2012年11月10日土曜日
今日から
今日から二日間、入試。そして、月曜日には、東京に行って、武蔵野美術大学でブリュンヒルド・フェラーリさんとの講演、火曜日は芸大(北千住キャンパス)でやはり同様の講演会。夜のほとんど最終新幹線で戻って来て、水曜日は朝の一時間目から授業。朝5時起きです。そして教授会。木曜日は同志社寒梅館で、土曜日はメインイヴェントのジーベック。さあ、怒濤の一週間です!!
2012年11月9日金曜日
読書感想文
まずプラーツ『肉体と死と悪魔』。これは6月のシンポジウムで同席した高階秀爾先生(勲章おめでとうございます)が、「プラーツのロマンティック・アゴニーは必読」とおっしゃっていたので宿題。しかし、デカダンの作家がこれほど多かったとは。特に19世紀末フランスはほとんど全員がそれ。特に、薔薇十字のペラダンと右翼(?)のバレスもそうだったとは、知らなかった。前者はサティ、後者はセヴラックと密接な関係がある。そして、デカダンの一部分がイギリス由来というのも面白い。次にはコルタサル『秘密の武器』。これは仏訳で読みかけたのだが(「秘密兵器」というものかと思っていた)、これほど面白いとは思わなかった。ちょっと手塚治虫を思い起させたりして(これは多分どこかに共通の根っこがあるに違いない)。最後は山本満喜子『ラテン音楽』。これは三宮の古本屋でたまたま見つけたもの。なんと1963年刊の本である。この山本という人は、山本権兵衛の孫だということで、まあ名家の出ですな。それがなぜか知らないがいきなりアルゼンチンに渡ってしまって、いろいろな音楽に出会う、というわけだが、何しろスタイルが変な女言葉(もしかしたら、当時はかっこよかったのかも)で、「〜やっちゃうのよ」みたいなので鼻につくことおびただしい。その上、表面的には、一般に虐げられた下層階級の人々への同情に満ちているのだが、本人が、どう見ても大ブルジョアでその生き方を変えていないようなので(昔、スイスのレマン湖のほとりで、うんぬん)、説得力に乏しいこと。なんだかなあ、という感じ。スペイン語の訳はどうなのか、ぼくのわかる範囲では、適当にごまかしている感じだけど。
2012年11月7日水曜日
同志社女子大のインスタレーション
いよいよ今週月曜日から始まりました、リュック・フェラーリのインスタレーション『思い出の循環』。もう一度、あのかっこいいポスターを。
どのような状況なのか、ちょっと写真を撮ってきました。知徳館の入り口はこんな感じ。
建物内の中庭に面した窓にも貼られています。
mscギャラリーというのは、ちょっとわかりにくい。廊下の中ほどにいきなりあります。この右手の掲示板の横のドアがその入り口。
中には、本当にミニチュアのインスタレーションが。ぼくが月曜に行った時は調整中でした。しかし、本日、水曜日にはきちんと整備され、入り口にもキャプションが貼付けられていました。どんなようすなのか、ちょっと写真をアップしておきます。(調整中の脚立が移ってしまっていますが、本当はありません。)
どのような状況なのか、ちょっと写真を撮ってきました。知徳館の入り口はこんな感じ。
そばによると、このポスターが。
mscギャラリーというのは、ちょっとわかりにくい。廊下の中ほどにいきなりあります。この右手の掲示板の横のドアがその入り口。
中には、本当にミニチュアのインスタレーションが。ぼくが月曜に行った時は調整中でした。しかし、本日、水曜日にはきちんと整備され、入り口にもキャプションが貼付けられていました。どんなようすなのか、ちょっと写真をアップしておきます。(調整中の脚立が移ってしまっていますが、本当はありません。)
John Cage 100th anniversary countdown event 2007-2012 final
