2015年12月28日月曜日

京都での発表


パリ出張でリュック・フェラーリ関連人物たちにインタビューした報告を、19日(土)に日本音楽学会西日本支部例会、20日(日)に先端芸術音楽創作学会研究会で行いました。そのレポートがさっそくプレスクリヤン協会日本支局のブログに。
http://association-presquerien.hatenablog.com/entry/2015/12/27/232326

2015年12月26日土曜日

ジェイ・ゴットリーブ、ピアノリサイタル Jay Gottlieb Piano Recital

ジャチント・シェルシGiacinto Scelsi《4つの挿絵 4 Illustrations sur la Métamorphose de Vishnou》(「挿絵」ではなくて「説明」かな?)、フランコ・ドナトーニFranco Donatoni《フランソワーズ変奏曲 Françoise-Variationen》、モーリス・オアナMaurice Ohana《自由な対位法のための練習曲Etude pour les contrepoints libres》(ジェイのために)、マグヌス・リンドベルイMagnus Lindberg《練習曲Etude pour piano》(ジェイのために)、ジョン・アダムスJohn Adams《フリギアン・ゲイツPhrygian Gates》、コリン・マクフィーColin McPhee《2台のピアノのためのバリの儀式音楽Balinese Ceremonial Music for 2 pianos》、プーランクFrancis Poulenc《2台のピアノのためのソナタSonate pour 2 pianos》。もう一台は谷口敦子さんでした。奈良ゆみさん、海老坂先生、細川周平さん、筒井はる香さんなどとお会いした。ジェイが話してくれたオアナについての逸話をどうしても思い出せない。確か、誰か作曲家を大変に誉めていたということだったような気がするが。それに対して、リゲティが最晩年にパリの11区に住みたがっていた、というのは覚えている。あと、ナディア・ブーランジェがあらゆる音楽を暗譜していた、というのも。


2015年12月22日火曜日

奈良ゆみソプラノリサイタル@フェニックス

昨夜のゆみさんのリサイタルについて。
松平とメシアン、「愛はどのように響くのだろうか」と題され歌われる。
松平もメシアンも音楽の作りは、一本のメロディーから成っているヘテロフォニーと感じられる。松平の場合は、そこに多数の装飾音がつく。メシアンの場合は、そのメロディーに暖かい和音がついていて、そこにさまざまな付加音や鳥の歌がからまる。そして、ジェイのピアノはそのメロディーを朗々と歌い、ゆみのソプラノもまさに百花繚乱と歌うのだが、そこに微妙だったり豊かな音色の差異があって、ジェイのピアノとゆみの声が絡まりあって、飛んでいくという感がある。まさに比翼の鳥、愛の象徴だ。圧巻は「階段」の章だった。このescalierというのは、カトリック的には「はしご(ヤコブの)」ではなかろうか。天上の神まで昇っていくのである。昇っていった天上の plateau が最後の曲なのだ。

2015年12月14日月曜日

フェラーリ関連人物インタビュー

このたびパリ出張して、リュック・フェラーリ関連人物にインタビューを行いました。
ジャック・ブリソ Jacques Brissot

ダニエル・テルッジ Daniel Teruggi

アレッサンドロ・メルクーリ Alessandro Mercuri とアンドレア・チェルノット Andrea Cernotto

ダヴィッド・ジス David Jisse


そして、フィリップ・ミュクセル Philippe Muxel の各氏でした。


みなさん、どうもありがとうございました。
Merci beaucoup tous !

2015年11月27日金曜日

今年のプレスク・リヤン賞

今年のプレスク・リヤン賞は、日本の梅沢英樹さんが優勝しました。おめでとうございます!!
http://association-presquerien.hatenablog.com/entry/2015/11/26/185924

2015年11月23日月曜日

ブランカフォルト財団によって紹介されました

私の「研究ノート、モンポウ/ブランカフォルト往復書簡」がブランカフォルト財団によって紹介されました。
https://manuelblancafort.wordpress.com/2015/11/21/el-music-japones-ryosuke-shiina-publica-un-estudi-sobre-la-correspondencia-mompou-blancafort/

2015年11月20日金曜日

Mâkhi Xenakis, Iannis Xenakis: Un père bouleversant

その間に Mâkhi Xenakis, Iannis Xenakis: Un père bouleversant, Actes Sud, 2015. を読んだ。これは Brunhild Ferrari がぼくにわざわざ送ってくれたもの。とってもよい本だ。クセナキスがますます好きになった。その他にこれまでには、ピエール=フランソワ・ラスネール『ラスネール回想録』(小倉孝誠・梅澤礼訳、平凡社ライブラリー)、『訳詩集 葡萄酒の色』(吉田健一訳、岩波文庫)、そのほか Léon Vallas の Debussy とか、Roy Howatt の Debussy in proportion とかいろいろ読んだけど、細かいのは忘れてしまった。

