神戸線の事故は大したことはなくて、無事に大阪に寄り、阪神地下であなごづくし、タワーレコードでいろいろ、ササヤ書店でいろいろ購入し、大学へ行った。しかし、講読の授業で、ボエティウスの言う「ムジカ・ムンダナ/ムジカ・フマナ/ムジカ・インストルメンタリス」の分類が、その理論性のみで実際と違う点を、グロケイオなどが批判した、みたいな授業をしたのだが、もしかしたら「ムジカ・ムンダナ」も「ムジカ・フマナ」も「聴こえていた」かも知れない(そういう人がいた?)、と思うようになった。一連の現実の背後にある音楽の話である。色聴だって、その能力のある者とない者があるわけだし。