2012年7月8日日曜日

呼吸する美術

芦屋市立美術博物館に行った。二つ展覧会があって、ひとつが「呼吸する美術」、もうひとつが「古代の芦屋」。どちらもすごく面白かった。前者は、現代アートの若手と、いわゆる「しろうと」さん、そして障害者の人の作品を展示している。なかでも、やはり、障害者の人の作品はインパクト大である。これはなかなか言葉にしにくい。彼らのぎりぎりの「切羽詰まった表現」が心を打つ。ちょうど近藤譲の作品について考えをめぐらせているところだったので、「表現」とは何か、「芸術作品を作る」とはどのようなことか、を考える手がかりになりそうだ。つまり、近藤作品は「何の表現でもないし、素晴らしい構造体を作るわけでもなく」、「無目的という目的さえない」芸術である。障害者の人たちの作品(アール・ブリュット、アウトサイダー・アート)は、「切羽詰まったもの」であるが、これもまた何かの「表現」かというと、そうではないだろう。また「芸術」でさえないかも知れない。(少なくとも彼らは芸術作品を作ろうという目的など持っていない。)しかし、考えてみると、近藤譲氏もまた「切羽詰まっている」かも知れない。

「古代の芦屋」の展示については、自宅の近所に太古の昔から人々が生活していたのだ、ということに感動を覚える。(そして、自宅横には阿保親王塚があるのだった。ここからの出土品というのはあるのだろうか?)