2015年11月19日木曜日

Prix Presque Rien 2015

プレスク・リヤン賞2015の審査委員会がこれから始まります。

2015年11月3日火曜日

プラさん講演新チラシ

プラさんの同女公開講座の新しいチラシができました。モンポウ財団のロゴが入りました。

2015年10月30日金曜日

プラさん公開講座

12月12日の「光の音」のあと、プラさんは同女でもレクチャーコンサートをしてくださいます。

2015年10月23日金曜日

「光の音」アドルフ・プラ ピアノリサイタル

12月12日(土)に神戸にてカタルーニャ音楽院のアドルフ・プラさんをよんでレクチャーコンサートを開きます。彼はモンポウの専門家で、今回は「光の音」と題した、ガウディ/モンポウの関係について、カタルーニャ性について、画像も交えて、面白いものになりそうです。


鈴木羊子スペインピアノ音楽コンサート

11月11日に同志社女子大で、バルセロナのピアニスト、鈴木羊子さんのコンサートがあります。私は解説をおおせつかりました。来聴歓迎、入場無料、事前申込不要、乞御期待!
http://www.dwc.doshisha.ac.jp/event_calendar/2015/11/

モンポウ/ブランカフォルト往復書簡1

大学の紀要に出した翻訳とコメント「モンポウ/ブランカフォルト往復書簡」(の最初)がネットで見られるようになっていたので、ご紹介。最初の部分なので、「往復」と言いながらブランカフォルトの分しかありません。


2015年10月17日土曜日

我輩は猫画家である

南條竹則『我輩は猫画家である − ルイス・ウェイン伝』(集英社新書ヴィジュアル版)、Erik Satie, Éctrits, Éditions Champs Libre, 1981. Correspondance presque complète, Fayard, 2000. ほかサティ関係を多数読んだ。Écrits だって翻訳があって、たくさん翻訳本がある中(サティはやはり人気だね)、『書簡から見るサティ』はやっつけ仕事的でちょっとなあ、という感じだった(英訳からの重訳だし)。アルクイユ住人のレオン・ルイ・ヴェシエールの回想記はなかなか。

2015年10月8日木曜日

サティとカタルーニャの画家たち

サティとカタルーニャの画家たちはモンマルトルで仲良くしていたのだった。ラモン・カサス、サンティアゴ・ルシニョル、イグナティオ・スロアガ、ミケル・ユトリロなどなど。彼らがサティを描いた絵がいくつか残っている。
サンティアゴ・ルシニョルはサティが自分のコルトー街の部屋にいるところを描いている。
 ラモン・カサスの絵はモンマルトルの風車を背後に。
 もう一つルシニョルの絵、カフェにあったアルモニウムを弾くサティ。
彼らがバルセロナに開いたカフェ「クアトロ・ガッツ(四匹の猫)」の開店時にサティが居合わせたという未確認情報もある位だ。

2015年9月29日火曜日

芸術照応の魅惑

11月に「芸術照応の魅惑」と題したシンポジウムに参加します。東京恵比寿の日仏会館にて。


2015年9月22日火曜日

明治詩話

木下彪『明治詩話』(岩波文庫)と東雅夫編『幻想小説神髄』(ちくま文庫)を読んだ。前者247頁に「百音琴」(オールゴール)、「洋犬」(かめ)とあり、後者ホフマン「黄金宝壷」137頁「協和音」(アリコルト)とあるのが目を惹いた。

2015年9月13日日曜日

サラマンカホール電子音響音楽祭

サラマンカホール電子音響音楽祭に行って来た。中村滋延先生とよくお話しする機会があって、彼がピエール・アンリの《フュチュリスティ》について言った言葉、「あれはもともとは2チャンネルのステレオだけだったんですね、これがあんな風に響くなんて信じられませんでした」。また岐阜県美術館での「IAMAS ARTIST FILE 3 BEACON 2015 LOOK UP!」は回転するイメージとその社会性でリュック・フェラーリを思い起させた。松井茂さんの「音響詩」は、ちょうど塚原先生のダダ・シュールレアリズムの本の中にレトリスムについてのことがあったので、それと関連させて考えさせられた。でも朗読が妙齢の女性というところから、ゴーギャンのことを思ったりしたら、ちょうど美術館の中にゴーギャンが展示されていた。また安野太郎さんのゾンビ音楽では、演奏前にブレーカーが落ちて、「ゾンビが出て来る前に電気が死ぬ」と思った。同じ結果を得るためにわざわざ手間ひまをかけるという、ブリコラージュ的芸術はまさに三輪さんの言う「鵜飼」である。以上、忘れないうちに。そうそう、それと美術館には多くのルドンがあって、『閉じた目』があったのも音楽関係者には嬉しいところ。
サラマンカホールのある西岐阜駅。
なかなか美しい岐阜県美術館の庭。小川が流れている。

