2026年2月19日木曜日

近代西欧音楽におけるエグゾエティスムの諸相

 というわけで、改めてこの40年前の修士論文『ドビュッシーと東洋』の一部を改稿した小論文を読み直してみて、まあまあ悪くないと思った次第であります。とくに当時すでにリュック・フェラーリを論じているところは、日本において早い例なのではないか。ご興味のありの方はぜひお読みください(論文全体をアップできないのが残念ですが)。





世紀転換期の西洋における日本表象シンポジウム

 


過日、上シンポジウムを聞きに行った。それぞれの発表者の方の内容はいずれもとても刺激的な内容であった。新しく学ぶことも多く、またいろいろと考えさせられた。発表後に質問もさせていただいたが、時間の制約によって言い尽くせないことも多い。ここに少々それについて書く。

まず大出敦先生のクローデルサウンドスケープについての発表。チェエンバレンの西洋的立場の固持からの日本音楽への無理解とハーンの日本音楽に対する共感的理解という対照は、いかにも「我が意を得たり」という感じである。しかしそこから日本音楽を「経験的な音楽」とし、本居宣長などを援用なさるが、翻って考えてみるに、「西洋」対「日本」すなわち「理知」対「感情あるいは経験」と簡単に言えるのかどうか。日本音楽もそれなりに「理知的」であるとも言える。ただ西洋音楽のような「表現」方法をとらないだけなのではないか。

安川智子先生の発表については、新たに学ぶことが多く、大変に有益であった。ヴァグネリスムとジャポニスムを、ジュディット・ゴーティエを介して架橋するのは達見と思う。ただ、この二つは単純に等号で結ぶことは難しいと感じる。もともとの射程の深さから言ってもそうだし、その影響力の到達度(地理的・歴史的範囲、音楽システムへの浸透度)も格段にヴァグネリスムの方が上だ。当日も少々述べたが、ジャポニスムはむしろフォルクロリスムあるいはレジョナリスムなどと合わせて論じる方が実のある議論が生まれる気がする(ダンディ、セヴラックひいてはストラヴンスキーやバルトークまで)。すなわち「前衛性」のプレテクストとしての「民族性」。

小泉順也先生の発表では、オリヴィエ・メトラのバレエ《イエッダ》の振付師が、ルイ=アレクサンドル・メラントであり、これが、誰あろう、あのドガの絵に登場するオペラ座バレエの先生であることを学んだ。その指導の退屈さによって、若きバレリーナたちが、あくびをしたり、背中を掻いたりしているのが活写されていたが、ドガはこれによってメラントの旧弊さ・保守性を暴露していると言えないだろうか。

最後の山田小夜歌先生。1885年の《ミカド》の影響力の大きさを感じさせられた。そしてそのまっただなかに、あの《日本風マズルカ「ムスメ」》を書いたルイ・ガンヌのバレエ《日本にて》が、フランスではなく、まずロンドンの多目的(すなわち教養階級向きでもあり、労働者階級向きでもある)劇場のアルハンブラ劇場で上演されたという事実。私が共同指導教官となっている、リヨン第2大学博士課程の学生の博士論文がまさに、そのような「日本女性のイメージ」を扱っているので、ここに結びついた次第である。

その後、安川さんには、私が修士論文(なんと40年前!)のバイプロダクトとして岩波の叢書から出版した論文「近代西欧音楽におけるエグゾティスムの諸相」を読んでもらったが、本シンポジウムと関連する論題が多く扱われていると言ってもらい、想いを共有できた感でなんとなく嬉しくなったのであった。

2025年10月9日木曜日

アドルフ・プラさん来日

 ひょんなことからアドルフ・プラさんが来日することになり、10月20日からの週は行事が目白押しです。

10月20日(月)神戸大学

10月22日(水)同志社女子大学

10月25日(土)日本音楽学会西日本支部例会(於、同志社女子大学今出川キャンパス)







2024年9月6日金曜日

フェデリコ・モンポウ 静寂の調べを求めて

 本日発売です。音楽之友社のHPでは立ち読みもできます。どうぞよろしく!

https://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?id=226030


2023年7月24日月曜日

『上海フランス租界への招待』「伝説のピアニスト上海失踪の謎」後日譚

  榎本泰子・森本頼子・藤野志織編『上海フランス租界への招待 ― 日仏中三か国の文化交流』(勉誠出版、2023年)に寄稿した「伝説のピアニスト上海失踪の謎」において、わたしは、フランスのピアニスト、ユーラ・ギュレールが上海における1931527日の「告別リサイタル」以後、杳として行方知れずとなり、8年後の19396月にパリで再発見される、ということを書いた。彼女については、その上海行以前から、「時に気を失ったり」、「精神的に不安定で脆」かったなど、順調なコンサートピアニストとしてのキャリアを危ういものとするような評判が多かった。そして1939年以後の第二次世界大戦中も、彼女の足跡は謎に包まれており(ユダヤ人であったことも関係するだろうが)、その後の正式なカムバックは1959年代も終わりになってからである。

