2009年12月31日木曜日

大晦日

なんとか無事に日本で新年を迎えられそうです。みなさんよいお年を。

2009年12月24日木曜日

図らずもParis12

つまり、飛行機に乗れなかったのである。以前も自分の間違いで飛行機に乗り遅れた(一日まるまる間違えていた!)ことがあったので、今日こそは大丈夫だね、いや今日もあぶないか、ははは、などと、ゆみさんと話して別れたのだが、空港についてみるとオーバーブッキングの嵐である。ここの所の悪天候で乗れない人間がだぶついて順繰りにおせおせになっているらしい。というわけでパリ市内にUターン。やれやれ。
というわけで、またもやもう一泊ゆみさん宅にお世話になる。しかしおかげで例の近くのクスクスをいただくことができた。

2009年12月23日水曜日

Wien3 et Paris11

午前中にセセッシオンのリベンジ。ベートーヴェンフリースは、触られないようにか、高い位置にあった。首が痛くなる。同時にボール紙だけで出来た非常に面白い展示があった。ミカエル・アシュキンという。その後はホテルをチェックアウトし、空港へ。今回は温度も零度と高く(!)、無事に飛行機は飛んだ。しかし、パリの空港から市内が遠いので結局真っ暗になってからの到着。晩ご飯はポーズカフェでステックフリット(!)。最後の食事が典型的パリの食事とは!
夜にはゆみさんが日本から帰仏。

2009年12月22日火曜日

Wien2

ハイリゲンシュタットへ。マイナス十二度をおして着くとベートーヴェンハウスは定休日!仕方なくマーラーの墓へ。こちらは別に休みはない。雪に埋もれていた。グリンツィングというところである。その後路面電車と地下鉄でセセッション美術館へ行くとここも休み。ウィーンは月曜休みなのだった。やれやれ……。デーメルで一休み。夕食はユダヤ人広場に面した居酒屋(シェーラーと言ったかな?)で、初めての(!)ウィーン料理。

2009年12月21日月曜日

Wien1

なんとか一日かけてウィーンに到着。空港が凍り付き飛行機が三時間遅れ。欠航も多く出たようで着けただけマシか。市内に着くともう真っ暗で、宿のグラーベンホテル下のイタリアンで食事後、ちょっと散歩したらめちゃくちゃ寒く、きくとマイナス十二度とか。うむむ……。

2009年12月20日日曜日

Paris10

今日は朝のうち、Flûte de Pan へ行って注文楽譜を購入。その後、Marché d'Alligre で鈴木さんと合流。Baron rouge というカフェで牡蠣のデギュスタシオン。立ち飲みである。なかなか庶民的でよい。その後、ハノイでフォー。午後はピアノ。夜には小夜と五十瀬と一緒に野田岩でうなぎ。明日からウィーンである。

2009年12月19日土曜日

Paris9

昨日はモニック二日目。つつがなくレパートリーをこなし、三日目は必要ないだろうと。夜は、ブリュンヒルドのところに。ジャックリーヌはリヨンに映画上映に行っているとのこと。いろいろな話をし、いろいろ見せてもらったり、聴かせてもらったりした。しかし、フェラーリのアトリエで、彼のピアノの横で、彼の机に向かって、彼についての資料を見ているというのは、不思議な気分であった。夢にまで見てしまった。

2009年12月18日金曜日

Paris8

昨日の昼は久しぶりにアントワーヌと会った。彼はソルボンヌ所属だが昨日の待ち合わせは INHA(Institut National d'Histoire de l'Art)の彼の研究室。Palais Royal の近くで、そこを通って工事中の彼のアパルトマンのあるゴブラン行きの地下鉄へ。雪に覆われた Palais Royal は素晴らしかった。アパルトマンの工事中、彼の友人(ジョルジュだったかな?)が留守番をしている。その彼を交えてイタリアンのセザールへ(ゴブランに住んでた頃はよくいったので、懐かしかった)。その後、モニックのところへ。いつも通り、地下鉄ポルト・ドゥ・サン・クルー終点に彼女が車で迎えにきてくれた。雪また雪の公園の中をひたすら走る。そして彼女の「おやしき」。これもまた雪に埋もれて壮観。練習はうまく行ったと思う。