2015年8月30日日曜日

自由に老いる

海老坂武『自由に老いる おひとりさまのあした』(さくら舎)、天野太郎『阪急沿線の不思議と謎』(実業之日本社 じっぴコンパクト新書)、三遊亭円朝『真景累ヶ淵』(岩波文庫)を読んだ。前二者は著者からの恵贈。モンテーニュを読みたくなった。

2015年8月26日水曜日

Maurice Ravel par quelques-uns de ses familiers

Maurice Ravel par quelques-uns de ses familiers, Éditions du Tambourinaire, Paris, 1939. と塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』(ちくま学芸文庫)を読んだ。Lucien Goldmann, Le Dieu caché, Gallimard (coll. Tel), 1959. は、再読と言えば再読なのだが、またずっと読んで、ちょっとほったらかしにしていた。あとラシーヌの部分のみ。塚原先生には大里さんと一緒にパリでお世話になった。ゴールドマンは、ロシェ先生のテキストだった。ラヴェルについての本は、ヴュイエルモーズが面白いことを言っていて、これは今度の1月の講演でのお楽しみ。

2015年8月16日日曜日

狂気について

渡辺一夫『狂気について』(岩波文庫)、H・F・ペータース『ルー・サロメ 愛と生涯』(土岐恒二訳、ちくま文庫)を読んだ。

2015年7月31日金曜日

魔女

ミシュレ『魔女』上下(篠田浩一郎訳、岩波文庫)読了。ヨーロッパの暗黒の女性史、として、奇妙に現代的な部分と古い部分が混ざっているが、フランス語で名文と言われるだけのことはある、と思う。この翻訳もうまい。

2015年7月19日日曜日

フェラーリのピアノ曲を堪能する!

昨日は愛知県芸術劇場で中川賢一現代音楽コンサート「フェラーリのピアノ曲を堪能する!」を聴いた。実を言うと名古屋は初めてなのである。会場はかの有名な「テレビ塔」のそばにあった。ゆるキャラもあり、しかし名古屋の人は見向きもせず、彼は一人寂しく去って行った。


コンサートの曲目は、《ウント・ゾー・ヴァイター》、《失われたリズムを求めて》、《ディダスカリー2》(小坂圭太・照喜名俊典共演)、《小品コレクション》の4曲。いずれにもパワフルな、全力疾走の演奏であった。照明などの演出も素晴らしかった。実に楽しめた。演奏後に中川さんから聞いたのだが、《コレクション》のテープにはいくつものヴァージョンがあるらしい。彼はブリュンヒルドさんに直接、いろいろと問い合わせて、3種類のヴァージョンを送ってもらうことになったという。恐らく、フェラーリは演奏のたびごとに、テープ・ヴァージョンをそれぞれのシチュエーションに合うように作り替えていたのではないだろうか。いろいろ訊いてみたいところである。打ち上げ後、大阪に帰るという小坂さんと一緒に新幹線で、彼の「コレクション」(ピアノとミニカー)の話を聞く。

2015年7月14日火曜日

『フランス・ルネサンスの人々』から

『フランス・ルネサンスの人々』から、心に残った言葉。
「《食うか食われるか》が、人間世界の実相だと言われます。しかし、こうした実相を浄化し、これから脱出しようというのが、人間の文化の歩みなのであってほしいと思います。現実は現実、実相は実相ですから、これを認めねばなりませんが、そこにあぐらをかいてしまうことは、人間であることを放棄する結果になりはしないでしょうか? 「人生は、つまるところ、金力・権力・色欲さ」と嘯く人々はたくさんいますが、それは、要するに、恥ずかしい人間生活の考察にすぎず、何らこれを打開する道を指示することにならぬということを考える人々は、決して多くはないでしょう。」
「現在でも、資本主義制度を批判すればアカということになりますし、共産主義制度を批判すれば反動と呼ばれて、批判する理由も立場も全く無視されて、都合のよい側から都合のよいように利用されやすいものです。」

2015年7月13日月曜日

フランス・ルネサンスの人々

渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』(岩波文庫)とコリャード『懺悔録』(大塚光信校注、岩波文庫)を読んだ。前者は、時代的にはこの間の『フランス・プロテスタントの反乱』の時代の少し前の話で、どうしてこのような歴史の流れになったのかが、よくわかる。しかし渡辺一夫の視点は、戦後日本の現実をもみつめていて、それが、実に、現在も変わらず通用するのが、何と言うか、日本は変わってないなあ、という慨嘆である。もちろん、宗教戦争については現在の世界情勢にも通用する話で、それどころか以前にもましてそうだという気がする。いずれにせよ、そのような変わらない嘆きと同時に、後者においてはもっと感じたのだが、人間はやはり少しずつでもより「人間的に」なってきている、コリャードが伝える戦国末期の日本の、たとえば子どもの扱い(「間引き」など)は、今では考えられない。これはキリスト教というものが、もともと、旧約的世界の暴力性を「人間的に」したこととも関連があるだろう。現代の我々はそれが余り見えなくなっている。

