2012年2月2日木曜日

Le temps des cerises


《さくらんぼの実る頃 Le temps des cerises》は、パリ・コミューンに関連して語られる。その由来はこうらしい。(拙訳、ちょっと文法的にわからないところもあり。)

「彼らが最後の攻防戦をしていたとき、サン=モール通りのバリケードから一人の少女がやって来て、負傷者の手当などをしてくれました。彼らは、ここにいては死んでしまう、と彼女を逃がそうとしましたが、彼女はそれに逆らって残りました。すると間もなく大爆発が起こり、バリケードは粉々になって、巨大な残骸の中で全てが死に絶えました。その音は、サトリー収容所に捕虜となっていた私たちにも聞こえました。最後のバリケードの最後の瞬間のこの看護婦に、JB・クレマンが後になって、さくらんぼの歌を捧げたのです。その後、誰も彼女を見ませんでした。……コミューンは死に、それと共にいく千もの名もなき英雄たちも消えて行ったのでした。」
(ルイーズ・ミシェル『コミューンの歴史と思い出』1898年)