2012年6月20日水曜日

Adolphe Adam

先日の田村書店で見つくろった仏語図書が大学に届いていた。ヴァンサン・イスパのシャンソン集とかイヴェット・ギルベールの自伝とか。中の一冊 Adolphe Adam, Souvenirs d'un musicien,  Paris, Calman Lévy, 1884 を持って教授会に(書類の陰で読む)。アドルフ・アダンの回想録のようなもので、まず最初に自伝 Notes biographiques がある。そこで彼と Eugène Sue が同級生で大の仲良し(一緒に Cochons d'Inde を飼っていたという)だったことを発見。そして帰宅すると、木村敏先生から新著が。いのちの話をしているらしい(まだちゃんと読んでない)。ちょうど、最近、録音エンジニアの能美亮士さんと録音であらわれる美学的問題についてメールのやりとりをしていて、音の背後みたいな話をしていたのだが、それとぼくはショーペンハウアーの「意志」が何か関係ありそう、と思ったりするのだけれども、結局のところ、「音楽的なもの」ひいては「芸術的なもの」一般が現実世界の背後にあるのではないか、とも思ったりしていたちょうどそこに、木村敏先生の「いのち」という言葉があって、これは通底していると直観するのでした。