2015年7月12日日曜日

京都賞シンポジウム

第2回京都大学稲森財団合同京都賞シンポジウムに行ってきた。場所は京都大学百周年時計台記念館、初めて京大の時計台を見た。清水哲夫の詩集の写真の印象が強くて、何だか遠い不思議な感じ。


近藤譲さん、三輪眞弘さんの講演、中川俊郎さんのミニコンサート。近藤さんの話の「古代ギリシャのテクネーは技術、ヨーロッパ中世のアルスは知識、近代のアートは作品」というのは、なるほどと思わせた。自由学芸、アルス・リベラーリスはまさに知識だし、近代のアート概念と同時に批評とか趣味が生まれるわけだから。意味論的内容と記号論的内容の話も面白かった。三輪さんの仕事は、今回授業の関係でホフマンを再読していたおかげで、『砂男』の話、ひいてはフロイトの「不気味なもの」との関連を考えさせられた(三輪さんの言う「祈り」とは離れるけれど)。中川さんの演奏と作品は初めて聴いたが、現代日本には本当に才能のある人が(例の新垣さんも含め)たくさんいるのだな、と感じた。コンサートの曲目は、バッハ《14のカノン》、メシアン《鳩》、ケージ《ピアノのためのソロ》、近藤譲《メタフォネシス》、中川《ピアノのための組曲》、アンコールに中川《ひまわり》だった。バッハで始まって、CM音楽で終わるのは、ある意味、「芸術ではない音楽」で一貫している気がした。色々考えさせられる点である。

2015年7月4日土曜日

音楽演奏の社会史

大崎滋生『音楽演奏の社会史 ― よみがえる過去の音楽』(東京書籍)、 Portraits polychromes : Luc Ferrari, INA, 2007 (nouvelle édition augmentée) を読んだ。後者は再読。Gayou によるフェラーリへのインタビューがあって、これが彼の映画やヘールシュピールについて言及しており、なかなか。使えそうである。前者は昔買っておいて読んでいなかった。「美学」で講義していることのおさらいめいてもいるが、細かい発見もあって、楽譜に書いていないことが、全てなかったわけではない、というのは目からウロコである。18世紀以前に、ピアノとフォルテしか書いていないからと言って、クレッシェンドやデクレッシェンドがなかったわけではない、とか、アレグロの中に突然アダージオがあるところは、実はリタルダンドだった、ということなど。特に昨日、ふと思い付いてハイドンの初期のソナタを弾いていたのだが、まさしくその例が出て来るのである。なんじゃこりゃと思っていたので、まさにタイムリー。

2015年6月29日月曜日

Évelyne Gayou, GRM Le Groupe de Recherches Musicales : Cinquante ans d'histoire

Évelyne Gayou, Le GRM : Le Groupe de Recherches Musicales : Cinquante ans d'histoire, Paris, Fayard, 2007. いちおう読んだ。前半の具体的な歴史の部分はすごく面白かったが、後半の「概念的」な部分、特に電子音響音楽の「記譜」についての部分はつまらないのですっとばした。これって、創始者のピエール・シェフェールの悪影響じゃないの、とも思ってしまう。シェフェールのいうミュジック・コンクレートのソルフェージュって、余りに抽象的すぎて、誰も見向きもしないもの。

2015年6月28日日曜日

夢は呼び交す

蒲原有明『夢は呼び交す』(岩波文庫)を読んだ。有明は日本象徴詩の創始者としてしか知らなかったが、散文もとてもよい、好き嫌いはあるだろうが。鷗外から影響を受けているのだろう。戦前戦後の時期に全く忘れられていて、生活にとても苦労し、関東大震災で鎌倉から静岡に移ったのに、今度は第二次大戦の爆撃で静岡も焼かれ、鎌倉に戻るときに貸家をしていた、その住人が川端康成だったというのも数奇な運命である。編集者の野田宇太郎の本は高校時代に愛読していたので、懐かしかった。

2015年6月19日金曜日

フランス・プロテスタントの反乱ほか

カヴァリエ『フランス・プロテスタントの反乱 ― カミザール戦争の記録』(二宮フサ訳)岩波文庫、面白すぎて2日で読んだ。信仰のために命をかける、という話で、水曜日の教授会後の水谷誠先生の新島襄に関する講演も、ふと思い起される。独立派の会衆派とバプテスト派など。
そして今日は先ほどまで音楽学科の新人演奏会。フルート塚本さん、ソプラノ松永さん、ピアノ黒田さん、それぞれに講評は学校の授業でいたしましょう。久しぶりに幣原先生に会って、夙川まで一緒に帰った。

