拙著『デオダ・ド・セヴラック』についてのアマゾン評(以下にスクショを載せます)を目にして驚いた。でも良く考えてみると、これは私の書き方が余りに自分の経験を嬉しげに書いたものだったので、この批評子に「ひけらかし」と思わせるような羨望を催させたのだと思った。そして吉田秀和さんが評価してくださったのも、その「嬉しさ」「楽しさ」だったとも思う。ある意味で私の「喜び」が、悪意のある読者にも吉田秀和氏にも、そのまま伝わったわけだから、私の書き方は成功だったのだ。
またフランス語が読めれば十分というのもこの批評子の言うことは正しい。セヴラック関連の文献資料を十分に読んでいただければ、私の経験以外の情報は伝わると思う。そしてそのことは森鴎外の史伝についても同じで、渋江抽斎関連の資料を十分に読みこなせれば、森鴎外史伝の伝えるそれらの情報を得ることは可能である。
ここで鴎外について言及したのは、私が後書きには書いたのだが、批評子もそして吉田秀和氏も気付かなかったモデルの問題があるのであるが、これは謎解きの楽しみにとっておいてください。