2010年7月30日金曜日

Voges 広場

Guerlain に来たら10時30分にしか開かないので、それまで近くの公園で一休み。

低い月

わかりますか?真ん中のしろい丸。シャロンヌ通りとルドリュ・ロラン通りの交差点付近。

2010年7月29日木曜日

Paris2

昨日は Monique の後、ゆみ邸で夕食。小夜も一緒。食後送りに行って、山田に会う。今日は午前中 Chatelet の FNAC。Le Coeur du moulin CDとNouvelle Revue d'Esthétique を(自腹で!)購入。PUF は何やっとるんだ!

2010年7月28日水曜日

というわけで

というわけでパリに到着。確かにシーズン真っ只中なのに関空はガラガラである。大丈夫か、関空!飛行機も順調で予定より30分早く到着。パリ最高気温25度というから涼しいかと思ったら、けっこう湿度もあり風もなく暑い。ゆみさん宅にお世話になる。屋上のテラスでアペロとお食事。

2010年7月26日月曜日

夏期講習

私は初日の講義と二日目の講演・およびコンサート解説をした。講習は三日目もあるが、いちおうこれで「お役御免」にしていただいた。帰りに北新地で久しぶりに村上君と一杯。天神祭帰りの浴衣を着た人たちが沢山地下鉄に乗っていた。今日はパリ行きの準備。

2010年7月24日土曜日

Alfred Jaëll

Tunbridge の本を再読中。シューマンの《ヴァイオリン・ソナタ》第2番を国外で演奏した人として、ヴュータンとジャエルの名前が挙がっていたのだが、ちょうど査読を頼まれている論文にそのジャエルの奥さんの名前があり、驚く。(出会った順番は逆でしたけれども。)これも、いわゆる「コレスポンダンス」ですかね(フロイトさん?)。

2010年7月21日水曜日

舛添要一

舛添要一(パソコンでは変換された)は、ぼくが学部の時の(フランス科の)「フランスの政治」の教師だった。彼だけが、ぼくに B の評価をしたのでありました。(merdre Père Ubu!)

今日も

今日もJRはまともに動いていない。今は尼崎駅前で立ち往生。Je ne veux pas travailler...の歌が頭の中を横切る(Poulenc のではなくて Pink Martini のやつ)。暇なので吊り広告を眺めていると、「ますぞえ(変換されない)要一、結局あなたは何をしたかったのか」の文字に笑いました。そういえば選挙運動期間中に彼が芦屋に応援に来たことがあった。単に選挙カーに乗っていただけだったが。あやうく三十年ぶりの師弟対決になるところだった(笑)。

2010年7月20日火曜日

あとで

あとで知ったのだが、松井山手まで来ていたのなら、そこからバスなりタクシーなりで京田辺まですぐに来られたと。うむむ、JRに騙された……。

JR不通

学研都市線が松井山手と京田辺の間で不通で、復旧のめどが立たないということで、振替輸送というものをさせられる(輸送される?)ことになった。松井山手から河内磐船まで戻り、河内森というところから京阪電車に乗り、枚方市という駅で乗り換えて、京都方面行きの電車に乗って丹波橋で近鉄に乗り換え、新田辺に着いた。さすがにこの暑さで興戸から歩く気はしなかったので、新田辺からタクシーに乗った。枚方市というところを初めて見た。なるほど、けっこう「町」である。しかし、いきなりこのような大旅行をしてしまうとは思わなかった。せっかくなので、新田辺駅では松下先生御用達の「柿の葉寿司」を購入。500円で穴子巻きと稲荷鮨がたくさん入っている。おいしかった。

リビドー

リビドーとか美への志向、つまりは「快感原則」(?)とは、あるいは一種の慣習なのか?美人を見たら振り向か「ねばならない」というような(イタリアの場合)。

2010年7月19日月曜日

手塚治虫

手塚治虫記念館に行く。空いていてとてもよい。漫画は読み放題だし、短編アニメの上映あり、アニメ制作あり。帰りには宝塚ホテルまで歩いて、そこで昼食。ここもよかった。アイスコーヒーは30年前の味?

