2012年7月23日月曜日

ヒューマニズム

音楽とヒューマニズムについて考えて欲しいと。人間などはこの大きな「生命」の中のちっぽけな一部で、ヒューマニズムなどと大言壮語するのはおかしい、というのはそうだと思う(たださまざまな誤解に対して用心する必要はありそうだが。)音楽について言えば、やはりボエティウスなどの言っていた音楽の三分類は実は虚構ではなく、聞こえない音楽というのは彼の中にはなかった、という気がする。つまりは、現実の音楽などはこの大きな「音楽」(世界音楽、普遍音楽、しかしワールドミュージックというのではないよ)の一部なのだ。この線では、ギリシャ語やラテン語を縦横無尽に使えれば、いろいろと面白いことが出てきそうなのだが(こちとら、学部生時代に少し齧っただけですからねえ。)近藤さんは「思弁的音楽」ということでそれを論じている。