 わたしは彼女の上海時代の失踪を、8年間にわたるものと仮定して、その前後に彼女をめぐるラブアフェア物語をからめることで、少々ロマンティックに解釈して拙稿を書き上げたのだが、その後、たまたま彼女のその時代の足跡を発見したのである。

 わたしは拙稿において、ギュレールが1931年の上海公演のあと、アメリカに渡るのだという新聞記事に言及していた。もしも彼女がそのとき上海にとどまっていなかったのなら、アメリカに行ったと考えるのが妥当だろう。拙稿にも書いたが、アメリカの当時のあらゆる新聞雑誌を探せば、もしかしたら彼女の足跡が見つかるかもしれないが、なかなか現時点でそれは困難である。しかし、である。現在はインターネットという非常に便利な情報ツールがある。ネット上ですべての情報が見つかるわけではないが、とても幅広い情報が手に入るし、さらには思いもかけないものまでが引っかかってくることがある。今回の発見がそれに当たる。

 わたしはギュレールの名前、1930年代という時代、そしてアメリカなどの検索条件をさまざまに組み合わせながら、探索を続けた。そこで見つけたのが、1936年にドイツからアメリカに旅行をした、ドイツの自動車技術者・発明家、フェルディナンド・ポルシェの情報である。どうやらアメリカのポルシェの宣伝サイト(https://www.stuttcars.com/ferdinand-porsche/)のようだが、そこにフェルディナンド・ポルシェの詳しい伝記のページがあり、彼の一生が年代を追って非常に詳しく解説されている。その1936年の項に、彼がドイツからアメリカに渡る際に載った客船、ブレーメン号の乗客名簿の一部が紹介されており、その名簿のなかにギュレールの名前があったのである。ドイツの豪華客船ブレーメン号は、1929年から北ドイツの港、ブレーマーハーフェンとニューヨークのあいだを結んでいたが、大西洋を横断する前にドイツからフランスのシェルブールに寄港していたらしい。彼女の名前はシェルブールからニューヨークへの船客名簿のなかにあった。

 航海は正確には193610月3日から、当時高速を誇ったブレーメン号は4日で大西洋を横断したというから、107日にはニューヨークに着いたはずだ。この名簿を見ると、ほとんど戸籍のようなもので、今まで謎だった彼女の情報がよくわかる。彼女は当時33歳であり独身、職業はアーティスト、出生地はルーマニアのブラティアという町(村?)であり、国籍はフランス、民族もフランス人となっている。住所はマルセイユであったようだ。

 以上のような情報から、推測されることは、彼女は1931年の上海公演以後、アメリカに行ったかどうかはわからないが、少なくとも1936年までにはフランスに帰国しており、それも南仏マルセイユに住んでいたということだ。拙稿では1939年のパリ出没以後、彼女はその1年後のナチスドイツのパリ侵攻を逃れて南仏に避難し、マルセイユのパストレ伯爵夫人に匿われたと述べた。だが、実はそれ以前から彼女はマルセイユに住んでいたのである。また、しかし、よく考えてみると、彼女の実家はマルセイユにあったはずだ。学生時代こそ、パリ音楽院で学ぶためにパリに住んでいたが、もともとは彼女の出身地は(ルーマニアで生まれたあと)マルセイユなのである。つまり、整理すると、ギュレールは19315月に最後の上海公演を行ったのち、上海にとどまったのか、アメリカに行ったのか、おそらく1935年ころまでに出身地の南仏マルセイユに戻り(おそらく血縁の誰かがいたのではなかろうか)、そこで生活をしていた。1936年に、おそらくまたアメリカ公演の話があり、マルセイユからパリ、パリからシェルブールへと移動し(マルセイユからシェルブールへの直通の列車はない)、そこで10月にドイツからやってきた豪華客船ブレーメン号に乗り込んだのである(この時点では、まだ彼女は財政的にも非常に余裕があったということになる)。当時はすでにヒトラーは政権を取っていたはずだが、まだドイツとフランスとのあいだは平常時の関係であったのだろう。数年後に彼女を迫害する側の船に、それもナチス・ドイツの自動車を製造するポルシェと同道して旅行するなど、今から思えば大変に皮肉な巡り合わせである。彼女がいつ、またフランスに帰国したのかはわからない。その3年後には、彼女の姿はパリにあるのである。