2010年7月18日日曜日

日本比較文学会

日本比較文学会関西支部の7月例会のお世話をした。会場に同女今出川のジェームズ館を使用したのである。立て看を用意したり、ポスターを貼ったりした。ちょうど祇園祭の当日で、地下鉄など大変な人出であった。元学長の児玉先生が例会後にキャンパス案内をしてくださった。しかし余りの暑さに倒れるかと思った。やはり京都の夏の暑さは鬼門である。(フランスから最初に京都に赴任した夏にこれで胃潰瘍になった!!)(更に:芦屋から言えば京都はまさしく東北方面だし……。)

2010年7月16日金曜日

我が家の

我が家の洗面所に棲息するせみ。

せみ

せみが鳴いた!(二、三日前からそうかなー、とも思っていたが。)今年は遅め?フランス語でせみは la cigale ですが、英語では?

2010年7月15日木曜日

Gesänge der Frühe

Gesänge der Frühe 《暁の歌》作品133の楽譜も手に入れた。もちろん図書館の全集版で知ってはいたが、どうも、自分の楽譜を手に入れて演奏してみると印象が違う。またその前書きで最初のテーマが、ディオティマ Diotima とヒュペリオン Hyperion の名前から来ていることを知った。すなわち、D-A-H-E である。

Violin Sonata no.3

シューマンの《ヴァイオリンソナタ第3番》のCDをやっと手に入れた。(大学図書館にはクラリネットの演奏!などという下手物があったが……。)よく書けている作品だと思うが。やはり気になる点あり。それは、なにか?和声分析をしてみる価値がある?

フロイト

というわけで、フロイトの芸術論のたぐいを読み返し始めた。なかなか面白い。やはり unheimlich か?

読了

シュネデール読了。少々面白い点はあるのだが、彼には音楽学的基礎知識が不足しているので、説得力に欠ける。例えば、《夕べに》が変ニ長調から突然ホ長調に変わるのは、フラットが5つからシャープが4つに変わるのだから「遠い」などというのである。この二つの調は、変ニ=嬰ハ(シャープ4つ)であるから、実は非常に「近い」調である。万事がこの調子なので、せっかく面白そうなことを言っても、なんだか全部うさんくさい。

2010年7月14日水曜日

シュネデール

シュネデール『黄昏のアリア』を読み始める。シューマンの晩年を扱ったものということで、タンブリッジも少し引用したりしていたのでちょっと期待したが、だいぶ期待はずれのようだ。残念。(痛み douleur と苦しみ souffrance の違いなど多少面白いけれども……。)

ユング

病跡学がダメなので、ではユングはどうかと思い『創造する無意識』を読んだ。やはりいまいち。フロイトを読み直すに如かずかと思い始めている。ユングの考え方にも問題点多し。例えば「ノイローゼは障害以外の何物でもない」とか「ドイツ人以外には『ファウスト』や『ツァラトゥストラ』は書けなかった」とか。(しかし、ユングはスイス人だよなあ……。するとこれは「皮肉」?)

2010年7月13日火曜日

Heidsieck

ブラームスの《シューマン亡霊主題による変奏曲》作品23のCDを手に入れた。Heidsieck夫妻の演奏で日本製(!)なのだが、解説をハイドシェック(日本語訳にはこうなっている)本人が書いている。それによればこの「シューマン主題」は「精神病院の中で夢の中にメンデルスゾーンが現れて教えた」ものだという(!)。さてでは問題:間違いはいくつ?(答えは3つ。)

2010年7月12日月曜日

Earle Brown

梅田のタワーレコードでシューマンとブラームスのものを探した。(ササヤで楽譜も見ましたよ。)ついでに現代音楽の棚を見たら、Earle Brown Contemporary Sound Series というものを発見!Wergo で昔出ていたものを再編集したもののようだ。

Ravel

Ravel の書簡集を見ること。バルトークについても書いてあるかも知れない。

2010年7月11日日曜日

Jean-Claude Eloy

突然、Jean-Claude Eloy からメールあり。9月にひと月京都に家を借りたと言う。会えたら嬉しいと。さかんに大雲寺のことを気にしていた。彼が西鶴をもとに奈良ゆみさんに書いた作品の舞台だと言うのだが。そこに五百羅漢があって、それを背景にしたと。溝口作品にあるというのだが、ぼくは寡聞にして未知。村上君にでも訊いてみよう。

2010年7月9日金曜日

pathographie

pathographie (病跡学)というのは実につまらない「学問」だ。それは、あるいはわかりきった分類学か、あるいは単なる覗き見趣味である。読んだのは、ランゲ=アイヒバウム『天才』と徳田良仁『創造と狂気』の二冊。以前に既にクレッチマーの『天才の心理学』は読んでいた。ランゲ=アイヒバウムが「精神病者と健常者はすぐわかる。プロシャ軍隊の行進と精神病者の行進を比べてみるが良い」と言っているのには驚倒した。(ちなみにこの本は1941年のものだ。)中に、病跡学者の例として、1890年メービウスの名あり。彼はシューマンについても書いていた筈。

