この間とは別の種類のキノコ、やや大きめ。
そしてこの間の種類がどんどん増えています。2015年6月30日火曜日
2015年6月29日月曜日
Évelyne Gayou, GRM Le Groupe de Recherches Musicales : Cinquante ans d'histoire
Évelyne Gayou, Le GRM : Le Groupe de Recherches Musicales : Cinquante ans d'histoire, Paris, Fayard, 2007. いちおう読んだ。前半の具体的な歴史の部分はすごく面白かったが、後半の「概念的」な部分、特に電子音響音楽の「記譜」についての部分はつまらないのですっとばした。これって、創始者のピエール・シェフェールの悪影響じゃないの、とも思ってしまう。シェフェールのいうミュジック・コンクレートのソルフェージュって、余りに抽象的すぎて、誰も見向きもしないもの。
ベランダからの遠景
今朝はとても空気が澄んでいて遠くまで見えたので、カメラでズームしてどこまで写るかやってみた。まず、おそらく関空の方面。
そして大阪方面は、あべのハルカスがはっきり見える。
神戸方面は、御影の方でしょうか。もっと先かな。
そして大阪方面は、あべのハルカスがはっきり見える。
神戸方面は、御影の方でしょうか。もっと先かな。
2015年6月28日日曜日
夢は呼び交す
蒲原有明『夢は呼び交す』(岩波文庫)を読んだ。有明は日本象徴詩の創始者としてしか知らなかったが、散文もとてもよい、好き嫌いはあるだろうが。鷗外から影響を受けているのだろう。戦前戦後の時期に全く忘れられていて、生活にとても苦労し、関東大震災で鎌倉から静岡に移ったのに、今度は第二次大戦の爆撃で静岡も焼かれ、鎌倉に戻るときに貸家をしていた、その住人が川端康成だったというのも数奇な運命である。編集者の野田宇太郎の本は高校時代に愛読していたので、懐かしかった。
2015年6月26日金曜日
アルゲリッチ、私こそ音楽
映画『アルゲリッチ、私こそ音楽』を見た。しかし、原題は「ブラッディ・ドーター」で全然日本語のタイトルとは関係がない。内容も全然違って、「私こそ音楽」などとは言っていない。誰が決めたのだろう。こういうタイトルだったら「売れる」と思ったのだろうか。日本の場面も出てくるのだが、その印象が商業主義・資本主義に毒された日本で、アルゲリッチはいやいやながら演奏している、みたいなのが、何だかなあ〜と思った。しかし彼女ほど、自由奔放に生きていられたらいいなあ、と思ってしまうが、恐らく本人は一時期には鬱になったり、演奏が年をとって変化しないように気をつけるなど、大変なのだろうとも思う。でも自由にやって「音楽」になるのがすごいのだが、本当は「音楽」はそれだけではないような気もする。身体的な「知」と精神的な「知」があって………、などという二元論もすでに間違っているのか……。
2015年6月25日木曜日
2015年6月22日月曜日
2015年6月21日日曜日
2015年6月19日金曜日
フランス・プロテスタントの反乱ほか
カヴァリエ『フランス・プロテスタントの反乱 ― カミザール戦争の記録』(二宮フサ訳)岩波文庫、面白すぎて2日で読んだ。信仰のために命をかける、という話で、水曜日の教授会後の水谷誠先生の新島襄に関する講演も、ふと思い起される。独立派の会衆派とバプテスト派など。
そして今日は先ほどまで音楽学科の新人演奏会。フルート塚本さん、ソプラノ松永さん、ピアノ黒田さん、それぞれに講評は学校の授業でいたしましょう。久しぶりに幣原先生に会って、夙川まで一緒に帰った。
そして今日は先ほどまで音楽学科の新人演奏会。フルート塚本さん、ソプラノ松永さん、ピアノ黒田さん、それぞれに講評は学校の授業でいたしましょう。久しぶりに幣原先生に会って、夙川まで一緒に帰った。
2015年6月16日火曜日
2015年6月14日日曜日
芦屋モダニズムに思いを馳せて
芦屋市立美術博物館に「モダン芦屋クロニクル」関連のコンサート「芦屋モダニズムに思いを馳せて」を聴きに行った。演奏は日本センチュリー交響楽団の松浦奈々さん(Vn)と安永友昭さん(Perc)、そしてピアノの宗和純さん。プログラムは貴志康一の《竹取物語》、《月》、《花見》、そして同時代のガーシュイン《プレリュード》、バルトーク《ルーマニア民俗舞曲》、ピアソラ《リベルタンゴ》。アンコールはクロールの《バンジョーとフィドル》。貴志康一は以前に書評を書いたときには大したことのない作曲家だと思っていたが、それは実際に聴いたのがオーケストラ作品のCDだけだったからで、他には楽譜を見て判断していたのだが、こうして生のヴァイオリン演奏で聴くと全くその様相を変えて聞こえる。これは貴志自身がヴァイオリニストであったこともあるだろう。楽譜にしてしまうと、もちろん彼の音楽は、たとえば同時代のリヒャルト・シュトラウスやシェーンベルク、ヒンデミットなどと比べて見劣りがするのは否めない。ドイツ流の「絶対音楽」的価値ではなくて、音楽の「表層」に彼の真価はあるのだろう。ドイツに行ったことで、彼はひどく損をしたような気がする。彼がドイツではなくてフランスに行っていたら、という想像は、なかなか楽しいものがある。その後、展覧会をゆっくりと見て回る。家のそばの、昭和初期の様子を描いた日本画があって、面白かった。
映画とは何か
アンドレ・バザン『映画とは何か』上下(野崎歓・大原宣久・谷本道昭訳、岩波文庫)、ウィリアム・ウェーバー『音楽と中産階級』(城戸朋子訳、法政大学出版局)、どちらも「やっと」という感じだが、そしてJordi Savall のシリーズで DINASTIA BORGIA を読んだ(聴いた)。昨日は元町ファミリアで買い物の後、国際会館ホールの古本市にかけこんで、Robert Mandrou, Possession et sorcellerie au XVIIe siècle, Fayard (coll. Pluriel), 1979 を500円で買った。16世紀の黒魔術系統で、ボルジアとも関係があると思った。しかし、ボルジア家の出自がバレンシアだったとは知らなかった。
2015年6月4日木曜日
2015年6月1日月曜日
ドビュッシーとピアノの謎
フェニックス・ホールで伊東信宏さんの企画「ピアノはいつピアノになったか」シリーズの補遺として、来年2016年1月23日(土)に「ドビュッシーとピアノの謎」と題して講演を行います。ドビュッシーがエンマ・バルダックとの不倫の逃避行で行ったジャージー島で手に入れたと言われるブリュートナーのピアノ、そのピアノをめぐる謎にせまります。詳細は以下のアドレスをどうぞ。ピアノ演奏は野原みどりさんです。
http://phoenixhall.jp/performance/2016/01/23/1282/
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