2015年6月14日日曜日

芦屋モダニズムに思いを馳せて

芦屋市立美術博物館に「モダン芦屋クロニクル」関連のコンサート「芦屋モダニズムに思いを馳せて」を聴きに行った。演奏は日本センチュリー交響楽団の松浦奈々さん(Vn)と安永友昭さん(Perc)、そしてピアノの宗和純さん。プログラムは貴志康一の《竹取物語》、《月》、《花見》、そして同時代のガーシュイン《プレリュード》、バルトーク《ルーマニア民俗舞曲》、ピアソラ《リベルタンゴ》。アンコールはクロールの《バンジョーとフィドル》。貴志康一は以前に書評を書いたときには大したことのない作曲家だと思っていたが、それは実際に聴いたのがオーケストラ作品のCDだけだったからで、他には楽譜を見て判断していたのだが、こうして生のヴァイオリン演奏で聴くと全くその様相を変えて聞こえる。これは貴志自身がヴァイオリニストであったこともあるだろう。楽譜にしてしまうと、もちろん彼の音楽は、たとえば同時代のリヒャルト・シュトラウスやシェーンベルク、ヒンデミットなどと比べて見劣りがするのは否めない。ドイツ流の「絶対音楽」的価値ではなくて、音楽の「表層」に彼の真価はあるのだろう。ドイツに行ったことで、彼はひどく損をしたような気がする。彼がドイツではなくてフランスに行っていたら、という想像は、なかなか楽しいものがある。その後、展覧会をゆっくりと見て回る。家のそばの、昭和初期の様子を描いた日本画があって、面白かった。

2015年5月27日水曜日

Valéry Larbaud

ヴァレリー・ラルボーとの出会いは、学部生のときに、西村靖敬先生(当時はフランス科の助手だった、いやその前か)の授業で Enfantines を読んだのが最初だった。その後、まったく忘れていたが、リカルド・ビニェスのことを調べていて、彼らがけっこう付き合っていたのを発見したのが、ラルボーとの再会と言える。ラルボーは一時期、長い間スペインに住んでいたのだった。また、カルディナル=ルモワーヌにも住んでいたと聞いて、また親近感が湧いた。ぼくはその近所のゴブランに住んでいたから。カルディナル=ルモワーヌには、École des Hautes Études の図書館があって、誰でも利用できたので、そこでパソコンを持って行って、翻訳などをしていた。その上、ラルボーの父親が薬剤師で、ヴィシー水、正確には Saint-Yorre を発見した、それで莫大な財を成した、というのも、ぼくはよくカフェで「Un quart de Vichy」と頼んでいたので(胃腸にいいと聞いていたので)、別の意味で親近感が……。

ラルボー『バルナブース全集』

ヴァレリー・ラルボー『A・O・バルナブース全集』上下(岩崎力訳、岩波文庫)を読んだ。最初は単なる金持ちの道楽と見えた。特に詩の部分。はいはい、いろんなところに行ってよござんしたね、という感じ。そこに行ったことのない人間には、どうも想像力を刺激しにくい。これは翻訳ということもあるだろう(岩崎先生ごめんなさい)。フランス語では違ったかも知れない。しかし、散文、特に日記の部分はだんだんと引き込まれて行った。さまざまな仕掛けがある。これが「真実」と思われるような部分があり、それが別にその場所に行ったことがなくても、そういう経験をしたことがなくても、そうなのだ。作家、あるいは一般に芸術家が、独自の「世界」を作る(「世界観」じゃないよ)というのは、その辺の機微を指している。芸術は第二の人生だ。(そこで、問題になるのが、例えば電子音響音楽のような、現実とは何の関係もない芸術だけれど。)ラルボーは読ませる。これを高く評価するかどうかは別だが。でも、彼の後半生を知るとまた話は別で、またいろいろと考えさせられる。死没までの22年間、車椅子生活で、話せる言葉と言ったら「こんばんは、この世のことは」だけだったというのは……。
ところで「福寿」は、やはり美味しいお酒ですな……。

2015年5月23日土曜日

プレスク・リヤン賞2015

プレスク・リヤン賞2015の要項です。


2015年5月21日木曜日

Berlioz, Mémoires

Hector Berlioz, Mémoires 1 & 2, Chronologie et introduction par Pierre Citron, Paris, Garnier-Flammarion, 1969. を読んだ。自作を上演する苦労はいつの時代も一緒。読みながら、アラン・ゴーサン氏の嘆きを思い出した。あと、同感だったのが、パリの家の10軒に1軒にしか本棚がない、ということ。パリに住んでいたときに、本が全く一冊もないという家庭があって、びっくりしたことを思い出した。(思い出すことが多いね。)一番最後にあった言葉「L'amour et la musique, ce sont les deux ailes de l'âme.」(愛と音楽は、魂の二つの翼だ。)というのはいい言葉だ。

