2010年1月29日金曜日
登山
登山と言えば、ルソーがその先駆者であると、柄谷行人は言っていたが、『告白』の中にははっきりとした「登山」の記述はないようだ。ただ、その自然描写の新鮮さは指摘される。そして、確かにルソーが恐ろしいような峡谷を好んだというような記述はある。柄谷は「風景の発見」という文脈での言だが、そしてそれについてフランスで話したのだけれども、その時には「ロマン主義」という言葉は使わなかった。(柄谷もそうだと思う。)しかし、これはまさに「ロマン主義」的な自然観だ。カスパー・ダヴッドを見よ。そして、「崇高」。
ペトラルカ
ペトラルカは、1336年4月26日に弟と一緒にヴァントゥー山に登った。32歳のときである。その理由は「ただ有名な高山の頂を見てみたい」というだけのことだったらしい。登頂途上に行き会った羊飼いの老人にさんざん引き留められた、という話が興味深い。(『ルネサンス書簡集』岩波文庫)
2010年1月27日水曜日
Giono
Jean Giono が彼自身を形容した言葉として、一生涯生まれ故郷の南仏マノスクを出なかった(ちょっとだけ、マルセイユとパリに行ったことがある)のだけれども、自分は「voyageur immobile」だというのがあるらしい。(L'Eau vive, p.42.)
2010年1月26日火曜日
2010年1月25日月曜日
ダニエル・シャルル
フランスに行く前にクリストフに頼まれていた、Revue d'Esthétique のダニエル・シャルル追悼号への寄稿をすっかり忘れていて、1月になって彼から催促が来て思い出し、一所懸命に書いてやっと先ほど終わった。要はパリ第8大学で講義に使おうと思っていた「狂気の西洋音楽史序説」を流用したのであった。(いい考えでしょ?)いちおう、メモ書き程度にフランス語で用意しておいたので、何とか間に合ったという感じか。編集はアンヌ・コクランさんがやっているらしく、彼女宛に送ったのであった。いやはや、忙しかった。今年中には PUF から出版されるそうな。
2010年1月11日月曜日
仰臥漫録
子規の『仰臥漫録』を読んでいたら、移竹の「霧ながら大きな町に出にけり」という句を二度にわたって誉めていて、「(こ)の如き趣に至つてはかへつて解せざる者多し/この頃の若い人は歩行く旅行の趣を解せず」とあった。これもまた Poétique du déplacement (移動の詩学)とも言えるであろう。ということはこれはけっこう普遍的なものでもあるかも。ちなみに、彼の死の直前の記述はもはや日記ではなく、歌や俳句などの列記であるのだが、その中に「花見つつ吉野の町に入りけり」の句もある。しかし、考えてみるに、彼はまた Wanderer でもあった。そして、ラフォルグもセヴラックも。ペッソアは精神的「旅行者」である。
2010年1月10日日曜日
2010年1月9日土曜日
年賀状
年賀状で毎年毎年、ぼくの名前を間違って書いてくる人物が二人いる。そして、それは何度言っても治らない。ということは、これは単なる書き間違いではなくて、「無意識の故意」なのだと思うようになった。(『奥様は魔女』のママや『ぜんまいざむらい』の茶じじのようなもの。)そして、彼らがぼくに対して良からぬ感情を抱いていることは理解できなくはない。一人は、今のマンションに引っ越してくる時に村上君とトラブルを起こした人物であり、もう一人は、ある人物(無意識に恋愛感情を抱いている相手)が日本から去るにあたってぼくがその原因(直接ではないにしても遠因?)だと思い込んでいるのだと思われる。
2010年1月2日土曜日
2010年1月1日金曜日
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