2010年12月25日土曜日
クリスマスイブ礼拝
ゆうべはクリスマスイブ礼拝。子供たちの「寸劇」がなかなか可愛くてよかった。大勢の人々が集まり、ともかくもみなが元気でいるというのが大事であると思う。(というのも、小学校の同級生が突然にガンで亡くなったという話を聞いたからだが……。)
2010年12月23日木曜日
2010年12月22日水曜日
Réification de la musique
Réification なのか、あるいはもっとわかりやすく、chosification なのか。ドイツ語では何でしょうか。ちょっと調べたら、Versachlichung とか Verdinglichung というのだな。ということは、Musikversachlichung とか Musikverdinglichung とか、すごい言葉になるのかな。あるいは、Versachlichung von Musik とか?冠詞はいらないのかな。
音楽の物象化
「ぶっしょうか」というのはすぐには変換されないのですね。それほどまでに、まだ市民権を得ていない言葉なのでしょうか。さて、音楽の物象化です。本日、大学研究所からCDへの出版補助申請を却下するというお達し。つまり、書籍などの出版助成では、まずその書かれたモノはすでに存在し、それを書物というモノにするのに助成金を与えるのである。しかし、CDの場合は、録音作業までが助成金申請されている。これはおかしい、と。CDの場合でも、もう「出版」されるモノがすでにあって、それをCDというモノにするのだったら助成金を出してやってもいいだろうが、という論理です。だから、結論は「却下」。しかし、音楽をやっている人間に言わせれば、それは音楽をモノ扱いしている。もちろん、CD録音というのは言わば音楽をCDというモノにしているのではあるが、その内容までは「まだ」モノとしては扱っていない。それを研究所の人間はそれまでをもモノとしろ、と言っているのである。いやはや。これは、また以前に書いた、インタビューの中の「音楽は人生そのものである」ということとダブるのだが、人生だってモノではないでしょう?それと全く同じ論理で、音楽は(時間の、それも時間芸術なのだから)モノではありえない。
2010年12月21日火曜日
Alberto Caeiro
Alberto Caeiro は詩人でない詩人であり、「群れの番人」なのだけれども、群れの番などしていないのだ。あらゆる形而上学の否定である。プレイアード版の解説を読んでいたら、彼をジョン・ケージと比較していていて「先に言われた!」と思いました。(Caeiro は、Pessoa の hétéronyme の一人。これをどう訳すのかな。今辞書を見たら「異根同類語」という訳語があった。何のこっちゃ?異名同人?かな?いや、単なる異名人物?)
2010年12月19日日曜日
クリスマス礼拝
教会のクリスマス礼拝。聖歌隊の伴奏をつとめる。なかなか満員の教会堂であった。そのあとは愛餐会。ピアノソロを弾かされたが、用意しておいた楽譜を間違えて、急遽全然違うものを弾く。いやはや……。
2010年12月17日金曜日
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