昨夜はCAP林間学校「インド音楽とペルシア音楽」に参加。HIROSさんと谷正人君の対談。即興(ラーガ、ダストガー、など訓練)・リズム・聴衆・日本人として、などの話題。
日本人としてインド音楽やペルシア音楽をやる意味について、フランスにまあまあ長くいて西洋音楽をやっていた私自身の経験も比較になりそうに思った。私自身、日本人の西洋音楽の演奏には「何かの違い」があるのではないかと思っていたのだが、自分の演奏がフランス人の演奏と違うのではないかと周りのフランス人に訊くと(お世辞もあるのかも知れないが)「いや、全く違いはないよ」という返事。しかしよく考えてみると、大抵のフランス人はいわば「しろうとさん」であって、音楽の微妙な機微などには全く無関係に普通に生きているのであった。そのような人に「違い」が解るわけもない。また、ではプロフェッショナル(先生とか)に訊いてみるとそれはひとそれぞれの違いに過ぎないということになる。最近、フランスのフルートの先生だかなんだかが「東洋人は機械的だ」みたいなことを言って物議を醸したが、これは例外(物議を醸すこと自体これが「普通」でないことを表している)。
尺八の志村先生も参加していて、ペルシア音楽の五線化の話のコンテクストの中で、邦楽も五線化するとつまらなくなる、という話をしておられたが、五線の本家本元の西洋音楽においても、実際に聴くと素晴らしい音楽が五線になってしまうととてもみすぼらしくなってしまうのはよくあることだ。どうしても五線楽譜は正確な音高以外はかなり切り捨てている要素が多いと思う。