 さてこうして、拙稿で仄めかされた伝説のピアニストの8年間にわたる上海逃避行は、一枚の乗船名簿により、あえなくもその可能性が消滅してしまったのであった。しかし、こうして考えてみると、やはり、もともと伝説にまとわれたユーラ・ギュレールの行跡は、その行方が「魔都上海」において消えた、とされることにより、なおいっそうの輝きを放っていたとも言えるだろう。本当の彼女の行動は探そうと思えば、たぶんだれでも ― 当時であれば今よりもより簡単に ― 見つけることができただろう。もちろん、戦争というものがそれを困難にしたこともあるかもしれないが、それをだれもしなかったのである。「上海」の神秘をだれもが信じていた、信じたかった、とも言えるのではないだろうか。

 

 

問題の乗客名簿



2023年7月5日水曜日

ギヨー先生の手紙の翻訳

 前の投稿のギヨー先生からの手紙をざっと翻訳してみました。

親愛なる友よ、

 何ヶ月かの道行を経て、あなたのディスクはやっと目的地まで到達しました。まことにありがとうございます。そしてお二人の演奏家を讃えたいと思います。お二人は、かつて素晴らしくセヴラックの歌曲の演奏で協働なさったのですが、この新しいCDによって、ことに独創的なプログラム、叡智のプログラム、禁欲主義のプログラム、もっと言えば神秘主義的なプログラムを提示しているのです。これは、その要求により、少なくとも鋭角的な耳と精神に訴えかけるものです。あなた方の共演は完璧に聴衆を「ひきつける」ことに成功しています。そのことは、この録音の成果がこれから大きな成功を勝ち得ることを約束しているのです。

 もういちど、私から熱い祝福の念をお送りいたします。

 あなたへのよき友情を

  ピエール・ギヨー

2023年7月4日火曜日

ギヨー先生から『永訣の白い響』CDの感想

 セヴラック研究の権威、もとソルボンヌ大学教授のピエール・ギヨー先生にCD『永訣の白い響』の送ったらその礼状が届いた。とても褒めてくださったので嬉しい限りである。あまりに嬉しいので以下にそれを書き写したものを載せます。

Cher ami,

              Après plusieurs mois d’itinérance votre disque est enfin arrivé à destination. Je vous en remercie très vivement et tiens à féliciter les deux interprètes qui avaient déjà collaboré avec mélodies déodatiennes avec bonheur et qui proposent avec ce nouveau CD un programme particulièrement original, programme de sagesse, d’ascétisme, voire de mysticisme, qui s’adresse, par son exigence, à des oreilles et un esprit pour le moins aiguisés. Votre commune interprétation parvient parfaitement à « accrocher » l’auditeur, ce qui promet une belle réussite à cette réalisation discographique.

              Encore une fois toutes mes chaleureuses félicitations.

              Bien amicalement à vous.

                                          Pierre Guillot




2023年5月22日月曜日

『永訣の白い響』一友人の感想

 大学時代からの友人がCD『永訣の白い響』の感想を送ってくれた。ヴァイオリン奏者でもあり、音楽を深く聴き込んできた彼の言葉は、わたしたちの表現をとてもよく理解してくれていて、ありがたい。彼から発表の許可をいただいたので、以下にそれを掲載する。

椎名亮輔様 大変ご無沙汰しております。 過日、CD「永訣の白い響」をお送りいただきまして、誠にありがとうございました。まずは、素晴らしい作品の完成、おめでとうございます。そして、相変わらずの素晴らしいピアノに感動しました。 繰り返し繰り返し何度も拝聴してからお礼と感想をお伝えしようと思ったので、随分と時間がかかってしまいました。申し訳ございません。

サティの作品はあまり知られていなものばかりでしたが、「ソクラテスの肖像」の冒頭の厳格なリズムには圧倒されました。5月のゴ-ルデンウイークにバロック・チェロの第一人者である鈴木秀美先生の指揮でベートーヴェンの交響曲第3番「エロイカ」を演奏する機会があったのですが、秀美先生曰く「葬送行進曲は、リズムが厳格に無慈悲に演奏されてこそ深い悲しみが表現できる」とのことでした。CDの解説文中の「冷たく、白く透き通った、淡々として語りしかない」と響き合うものがありました。また高校時代に「饗宴」を読んだことも思い出しました。