というわけで、先日日曜日のニシジマ・アツシ、稲垣貴士、Gak Sato、竹村延和、Haco、村井啓哲、森本誠士、森本ゆり(敬称略、順不同)による、京都アートセンターでのケージ100歳記念カウントダウン。曲は、前半が一階で、Variations VI、後半は二階で、Root of Unfocus、Cartridge Music & Solo for Voice 1、Music for Amplified Toy Pianos、One7 & Inlets、Ophelia。前半は、JCCE Chronicle 2007-2011というインスタレーションが周りにあって、その中での演奏(始まりと終わりは曖昧に、という指示)。聴衆は自由に動くことができる。こういう時には、いろいろと考えることができて、その時にプログラムの端っこに殴り書きしたものがここにある。「無秩序 ― Adorno 現代社会の反映 etc. 聴きにくいだろう、だからこれはそのような社会の反映だ etc. これは音楽ではない、聴くものではない、ただそこに居るというだけのもの ― 庄野の言う立ち会い、cf. Feldman。各々が別々のことをする = 各々の表現? ちがう。生きている証? cf. 近藤譲。それが最もわかりやすいのは、記憶あるいは意味を使うこと、Cycle des souvenirs ― しかし、各人の個性を Cage は嫌った? Musicircus = music + circus 祭り?やはり、その場にいることに意味がある、初詣とか? 周りに最初から流れている4つのビデオ&音響はどうか? 演奏中も存在する。これは Cage の意図とは違うのでは? しかし、意図とは? 変化がないので飽きる → 禅? 飽きたので歩き回る、spectacle 性はあり(音だけでは5分ともたないだろう)、個々の奏者が何をやっているのか具体的に知ることができればなおよかった? → 回るとけっこう楽しい。自らも見られ/見る spectacle 。音響の位置が異なるので、自ら変化を作り出せる → 知人と会うという situation 楽譜の指示だけからではわからない。」第二部も、もちろん十分に楽しめるものでありました。ただ、真っ暗だったので、第一部の時のようなメモはなし。
多忙なので読書
日曜日には京都アートセンターのケージイベント。これについては、後で書く。そして、その間に読み終わった本三冊。コルタサル『秘密の武器』(木村栄一訳、岩波文庫)、マリオ・ブラーツ『肉体と死と悪魔』(倉智恒夫ほか訳、国書刊行会)、山本満喜子『ラテン音楽への旅』(三一新書)。感想は後で。
2012年11月3日土曜日
運動会
下の子の運動会。鳴尾浜の体育館で。親子競技(バトン持ち競争)やら、父親競技(三人四脚)、父母競技(玉入れ)などなど。あゆみは、リレーやら、組体操やら、パラバルーンではりきっていました。終わった後は、芝生の庭で、おばあちゃん特製お弁当。しかし、ちょっと寒かった。前から少し風邪気味だったのだが、本格的に。というわけで、本日の業務は終了とさせていただきます。
2012年11月2日金曜日
サラジーヌ
バルザック『サラジーヌ他三篇』(芳川泰久訳、岩波文庫)読了。『サラジーヌ』は、この訳者と同様、ぼくも、バルトの『S/Z』で読んでいたはずだが、全く忘れていた。パンゲ先生の講義を思い出す。バルトもパンゲ先生も、エコール・ノルマル出で、同性愛者だった(フーコーと一緒だ)。彼らの興味がやはり、男なのに女であるラ・ザンビネッラにあるのは、首肯させられる。パンゲ先生のcompagneは、カナダ人の男性だったが、彼らは共同でサルラの別荘を買ったのだった。そこに、一度、遊びに行ったことがある。パンゲ先生の墓参りをかねて。夏だったけれど、大変な雹が降ったことがあって、それが彼の頭に当たって血が流れたことを覚えている。彼は「空港aéroport」を奇妙に発音するのだった。ぼくが2001年にパリに渡った時に最初に住んだ、13区カンポ=フォルミオのアパルトマンも、彼らの所有だった。真下に理髪店があった(イザベルがぼくの担当だった)のと、裏にブルターニュ出身のインテリ(?)の魚屋があった。
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