2009年12月17日木曜日

雪のパリ

屋根をうっすら覆って

Paris7

昨日はパリ8での音楽美学講義。その後は、日本レストラン「ナオキ」のリベンジ(日曜の夜に行ったけど閉まっていた)。フィリップと鈴木さんも一緒。しかし、あまりに待たされて疲れた。今日は、Rueil Malmaison の美術学校 Ecole d'art で講義。RER がストなので、デファンスでフィリップとロベルトと待ち合わせ。志賀とナショナリズム、柄谷と加藤周一を手がかりに、という内容だったが、とても反応もよかったし、充実していた講義であった。その後は、五十瀬とお買い物(昨日は小夜と)。そして、夜は鈴木さんの素晴らしい手料理。オットー・ワーグナーについて議論。

2009年12月15日火曜日

Paris6

日曜夜にサン・フェリックスからパリに帰り、その夜はサラの家にお呼ばれ。小夜と五十瀬と。フィリップとポンピドゥーセンター入り口(スト中)で待ち合わせ。サラの家はパリの中心の中心。1歳の娘はマチルドちゃん。かなり遅れてロベルト登場。サラの夫はカミーユ。哲学者夫婦である。昨日は、パリ第8大学へ、書類にサインをしに行った。フィリップと Bâtiment A のカフェで待ち合わせ。その後、Librairie Monnier へ注文の Cahier Debussy no.10 を買いに。ついでに Flûte de Pan にもよったが注文楽譜は未だ。ギヨー氏にルクーの《ピアノソナタ》とセヴラックのそれとの類似を指摘されたので、きいてみたが2004年から絶版。残念!

2009年12月14日月曜日

Saint Félix

金曜日朝にパリ、オーステルリッツ駅から出発し、トゥールーズに5時前に着くはずが、リモージュ手前で信号故障のため30分遅れで到着。予定より1本後のバスに乗り、1時間10分でサン・フェリックスへ。もう真っ暗だった。宿はブラック=ベレール夫人が手配してくれていた広場に面したル・コカーニュ。こうして土曜日一日をここで過ごし、日曜日にまた一日かけてパリに戻って来た。あまりにいろいろなことがあったので、詳細は別の機会に譲る。一つの小説が書けるくらいだ(と、思う)。
一言だけ。サン・フェリックスで日曜朝、帰りのバスを待っていたら、国道を大きなしっぽをふさふささせて一匹のリスが大急ぎで渡って行った!

Saint Félix Lauraguais

ピレネーの山々をのぞむ。

2009年12月11日金曜日

Bourg-en-Bresse

といっても先ほどパリに帰って来た所。ギヨー氏(ソルボンヌの名誉教授である。そんなこと彼は一言も言わなかった。実に謙虚な人柄だ)は本当に寛大なよい先生であった。彼がアルチュスのことを知らなかったというのもいわば Mauvaise langue で、ドビュッシー書簡集の方が後に出版されていたのであった。実に沢山のことを教えてもらった。セヴラックのいわゆる「地方主義」や「宗教性」、彼とスコラの先生達との関係、シャルル・ボルドなどなど。彼はブルクの教会オルガニストを45年間つとめ、それゆえにここからパリやリヨンに教えに通ったのだという。おかげで、ぼくのセヴラック伝はかなり豊かになった。駅前のホテルに泊まったら、その広い広い庭にリスが二匹、遊びまわっていた!!野生の?リスを見たのは初めてだ。ギヨー氏が電話をしてくれて、カトリーヌ・ブラック=ベレール夫人(セヴラックの孫の配偶者)と話をし、明日にさっそく行くことにした。やれいそがしや。

