2009年9月13日日曜日

sujet pensant

 Jimenez は、芸術がそれとして論じられるためにはそれを対象とする主体(sujet pensant)が必要である、と言う。それを準備したのがデカルトであると。そこでふと思うのは、まだパリに住んでいた時、娘たちがピアノやヴァイオリンを習っていた、あの先生達のことだ。ムフタール下のドミニック(ピアノ)とか5区のコンセルヴァトワールでヴァイオリンを教えている日本人の先生(名前を失念した)。彼女達はぼくが音楽の専門家であることを知ってか知らずか、一度として専門的な話をしたことはない。つまりは(もちろん子供相手ということもあろうが)技術の伝授に専念していたわけだ(ヴァイオリンではスズキメトードを使っていたが、これはその方法の最たるものだろう)。音楽をやるのに、sujet pensant の「考える penser」の部分はいらない。これは実はルネサンス以前の「arts mécaniques」の考え方と同じだ。芸術家 artiste ではなく職人 artisan。
 そして、そのような音楽のあり方にいらだちを覚えているのが原因で(多分)、大阪音大の井口先生は今度の音楽学会全国大会で「大学における音楽学」シンポジウムを考えたのだと思う。10月24日、25日に大阪大学で催されるが、そのシンポジウムには井口さんやぼくの他、青柳いづみこさんや民族音楽の谷君も参加する。ぜひご来聴を。
 いやそれで言いたいことは、音楽の演奏専攻の学生が音楽学をまじめに学ばない、というのがこのシンポジウムで問題となるのだが、実はそれは音楽の芸術としてのステータスの歴史に根ざしているのではないか、と思ったということ。