モンポウの作品に移ると、サティの厳格なリズムから一転色彩豊かな和声の響きが耳に届きますが、そこは深い悲しみや寂寥感が漂う不思議な世界でした。モーツァルトの作品は長調の部分にこそ深い悲しみが潜んでいると言われますが、モンポウの作品も豊かな色彩に彩られているが故に、白い百合のためいきが感動を生むのかもしれません。「きみのうえに花々だけが」の序奏と間奏のピアノは、このCDの白眉でした。こんなに美しいにもかかわらず、胸を締めつけられるような悲しみと追憶の深淵。何度も繰り返して聴きました。

シューマンは、音楽が形(旋律や和声)になる直前の瞬間の音楽を作品に表現した天才だと私は思っているのですが、今回演奏されている作品群も、そういった彼の稀有の才能が感じられました。始めて耳にする作品ばかりでした。

CDの演奏を通して、和声や音色の変化が変幻自在にピアノで表現されていることに深い感動を覚えました。また、解説文のフランス語訳をお嬢様がなさっているなんて、なんて素敵なことでしょう!

いずれにしても、今回のCDを拝聴した上で、宮沢賢治の「永訣の朝」をあらためて読み直しました。普段の日常生活では遠ざけている「抗しがたい死」に向き合う魂の悲しさに、言葉を失いました。 長文で失礼いたしました。 どうもありがとうございました。



2022年12月3日土曜日

大戦期欧米音楽への新たなまなざし

 明日です。おもしろいものになること間違いなし!



2022年10月28日金曜日

ゆみさんとのCD録音

 10月17日から21日まで芦屋ルナホール大ホールを借り切って、奈良ゆみさんと新しいCDの録音をしました。来年の3月にはコジマ録音から出ます。タイトルはいまのところ「永訣の白い響」。サティ《ソクラテス》を中心に、シューマンとモンポウの愛と死を歌った作品が並びます。













2022年7月11日月曜日

『近代日本の音楽百年』書評会

昨日はポピュラー音楽学会で、細川周平『近代日本の音楽百年』の書評会。本書成立のモチベーションとして、従来の西洋音楽輸入の歴史という「上からの歴史」ではなくて、大衆的な音楽の歴史という「下からの歴史」が必要なのだということで、この会の最終的な結論も「上から」は今まで十分にあったから、これからは「下から」だ、というようなことでまとまっていた。私がそれを聞いて感じたのは、「上から」といっても、歴史に残るような一流の音楽家たちの歴史であって、西洋古典音楽にかかわっていた人たち(聴衆、愛好者、アマチュア、楽譜や雑誌の出版、同好会的なもの、などなど)も多くいたのではないか、ということだった。そしてこれらの歴史はまだないように思う。これらの、すごく「上」でもないが、大衆音楽というような「下」でもない、いわば「中間層」(?)はどうなのだろう?しかし、また考えてみると、近代日本のすべての音楽について調べ上げるということが必要なのかどうか。なんとなく「一番正確な地図は実物代のものだ」というようなパラドックスも思い起こさせる。(忘れないうちに書いておきました。)

2022年4月1日金曜日

シンポジウム「上海フランス租界史研究」承前

 前回にグロボワが「頭でっかちの保守派」と書いたが、直後に発表者の森本さんから連絡あり、より詳しいプログラムを知ることができた。それによれば、「六人組」あり、ヒンデミットあり、でまったく「頭でっかちの保守派」ではなく、柔軟な頭で新しい音楽にも接していたらしいことがわかったので、訂正いたします。ただ、レコードになっているものだけがプログラミングされるので、そのあたりのハンディはありますね。

2022年3月27日日曜日

シンポジウム「上海フランス租界史研究」後に仲の池まで散歩

 午後の長い時間「上海フランス租界史研究」シンポジウムをズームで聴講したので、背筋を伸ばすために仲の池まで散歩。

シンポジウムの感想を忘れないうちに。
シャルル・グロボワがラジオ番組で2時間クラシックを聴かせたという話で、すべてがレコード演奏だったというので、それをどのように調達したのかを質問したけれど、シベリア鉄道経由で苦労して入手とか、上海地域のレコード所有者に呼びかけたとのこと。しかし、その曲目選択にはグロボワの趣味が強く反映されていたのでしょうね、とても保守的でした。20年代、30年代は「六人組」全盛期だけれど、ひとつもなかったし。もちろん「新ウィーン楽派」などない(レコードがなかったかもしれないが)。ヒンデミットもない。でもソヴィエト作曲家がいるのが不思議。収集されたレコードはどうなったのだろう。図書が日本の日仏に来た話はあったが。
グロボワがスコラ・カントルム出身というのも興味深い。ヴァンサン・ダンディゆずりの頭でっかち、保守派というのはここから来ていそう。同時にルーセルのような非ヨーロッパ文化へのまなざしも影響があるか。
上海関連では、ぼくの頭にはすぐに富永太郎が浮かぶ。当時はたしかに日本人にとって「すぐそばのパリ」だった。しかし、彼が上海にわたってどうやって生きていこうとしたかというと、「日本人にフランス語を教える」だったのが興味深い。
もうひとつはフランスで有名ピアニストだったYoura Gullerが戦中・戦後の混乱期に上海に数年生きていたという話。これは証拠はないようだ。彼女の場合は、ユダヤ系なので、どこのコミュニティにいたのか興味深いところだ。






