André Boucourechliev, pianiste を聴いた。
ぼくは1984年最初に留学したとき、ロータリー財団の奨学金をもらったのだったが、ロータリーは奨学生が留学先の国の首都に行くことを嫌っていた。みながみな行きたがるからだろう。第3希望まで留学先を書かされたのだが、第1志望をパリ第8大学、第2志望をエクス=マルセイユ大学、第3志望をリエージュ音楽院にして、書類を提出。しかし、各受け入れ先への手続きは奨学生が自分でしなければならない。パリのダニエル・シャルルからは好意的な手紙を受け取っていたのだが、ここはまずロータリーには認められない。順序として、エクス大学とリエージュ音楽院にもコンタクトをとったが、そのときのエクス大学音楽学の責任者がブークールシュリエフだった。彼からは丁寧な手紙を受け取り、そこには「君のやりたいことはパリのシャルルのところに行きなさい」と書いてあった。リエージュ音楽院は、音楽を専門としないものには最初から問題外だから(ここでも「入学不可能証明書」を書いてもらった)、ブークールシュリエフの手紙をロータリーに提出して、無事にパリのシャルルのもとに留学ができたのである。
その後、ブークールシュリエフはセリー派の重要な作曲家だったことも知り、楽譜やレコードを手に入れ聴いていたし、また音楽学者として、スイユのシリーズでベートーヴェンやシューマンについての著書でまた名前を見かけていた。しかし、ピアニスト、とは意外である。フランスに帰国前日の奈良ゆみさんから、いただいたのだった。
解説を見ると、もともと彼は故郷ブルガリアのソフィアにいたときから、ピアニストとして有名だったらしい。1948年のコンクールで優勝して、パリに留学し、そこに居着いてしまったのだという。ロワイヨーモンで出会った音楽学者ボリス・ド・シュレゼール(彼もまたロシアからの亡命者だ)の影響が大きかった。ザールブルックのギーゼキングのマスタークラスでも学んだ、とあったが、このCDをもらった日にちょうどザールブルック音楽院に行った人と話をしていたサンクロニシテもあった。
この録音は50年代はじめ、パリに来てまだ数年のうち、作曲家になろうかどうしようかというときのもので、まったくプライヴェートなものだという。音質もモノラルでかなり悪い。しかし、素晴らしい演奏だ。音楽が生きている。あまりに生きているので、シューマン《幻想曲》の録音では、勢いあまって音が違う。これはミスタッチというものではない気がする。そして、大ホールでの向こう受けを狙ったような、よくある「てらい」がみじんも感じられない。自分が好きなものを、好きなように、好きな人のために弾いている、のだ。人柄の温かさまで感じられる、というのは言い過ぎか。