2010年3月5日金曜日
ミモザ
芦屋の町を歩くとミモザが咲いているのに気づいた。セヴラックの友人で詩人の Albert Bausil は、セレの住人でもあり、「ミモザの花のもとでのサルダーヌ」という追悼文を書いている。そこに引用されているセヴラックの手紙には「マットたちがサルダーヌを弾き、ミモザが花盛りだから、遊びにおいで」という表現がある。セレの町はミモザが多かったのだろうか?ぼくは、ミモザ卵も好きだけれどね。
d'Ortigue その2
Joseph d'Ortigue は南仏カヴァイヨン生まれで、やはり同地に生まれた Castil-Blaze の従兄弟だということだ。後者はパリでオペラ関連の音楽評論や出版などで活躍した印象が強いが、実は南仏民謡なども出版していて、例のフェリブリージュのメンバーだったらしい。また前者は、フランスでのグレゴリオ聖歌復興の先駆けとなり、ニーデルメイエールとも一緒に仕事をしたと言う。
Joseph d'Ortigue
Vincent d'Indy が思想的に影響を受けた人物として、Lamennais 師(Abbé Félicité de Lamennais)というカトリックの僧侶の名前が挙がっている。そして、このラムネ師の音楽分野での協力者が、Joseph d'Ortigue らしいのだが、彼の Le Balcon de l'opéra という本は、数年前の静岡での国際音楽学会の時にたまたま見つけて買ったものだった。その時は単に、19世紀の音楽時評集なのだろうくらいにしか思わず、そのまま書棚で眠っているのだが、実は自由主義的神学(ラムネ師はその思想のおかげで破門されたと言う)に基づく音楽論らしい。そしてまた、このラムネ師とは安吾の「ラムネ氏」その人のことでもある!
2010年3月1日月曜日
Lettre de M. Pierre Guillot
ギヨー先生から返信。セヴラックが存命中、彼の作品はインドネシアで多く演奏されていた、と!!全然知らなかった。そして、彼もまたセヴラックについて書物を完成させたと言う。非常に楽しみである。
2010年2月28日日曜日
わからない日本語
C'est-à-dire que le journal en question a été donc partiellement modifié (surtout concernant le "topos" ôsakaïque). La zone est à étudier, selon le dire de Murakami-kun, et pour ce faire il y a un outil, paraît-il, tel qu'un dictionnaire de dialecte dans la région de Kansai chez Kôdansha. Ce qui est impressionnant c'est la complexité langagière dans la région. J'étais donc un peu hâtif pour conclure que les paroles entendues dans le train étaient comparables avec le cockney ou le parisiennisme.
2010年2月27日土曜日
Jankélévitch
というわけで、ジャンケレヴィッチ『遥かなる現前』を読み返したら、ちゃんとあるじゃないですか!「セヴラックの音楽はそぞろ歩きするのが天性なのである」と。「散歩」であり「運動」であると。そして、ラフォルグの名前がまたまたちゃんと引かれている。
2010年2月26日金曜日
Tombeau de M. Pinguet
パンゲ先生で思い出したが、彼の墓には以下のような彼の言葉が彫られている。
On meurt seul.
Mais on ne meurt pas seul.
C'est déchirant.
サルラ近郊、サンタンドレの墓地である。(今の記憶が定かなら。)
On meurt seul.
Mais on ne meurt pas seul.
C'est déchirant.
サルラ近郊、サンタンドレの墓地である。(今の記憶が定かなら。)
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