2015年5月10日日曜日

スタインウェイ

今日は大阪グランフロントにある島村楽器にスタインウェイを聴きにいった。とてもめずらしいヴァージョンの「アラベスク」というスタインウェイ(日本に数台しかないらしい)のお披露目。ピアニストは川井綾子さん。ドビュッシー、シューマン、ショパンを弾いた。ちょうど「母の日」でもあって、ピアノをやっている義母も誘って。演奏の後は、いろいろとスタインウェイピアノを弾かせてもらった。同じ型番でも楽器が違えばその個性が全く違うのには驚いた。スタインウェイの設計で、カワイが作っているという、ボストンも置いてあったが、これはよりスタンダード。私の好みではない。ヤマハの方がよい。スタインウェイはちょっとアップライトを狙っているのだが、グランドと比べると、うーむ、やはり……。グランドもそれはOよりもBの方がいいですね。しかし、1200万……。これがそれ。

帰りは芦屋の竹園のレストランでみんなで洋食。

奈良ゆみソプラノ・リサイタル「それぞれの故郷」

奈良ゆみソプラノ・リサイタル「それぞれの故郷」を聴きに行ってきた。南森町のモーツァルトサロン。13人の作曲家の作品を歌い分けるという離れ業。終わった後に敦子さんに「ピアノも何台も変えて弾きたいですよね」と言ったほど、雰囲気、ニュアンス、音楽そのものが違う。前半はスペイン語系が多く、後半は日本語の歌がほとんど。そして、それぞれに自らの故郷、思い出を歌っている。そこに一本の糸=意図が通っているのが、なかなか。楽しませてもらいました。(ちなみに東京・王子ホールのは、ぼくが解説を書きます。)

2015年5月3日日曜日

ラ・フォル・ジュルネびわ湖2015

昨日は芦屋市立美術博物館で「あしやつくる場」アートバザー。今日はびわ湖ホールその他で「ラ・フォル・ジュルネ」。初めて大津駅で降りました。
聴いたのは、ラーンキ親子でバッハの2台・3台のピアノのための協奏曲。その合間にドゥカイという人のバッハに由来する新曲が挟まっていた。しかしバッハだけで十分美しいので、その他はなくもがなの感もあり。まあ幕間というか中継ぎなのでしょうね。それなりに美しい曲ではあった(最後に作曲者本人もあいさつした)。子どもたちは琵琶湖を初めて見た。曇ってたけれど、気持ち良かった。


2015年4月30日木曜日

ジャン・コクトー

高橋洋一『ジャン・コクトー 幻視の美学』(平凡社ライブラリー)を読んだ。1950年の映画『恐るべき子どもたち』のヒロイン、ニコル・ステファーヌはロッチルド(ロスチャイルド)家の人間だったというのは知らなかった。ニコル・ステファーヌは本名はニコル・ド・ロッチルドといい、アンリ・ド・ロッチルド男爵の孫。アンリは1920年代にビニェスとモンポウをそのエリゼ宮に近い屋敷に招待していて、その時のことをモンポウ自身が手紙に書いている。しかし、コクトーとモンポウは、もしかしたらプーランクを介して出会っていたかも知れない。(あるいはストラヴィンスキーを介して?)

2015年4月29日水曜日

エネスコ

エネスコ『回想録』(松本小四郎・富田弘訳、白水社)を読んだ。しかし『評伝フォーレ』もそうだったけれど、固有名詞の読み方が変なので読みにくいこと、おびただしい。まあ、この本は1977年に出版されているので「時代的な制約」というものもあるのだろう。以前にブーレーズ関係の古い日本語文献を読んでいて、「ブーレ」というのに出くわしたが、それに近い。しかし、かくいうわたくしめも、Hasselmans には迷いがある。「アッセルマンス」?「アッセルマン」?Huysmans は「ユイスマンス」だな。

2015年4月17日金曜日

Roland-Manuel, Ravel

Roland-Manuel, Ravel, Gallimard, 1948. ピエール・ロチ『秋の日本』(村上菊一郎・吉氷清訳、角川文庫)読了。

2015年4月13日月曜日

楽しみと日々など

その間に読んだのは:プルースト『楽しみと日々』(岩崎力訳、岩波文庫)、岩井宏實監修・近藤雅樹編『図説日本の妖怪』(河出書房新社)、大岡信編『窪田空穂随筆集』(岩波文庫)、アナトール・フランス『エピクロスの園』(大塚幸男訳、岩波文庫)、Paul Dukas, Chroniques musicales sur deux siècles 1892 - 1932, Préface de Jean-Vincent Richard, Stock, 1980 など。

