2010年5月29日土曜日
Geistervariationen
シューマンのその変奏曲は《亡霊の変奏曲 Geistervariationen》とも呼ばれる。正式には、《ピアノの為の変奏を伴う主題(主題と変奏) Thema mit variationen für das Pianoforte》WoO 24 である。その Geisterthema は、変ホ長調であり、それはなぜかを考えていたら、「わかった」。
2010年5月27日木曜日
2010年5月25日火曜日
フランスの書店
書店にかぎらず、旅行代理店も。あらゆる取引ごとにおいて(?)、フランス人は間違いが多い。chapitre.com で La musique dans le midi de la France の第二巻を注文したら、第一巻を送ってきやがった。国内ならば、文句を言って送り返しても、それほど手間もお金もかからないが、相手が国外だと困ったもんだ。以前に、フィリップの紹介でパリ大学御用達という旅行代理店に航空券を頼んだ時も、信用していたら、いつのまにか日程が変わっていて、えらく困ったことがあった。常に、常に、気をつけて、彼らの行動を監視している必要がある。(しかし、考えてみると、これは日本とフランスの違いというだけかもしれない、つまり、アメリカとかイギリスとかドイツとかの他の国々については、意見を述べようにもあまり深い経験、あるいは長い付き合いがないのである。)
2010年5月22日土曜日
結論
『狂気の西洋音楽史』または『シュレーバーの音楽』の結論を書いている。以前に書いた『音楽的時間の変容』の中に述べた実験音楽と癲癇発作の比較を出発点(いや終着点となるか?)としている。「音楽の死」である。
2010年5月19日水曜日
Voix de l'au-delà...
シューマンの晩年の作品を集中的に弾いたり、聴いたり、調べたりしている。いかに「彼岸の声」の影が強いか……。彼の最後の作品は、エンデニッヒ精神病院で書いた「シューベルトがあの世から伝えた主題」(!)による変奏曲である。
2010年5月15日土曜日
Heinrich Behr
Tunbridge を読んでいたら、シューマンの晩年の歌曲集 Vier Husarenlieder von Nikolaus Lenau op.117 の(被)献呈者が、ハインリッヒ・ベーア Heinrich Behr であり、シューマンは彼とは1830年代にライプツィヒで知り合ったとあったので、びっくり。ハインリッヒ・ベーアとは、誰あろう、シュレーバーの奥さんの父親である。
2010年5月12日水曜日
Schumann
普通、その存在がほとんど忘れられている、シューマンのヴァイオリンソナタ第3番は、1853年末に書かれたらしい。すなわち、彼がライン川に身を投げる(翌年2月)直前である。そして、この曲はやはり……異常だ!
2010年5月10日月曜日
Déodat de Séverac
C'est fait ! J'ai terminé la rédaction du livre : Déodat de Séverac, biographie autobiographique. Ou : Parfum doux de la nostalgie sonore... Je n'ai pas encore décidé quant au titre définitif, mais en tous cas, c'est fini, je l'ai envoyé à Gen Kimura, des Editions Artes Publishing.
Il est écrit en suivant le modèle de Shibué d'Ogaï. Je ne sais pas si je l'ai bien réussi, mais on verra...
Il est écrit en suivant le modèle de Shibué d'Ogaï. Je ne sais pas si je l'ai bien réussi, mais on verra...
Institut
関西日仏学館 Institut franco-japonais du Kansaï の館長、フィリップ・ジャンヴィエ=カミヤマ氏から礼状が来た。「Cher Monsieur Ryosuke Shiina, Je vous adresse mes remerciements les plus sincères pour votre excellente collaboration à la 21ème édition de l'Académie de musique française de Kyôto....」で始まる、えらい丁寧なもの。しかし、今までこのようなことはなかったのに、なぜ?
2010年5月8日土曜日
ダウン(笑)
バーナード・リーチもその『日本絵日記』の中で、日本人の英語の間違いの酷さを指摘していたが、半世紀経ってもまだ余り事態は改善されていないようだ。今日、深尾さんからリサイタルの案内を貰ったが、彼女の共演者のジェラール・プーレ氏の名前の綴りも、Poulet であったり、Pouret であったり、まちまちである。(フランスの Wiki では、Poulet になっている。)
2010年5月7日金曜日
2010年5月6日木曜日
登録:
投稿 (Atom)