海老坂武『戦争文化と愛国心 —非戦を考える』(みすず書房)を読みました。そして以下のような感想文を書きました。
私はさまざまな雑多な本を読んでいる。もちろん専門とする音楽学の本が一番多いのだが、哲学、民俗学、歴史学、社会学、文学研究、小説、詩、その他……。それぞれに感銘を受ける本があるが、この『戦争文化と愛国心』から受けた感銘はそれらのものとはまったくちがった種類のものだ。それは今現在私が生きているこの現実、この社会に直接にかかわっている。私自身と私を取り巻く周囲の現実との、現在形でのかかわりに関係する。さらには私自身が生きている中でかかわっている人々とも関係する。そして、この「感銘」は私にそのような中でどのような態度をとるべきか、ということについても関係するのだ。より現実的であるという意味で、より強烈である。
まず海老坂は自分の戦争中の体験から「戦争文化」について検討する。そこで語られている実体験の中で強く印象に残ったものをここに引用する。「学校の近くに『朝鮮人部落』があった。私のクラスにも二、三人ここから通ってきている生徒がいたのだが、そのうちの一人がどんなきっかけだったか、教室で『天皇のバカ』と口ばしったのである。この時代、こうした非国民的な言葉を先生が許すわけがない。担任の先生は、彼を前に引っ張り出して往復ビンタを食らわせた。しかし少年はこれにめげることなくもう一度同じ言葉を叫んで、もう一度なぐられ、よろめきはしたが倒れなかった。日頃はむしろとろんとした生徒に見えたが、このときだけは眼をらんらんと輝かせて、謝るどころか一歩も引かない姿勢を示したのだ」(23〜4頁)。
その後、海老坂は愛国的な歌や軍歌の替え歌によって、国民がもとの歌詞の意味を換骨奪胎して、真逆の反戦歌にしてしまった例をあげるのも非常に興味深かった。そして戦争文化についてのいくつかの理論が検討され、『きけわだつみのこえ』が取り上げられる。
そして戦後。占領軍があまりに従順な日本人にあっけにとられた、というのは聞いていたが、その理由が、戦争中にはむしろ日本軍が日本を占領していたので、戦後の米軍による占領はより優しかった、という司馬遼太郎の言葉(132〜3頁)にはなるほどと思った。また日本人の適応力の強さが、戦争文化の枠組みをそのままに、戦後のさまざまな変化を受け入れたというの(120〜2頁)も納得である。
第四章「愛国心の行方」では、清水幾太郎、丸山眞男、姜尚中、佐伯啓思、テッサ・モーリス・スズキの論が検討される。とても勉強になった。「愛国心」と「国民主義」、「パトリオティズム」と「ナショナリズム」の区別というのが重要であるというのもわかった。これを「愛と憎しみ」との関係でわかりやすく説明してくれた(西欧世界での一般論として)のも明快である。「パトリオティズムとは人間仲間を愛すること、ナショナリズムとは他国の人間を憎むことだ」(175頁)。
第五章「非戦思想の源流」では、内村鑑三、幸徳秋水の二人が検討される。内村は「無抵抗主義」「絶対的非戦」を主張して、しかしそれが国家のレヴェルで可能かどうかについて逡巡している。しかしそれについて海老坂の筆は辛辣に現代日本批判を行う。「あの時代、内村の頭に可能性としても『無抵抗主義の日本』は存在しなかったのだが、戦後の日本、新憲法の日本とはまさしく内村が夢見た無抵抗国家、絶対的非戦を原理とする国家ではないか。そして、戦後七十数年とは、この原理をめぐっての戦い、というか、この原理がなし崩し的に無化されていく過程であった。非戦の原理がいつしか個別の自衛の原理に、さらには集団的自衛の原理に読み替えられていった」(186頁)。幸徳秋水は「愛国心そのものを切って捨てた」(194頁)。彼はよりラディカルである。その強烈さは以下のように発揮される。「兵卒の生命などは無視して戦争を説く戦争論者、さらに自分の昇進や勲章のために兵卒を戦争に駆り立てる将校は『犬をケシかける人』で、こういう連中のために犬死するのはまっぴらご免、将校だけで満州に行って望みどおり屍をさらしたらどうだ、と皮肉をこめる。そして問題は『金ある者は教育を受け教育を受くる者は兵役を免る』社会組織と徴兵法にあるとして、貧乏人のみが兵隊に駆り出される不平等を痛烈に批判している」(202頁)。