Redon, Grand Bouquet

昨日は出張帰り、時間があったので、三菱一号館美術館に行った。ワシントン・ナショナル・ギャラリー展をやっていたが、一番印象に残ったのはルドンの『大きな花束』Grand Bouquetだった。美術館の収蔵品ということなので、いわばいつでも見られる、いいですね。
そうそう、それからヴュイヤールがタデ・ナタンソンの注文で絵を描いていたなどの情報も。

2015年4月6日月曜日

ティム・バートン

墓前礼拝だと思っていて今出川に行ったらそれは中止ですでに栄光館で礼拝は終わっていますということで音楽学科のオリエンテーションにちょっと顔を出してその後は御所の桜を見ながら丸太町まで歩いてあつもりそばを食べ大阪駅へ。子どもたちがティム・バートン展を見たいというので。
クモの絵がいくつかあったけれど、これは絶対ルドンから来ていると思って、「影響」というところの解説を見たら、ルの字もない。そうかな?
これは模型だし、ちょっと違うけど、それでも……
 やっぱり……
ルドンでしょう?

2015年4月4日土曜日

フランス音楽の名手たち

フェニックスホールに「フランス音楽の名手たち、京都フランス音楽アカデミー、過去・現在・未来」を聴きに行った。プリュデルマシェル(プログラムには「プルーデルマッハー」とあった)のソロでラヴェル《ソナチネ》、ガゾー・パスキエ・ヴィリアンクールでフランセ《トリオ》、またプリュデルマシェルでドビュッシー《エチュード第2集》、休憩を挟んで、ヴァイオリンに石上真由子と森悠子を加えショーソン《協奏曲》。プリュデルマシェルは在仏時にアルモニア・ムンディのCDをよく聴いた覚えがあるが、ときおり素晴らしい音色を聴かせてくれるけれども、テクニック的にはやはりイマイチ、か。フランセは駄作。こんな曲を選んだのはなぜか、考えたけれども、三人で「この組み合わせのいい曲はないかな、ああ、そうそうフランセにあったな、大した曲じゃないけど、まあ軽くて楽しいじゃないか、日本でやるならこんなもので十分だろう」というノリで決めた気がする。一番よかったのが日本人二人が参加したショーソン。それでも、アンサンブルの練習不足は目をおおうべくもない。石上さんはいい音色をしている。休憩時にコーヒーを飲んでいたら、とても痩せた浅田彰氏を見かけた。帰りがけに北新地の古レコード屋さんで、「Spanish Music of Travel and Discovery」(1492年前後のスペインの音楽シーンを再現しているvirginからの一枚)とカザルス・アルバム10枚組を買う。どちらも1000円!

2015年3月29日日曜日

神戸映画資料館

昨日は神戸映画資料館(新長田)で「ストローブ=ユイレ、ブレヒト、ワイマール期の音楽劇」ということで、ストローブ=ユイレの『今日から明日へ』とゲオルグ・ヴィルヘルム・パプストの『三文オペラ』を見た。講演は渋谷哲也氏と大田美佐子さん。初めて見るものばかり。ストローブ=ユイレは学生の頃渋谷で見た『アンナ=マグダレーナ・バッハの音楽帳』の印象が強く(チェンバロと音響のずれ、まるでモンティ・パイソンのようなバッハ=レオンハルト)、しかしそれよりも音楽に忠実なので安心して見ていられた、シェーンベルクの難しさは別として。『三文オペラ』は最初期のトーキーということで、無声映画時代のコンヴェンションが残っているのか、無言・不動のシーンがけっこう長く、違和感を持った。プロットも操作されていて、わかりにくくなったような気もする。渋谷さんの解説で、ストローブ=ユイレがブレヒト主義者だったということを聞いて、納得することしきり。映画の作りの解説もわかりやすかった。勉強になりました。
新長田は降りるのは初めて。会場に行く前に鉄人に会いに行きました。
夜は南京町。

2015年3月22日日曜日

私たちは何を録音してきたのか

一昨日20日に、神戸大学で催された国際シンポジウム「私たちは何を録音してきたのか:古音源の保存と活用」を聞きに行ってきた。主催は2014年度神戸大学国際文化学研究推進センター研究プロジェクト「日本研究の文化資源学」寺内直子教授。報告者は国立国会図書館の奥村さやかさん、フランス国立図書館パスカル・コルドレクスさん、日本伝統文化振興財団の藤本草さん、京都市立芸術大学の大西秀紀さん、フランス東アジア文明研究センターの鈴木聖子さん。古い音源の話はそれ自体とても面白い。また各人がそれを、すごくほとんどフェティッシュ的に好んでいるのが伝わってきて、面白い。ぼくの個人的には、フランスの録音の歴史が、同時代の音楽史と余り関わっていないところに、不思議な感じをいだいた。パスカルさんと、会後にその件について少し話したが、ユベール・ペルノーが録音したギリシャ民謡を、ポール・ル・フレムやラヴェルが聴いて和声付けをした、しかしそれぐらいしか関わりがない、という話。ハンガリーにはバルトークが、イギリスにはグレンジャーがいて、民謡を録音し、自分たちの音楽にまで発展させているが、フランスには似た話はないのである。でも民謡収集はさかんだったのだが。