2010年7月8日木曜日

変奏曲承前

Crossing Paths の最後にヒントあり。またDaverio 十八番の「明るい部屋 Chambre claire」話かと思うとさにあらず。

2010年7月6日火曜日

岡田承前

岡田はまたシェーンベルクらが労働者のために演奏会を組織したと言うが、これは最初から労働者をターゲットにしていたというよりも、彼らの「新音楽」普及のためにやっと組織できたのが、上流階級やブルジョア向き演奏会ではなかったという結果なのではないか。

2010年7月5日月曜日

Fugenpassion

シューマンが精神的危機に陥るたびに、「Fugenpassionフーガ的情熱」でそれを切り抜けた、というのは興味深い。フーガとは優れてバロック的なジャンル(かつテクニック)である。バロックとクラシックとの様式の差異と絡めて考察すること。(ローゼン)

ソウル国際学会

夏の国際比較文学会ソウル大会の発表のための原稿 "Le mouvement folkloriste dans la musique française" を執筆中。これは昨年初めに日本の比較文学会で日本語で発表したものなので、それをフランス語に直しているのである。

2010年7月2日金曜日

そのとき

そのとき、大里さんはこんなことを言っていた。「柴田南雄は今の近藤譲のような役割を担っていた」と。すなわち作曲家でもあり、しっかりした音楽学的知識に裏打ちされた啓蒙家でもある、と。

2010年7月1日木曜日

柴田南雄

もう一人の柴田南雄だが、こちらの方は何と当時のぼくは不勉強で余り知らなかった。これもまた大里さんから教わったのである!柴田の「音楽史」の素晴らしさを!大里さんは、書き込みや線曵きで真っ黒になった柴田音楽史を三冊(四冊?)つねに参照していた。岡田は『印象派以後』がよい、と言うが、ぼくに言わせればむしろ柴田音楽史は中世・ルネサンスが圧巻である。今でも、ぼくは授業の準備のためにお世話になっているのである。

吉田秀和

岡田が柴田『マーラー』解説に、吉田秀和と柴田南雄が「アイドル」だった、と書いているが、彼はぼくと同じ歳のはずなのに全く違った意識を持っているのに驚いた。ぼくは高校の頃に友人で詩人の柴田君(奇しくも同名だが)の影響で、萩原朔太郎や中原中也や富永太郎といったものを耽読していたのだが、そんなレパートリーの中に幸か不幸か小林秀雄も混ざっていたのだった。そして、吉田の評論を読むと、出来の悪い小林の模倣という感が否めなかったのだった。「走る哀しみ」のモーツァルトの方が、シューマンのピアノ協奏曲を聴いて日比谷公園で「手の中の石を握りしめる」よりも、まだポエティックである。でも、吉田秀和の悪口を言うとあらゆるところから袋だたきに会うので、日本はまだまだだな、と思う。

ピアニストの横山

学校の事務に『音楽之友』が置いてあったので、ぱらぱら見ていたら、横山幸雄の記事が出ていた。ショパン全曲を一日で(?)演奏したので、ギネスに登録されたという。これからのピアニスト(演奏家)は、普通に演奏していたのではダメで、このようにギネスに挑戦したり、某や某のように身体が何かしら不自由であったり、ということが必要だという意見を聞いたことがあるのを思い出した(横山という人は、確か以前ソムリエか何かの資格をとって、ソムリエ・ピアニストとして話題になっていた気がする)。しかし、これは誰も知らないから言うが、大里さんがパリ大学都市にいたとき、日本館にはこの横山がいて、演奏会をしたことがあった。大里さんは、機材の設定などが完璧に(!!)出来るので、日本館の出し物の時には必ず手伝っていた。横山の時もそうで、しかし余りにその文句が多いので、あの大里さんが「全く何様のつもりだ」と言って怒っていたのだった。というような、色々のことを勘案するに、つまりは彼は「音楽」とは何の関係もないということらしい。Le pauvre !

しかし考えてみると

しかし考えてみると、中学時代に(当時は日本語しか読めなかったので)日本語でショパンについて書かれたものを片っ端から読んだが、どれも自分の熱意に見合うようなものはなかった。音楽「について」書かれたものは、その音楽の高みにまで至らないから?あるいは、日本語が音楽を語るのに適していないのか?