2022年3月22日火曜日

梨のかたちをした30の言葉

 サティの言葉を30集めて詳細なコメントを付しました。単におもしろいだけではなく、彼の「真の」(?)すがたが現れてきます。5月刊行予定。


https://artespublishing.com/shop/books/86559-250-4/


2021年12月6日月曜日

メルロ=ポンティ

 「わたしは知覚的経験によって世界の厚みのなかへめり込んでいる」のであって、そういう世界への内属という関係を、対象としての世界とそれについての思考へと置き換える。そういう視線は、パースペクティヴのなかで対象との関係を考えるのではなく、まるで対象を俯瞰するように無視点的に考察しようとし、結果として「感覚の内的構造を破壊してしまう」のだ。………「見つけださなければならないのは、主観と観念と対象の観念のこちらがわにある、発生段階でのわたしの主観性の事実と対象であり、つまりもろもろの観念や事実が生まれでてくる原初的地層なのである」。……知覚するのは〈わたし〉ではなく、「ひとがわたしのなかで知覚する」というわけだ。(鷲田清一『メルロ=ポンティ』)この「知覚」を「音楽」と置き換えてみよう。音楽がわたしのなかで現実化する、そしてそのような音楽はまるでA地点からB地点までのドライヴのようなもので、そのように捉えた場合に「音楽作品」とはどのようなものになるか。道は地図上にも、現実世界にも、ある。しかしそれをドライヴ(現実化)しないと移動できない(演奏とならない)。

2021年11月29日月曜日

芦屋市令和3年度冬の公民館講座への賛助出演

 芦屋市公民館の「冬の公民館講座:音楽史へのいざない ー 阪神間モダニズムの音楽」の細川周平さんの回に賛助出演いたします。



2021年9月22日水曜日

月見れば……

 千々にものこそ……





2021年8月23日月曜日

インド音楽とペルシア音楽

 昨夜はCAP林間学校「インド音楽とペルシア音楽」に参加。HIROSさんと谷正人君の対談。即興(ラーガ、ダストガー、など訓練)・リズム・聴衆・日本人として、などの話題。

日本人としてインド音楽やペルシア音楽をやる意味について、フランスにまあまあ長くいて西洋音楽をやっていた私自身の経験も比較になりそうに思った。私自身、日本人の西洋音楽の演奏には「何かの違い」があるのではないかと思っていたのだが、自分の演奏がフランス人の演奏と違うのではないかと周りのフランス人に訊くと(お世辞もあるのかも知れないが)「いや、全く違いはないよ」という返事。しかしよく考えてみると、大抵のフランス人はいわば「しろうとさん」であって、音楽の微妙な機微などには全く無関係に普通に生きているのであった。そのような人に「違い」が解るわけもない。また、ではプロフェッショナル(先生とか)に訊いてみるとそれはひとそれぞれの違いに過ぎないということになる。最近、フランスのフルートの先生だかなんだかが「東洋人は機械的だ」みたいなことを言って物議を醸したが、これは例外(物議を醸すこと自体これが「普通」でないことを表している)。

尺八の志村先生も参加していて、ペルシア音楽の五線化の話のコンテクストの中で、邦楽も五線化するとつまらなくなる、という話をしておられたが、五線の本家本元の西洋音楽においても、実際に聴くと素晴らしい音楽が五線になってしまうととてもみすぼらしくなってしまうのはよくあることだ。どうしても五線楽譜は正確な音高以外はかなり切り捨てている要素が多いと思う。

2021年8月20日金曜日

近代・現代フランス音楽入門

 磯田健一郎『近代・現代フランス音楽入門』(音楽之友社[オン・ブックス]、1991年)を学校の往復に読んだ。スコラ・カントルム、ミュジック・コンクレート、スペクトラル、ストカスティックなどに関する記述がすっぽり抜けているのは「聴き易さ」をウリにしたいからか。しかし全情報の出所がない上に、間違いや表記不統一など満載である。これではますますフランス音楽は「軽く」見られるだろうな、と思った。