第六章「兵役拒否と不服従の思想の源流」では、矢部喜好、村本一生、明石真人、アラン、ジャン・ジオノが検討される。いずれもまったく知らなかったので、とても勉強になった。日本人たちはすべてキリスト教(宗派はどうあれ)信者である。「兵役を拒否したのはすべて聖書を根拠にする人たち、別の言い方をすれば超越的原理を根拠にした人たち」(222頁)であった。そして、フランス人たちはどちらもその非戦主義によって周りから孤立し、逮捕までされながら、個人的な信条を貫いた。ジオノは言う「一人で歩け、君の明かりで足りるとせよ」(234頁)。この違いは、どこから来るのか。アランにおける非戦思想の根拠を海老坂は七つにまとめてくれている。「一、戦争の原因は憎悪の集団化である」、「二、人々がこのように憎悪に熱狂的になるのは団結して行動する喜びがあるからだ」、「三、軍隊教育がこのようなメンタリティーを生み出す」、「四、兵士の情念は一種の『条件反射』的メカニックな動きである」、「五、兵士たちには同時に『名誉』の感情があり、愛国は武器となる」、「六、軍隊組織には二種の人間がいる、戦いに駆り立てる将校とそこに押しやられる兵士である」、「七、国家、一般世論、報道機関への警戒感」(225〜7頁)。
最後の第七章は「非戦の原理から不服従の思想へ」。ここでも知らないことばかりで、久野収、鶴見俊輔、大熊信行、鶴見良行、小田実らの論を学んだのである。しかし、かつて私は鶴見良行の東南アジアフィールドワークに基づく著書が好きで何冊か読んだことがあったので、彼がこのような思想の持ち主であったことは知らなかったが、東南アジア諸国に対する彼の眼差しにそれと同じ方向性が感じられていたのも確かであった。
終章は「少数の力のために」と題され、海老坂の「怒り」が吐露される。その怒りに私も全面的に賛成である。「この怒りがこの仕事を続けさせてきた」と彼は言う。それは安倍晋三の「戦後レジームからの脱却」というまやかしの言葉への怒りが端緒である。一人の大学人として私はその後の彼の言葉に共感する。「この国がアメリカに全面的に寄り添って、米日による軍事演習が繰り返され、分業化された戦争に乗り出そうとしているという危機感、さらにまた大学、研究所への資金投与をとおして軍事研究、原子力研究が産官学の協力体制によって強められているという危機感を分かち合いたい、こういう軍事化社会に対して何をなしうるかを読者と一緒に考えてみたい」(302頁)。こうして海老坂は「一人の個人にできることは何か」を考える。それは四つある。「一、軍事化社会に対する異議申し立てをしている人々についての情報を共有すること、できれば応援し、またできれば参加すること」、「二、日頃から異議申し立てをする『不合意個人』を自分のうちに養っておくこと」、「三、権力の発する言葉の誤用、言葉の詐術を暴くこと」、「四、良心的拒否、不服従の思想をどう生きるかについて考えること」。
ここで私は考え込んでしまう。自分はこれらすべてを実践できるだろうか。「一」については「情報を共有すること」「応援する」まではできそうだが、「参加する」となるとどうか。「二」と「三」はできると思うし、今現在もつねに行なっているつもりだ。「四」については海老坂も「思想を実践すること」とは言っていない。「実践」は相当難しい。それについて「考えること」ならばできそうだ。つまり、これは冒頭に述べたことと関係するのだが、私自身がたとえば今現在所属している社会的集団、仕事の仲間たち、家族親戚、友人たち、近所の人たち、そのような集団からただ一人孤立して自分の「正しいと思ったこと」を貫くことができるだろうか、と考えてしまうのだ。アランやジオノのようになれるか。日本の矢部、村本、明石たちには、キリスト教集団(たとえ原理上のものであっても)があった。アランやジオノにはそれがない。幸徳秋水はどうだったのだろう。たとえば、特別警察に逮捕されて拷問を受けてまで自分の考えを貫徹できるだろうか。私自身はたぶん、できないと思う。「特定秘密保護法」が戦前の「治安維持法」の復活である以上、私たちにはその危険がつねについてまわるようになっている。しかし……、しかし、それでは唯々諾々と「右傾化」する現状に流されるままでいいのだろうか。
それともう一つ、私自身の個人的体験としての「生きている」ということ、「生の実感」と国家や社会とのかかわりがどのようにつなげられるか、という問題も考えてしまう。私がそばにある動植物たちと交流していること、周囲の人たちと「今ここで」という非常に直接的なかたちで交流していること、あらゆる森羅万象と具体的につながっていること、この事実と「非常に抽象的な国家社会」とがどのようにかかわるのか。素晴らしい音楽に没入しているときに、国家社会はどこにあるか。
ますますエビサカ先生に教えていただきたいことばかりが増えてくるのである。