2015年3月14日土曜日

Manuel de Falla

Roland-Manuel, Manuel de Falla, Édition des "Cahiers d'Art", 1930 (reprint : Éditions d'aujourd'hui, 1977). 芳賀日出男『日本の民俗:暮らしと生業』(角川ソフィア文庫)を読んだ。ラヴェルがファリャの《チェンバロ協奏曲》の第二楽章を絶賛していた、ということを知った。

2015年3月4日水曜日

エリック・サティ

エリック・サティ『卵のように軽やかに サティによるサティ』(秋山邦晴・岩佐鉄男編訳、ちくま学芸文庫)を学校への行き帰りに読んだ。懐かしいフレーズがいっぱい。「あんなに気味の悪い変ロ音はなかった」とか「私は白いものしか食べない」とか。しかし、残念なのは、この本の訳注の付け方がおかしいところだ。ボードレールやユーゴまで、あまつさえバッハやモーツァルトにさえ訳注がついている。これって必要?その一方で、ティエールやギュスターヴ・リヨンやロイ・フラーには注がついていない。その注、ヴュイエルモーズにつけられた訳注には間違いがある。彼が「ゴーティエ=ヴィラール」というペンネームで「ゴーストライターの評論家」を務めた、とあるが、もちろんアンリ・ゴーティエ=ヴィラールは、ヴィリーとかウーヴルーズのペンネームの評論家、コレットの御主人ですね。実在の人物です。そして、彼がヴュイエルモーズやセヴラックをゴーストライターとして使ったのだった。またペキュシェも、由来はフローベールですよね。岩佐先生が小林康夫先生に訊けば、一発でわかったろうに。うーん、こういうように瑕瑾無しとはしない訳書だけれど、サティの全貌がこれ一冊で大体わかるのは、貴重とするべきか。

2015年2月23日月曜日

Weltanschauung

「世界観」という言葉は日本で近年、もともとのWeltanschauungとは異なった意味で用いられるようになった。ぼくは「間違い」だと思っていたのだが、あながちそうでもない、いわゆる「特殊用法」らしい。しかし、この現象は「世界の観方」が、ひとつの、万人に共通な「世界」を見る、それぞれの「観方」(全て同価値な)から、自分だけの、いわばオタク妄想的な「世界」の中に閉じこもり、それだけを「観る」観方へと変化していることを暗示しているような気がする。

2015年1月30日金曜日

大阪名所むかし案内

本渡章『大阪名所むかし案内:絵とき「摂津名所図会」』(創元社)読了。江戸名所図会や都名所図会は文庫本になっていて読み易いのだが、摂津名所図会はまだそういうのがなくて残念。

2015年1月29日木曜日

Alfred Bruneau

Alfred Bruneau, un compositeur au cœur de la bataille naturaliste : Lettres à Étienne Destranges Paris-Nantes, 1891 - 1915, présentées et annotées par Jean-Christophe Branger, Champion, 2003. 読了。自然主義のオペラ作家としての活動は、やはり他の作曲家とはちょっと異なっている風だ。「シックなやつらと戦う」という彼の言葉は、この間まで読んでいたパリの貴族などのメセナのサークルを思い起こすと興味深い。あと、セヴラックのオペラ《風車の心》が「言っていたように10回以上は公演が続かなかった」と言うのも。

2015年1月22日木曜日

グノーの夢

グノーによるサン=サーンスについての講義を受けている夢を見た。実はサン=サーンスは写真をたくさん撮っていた、と言って細かなデータを黒板に書くのだが、グノー先生は AV 機器を駆使して黒板に投影するので、読みにくくて仕方がない。一生懸命ノートに書き写すのだが、そのノートの残りの部分が娘のいたずら書きで埋まっていて、白い部分がない。新しいノートを買わなければ、と思っているが、先生はそんなぼくの反応をさかんにうかがうのであった。

2015年1月20日火曜日

Mécènes et musiciens

Myriam Chimènes, Mécènes et musiciens : Du salon au concert à Paris sous la IIIe République, Fayard,  2004. と平井玄『引き裂かれた声 ― もうひとつの20世紀音楽史』(毎日新聞社)を読んだ。前者に関しては、モンポウのパリでの交友関係が一部判明、彼の手紙の解読に役に立つ。それと依頼原稿のための資料ということ。後者は一度読んだような気もするが、もう一度。ベンヤミンのラジオ、アンソニー・ブラクストンの位置について。(今度そのメソッドで同女で公開講座をしてもらうし。)