例の新垣さんも含め)たくさんいるのだな、と感じた。コンサートの曲目は、バッハ《14のカノン》、メシアン《鳩》、ケージ《ピアノのためのソロ》、近藤譲《メタフォネシス》、中川《ピアノのための組曲》、アンコールに中川《ひまわり》だった。バッハで始まって、CM音楽で終わるのは、ある意味、「芸術ではない音楽」で一貫している気がした。色々考えさせられる点である。

オーケストラコンサート

昨日は音楽学科のオーケストラコンサート。解説(という名の舞台転換中の間持たせ役)を担当いたしました。初めてウィンドオーケストラが演奏したが、なかなか。他のみんなも熱演でした。
音楽棟に登る途中の山道のキノコ(またかw)。いやいや、すっごく大きかったもので……

近接ばかりだと余り解りませんが、ちょっと離れて撮るとこんな感じ。

2015年7月10日金曜日

キノコ、キノコ……

阿保親王塚のキノコ。





キノコ、キノコ……

ベランダのハーブのプランターの中に見慣れない白いものが……。
何と、キノコでした。



2015年7月8日水曜日

学研都市線事故ほか

学研都市線が人身事故とかで1時間以上止まっていた。おかげで、Dominique et Jean-Yves Bosseur, Révolutions musicales : La musique contemporaine depuis 1945, Minerve, 1986. を再読することができた。中で言っているのだが、第二次大戦後から1978年までの(主にフランスの)現代音楽状況を叙述しているので、80年代に流行ったポストモダンについては一言もない。またCDや、ましてやインターネットについては、全く何もないのは、やはり時代ですな。しかし、スペクトル派について、何もないのは、何か理由があるのか。

2015年7月5日日曜日

神戸宇宙博

教会の後に、神戸宇宙博に行ってきた。
 ロケットの模型がいっぱい。

 七夕のたんざくを書くコーナーもあった。なかなか……笑える

 エアバスのヘリコプター試乗(?)も。
 疲れたので、最後は芦屋風月堂でおやつ。