2009年12月9日水曜日

Paris5

というわけで、一昨日は再びピエール・マリエタンに会う。いろいろ話をし、昼食はまた同じ中華で、その後も彼のアトリエに戻り新作を聴かせてもらう。昨日はやっとパリ8での講義。フィリップもロベルトも参加し、彼らのゼミで使ったというランシエールのメディオムについての論文を導入に、Malaise での議論を説明。その後は学生達も交えた活発な議論に。終了後はクリシーの彼ら行きつけのビストロでアペロ。マリエタンの所にも来ていたイタリア人で哲学専攻のサラも一緒(一歳の子の母)。その後サラは帰り、我々三人で近所の映画館の中(!)のレストランで食事。ロベルトが自分はプラトン主義者であるとする大議論。今日はこれから TGV に乗って、Bourg-en-Bresse のピエール・ギヨー氏のところへ行く。

2009年12月7日月曜日

パリの夕暮れ

夕焼けの色は携帯写真では残念ながら、よくわかりませんね。

2009年12月6日日曜日

Paris4

ゆうべは、例の Sonorités no.4 発刊記念の集まり。ピエール・マリエタンの家で。けっこう沢山の人が集まった。マリエタンはいいおじいさんになっていました。これは環境音楽関係の雑誌で、もう90年代から活動しているスイスーフランスの集まり(知らなかったがマリエタンはスイス人だった)の報告書といった色彩。もう一人の責任者が、ロベルト・バルバンティである。何と彼は83年、ぼくより一年前のダニエル・シャルルの学生であった。その上、大学都市のイタリア館に住んでいたというから、ぜったいにどこかですれ違っているはず。集まりはめちゃくちゃコスモポリットで、だいいちフィリップはベルギー人だし、主がスイス人で、ロベルトがイタリア人で、そのほかアルゼンチン人のピアニストやイタリア人の哲学者やコロンビア人の作曲家(マリエタンの娘の彼氏)、そして日本人の音楽学者(かく言うわたくしめ)などなど。その後、近所の中華料理で皆で食事。マリエタンはぼくに興味を持ったようで、ずっと隣で話し、また今度の月曜日に会うことに。

2009年12月5日土曜日

Sonate de Séverac

Flûte de Pan で発見しました!Le ChevrierLes Cors も注文。エシックから出ているが、今やそういう由緒あるフランス楽譜出版社はみんなミラノに行ってしまったと(!)。というわけで、少々時間がかかるが、こちとらパリに御滞在でい!Cahier Debussy no.10 も注文。こちらはその隣の音楽書専門古書肆の Librairie Monnier である。ついでに、ラモーの和声論のファクシミリ版とカイエ・ドビュッシーのケクラン《ペレアス》論の号、そして François Porcile, La belle époque de la musique française, 1871 - 1940 を買った。

2009年12月4日金曜日

Paris3

フィリップが連絡しないというのは、mauvaise langue でした。失礼!というわけで、昨夜は(音響のロベルトはつかまらなかったが)久しぶりに彼と会った。バスティーユの Café de l'industrie で。何年か前にもここで一緒に食事をしながら話した。席の後ろの棚に猫が寝ている。いちおうの授業計画?は決定。ランシエールを交えてのシンポジウムは流れてしまったが、ランシエールの美学については話をすることに。あとは、志賀とナショナリズム(柄谷と加藤を交え ー これはぼくが考えたもの)と、音楽関係ひとつ(未定 ー いちおう狂気の音楽史関連を考えている)。なんとピエール・マリエタンとロベルトは一緒に雑誌『ソノリテ』をやっていて、今度の土曜に第4号発刊記念パーティーがあると。フィリップと行くことに。マリエタンはそのレコード(『イニシアティヴ』)以外知らないので、こんなところで会おうとは!

2009年12月3日木曜日

Paris2

Je déjeune aujourd'hui avec Louise à Bastille. Sur la place, vraiment il y passent des gens variées : jeunes, vieux, blancs, noirs, asiatiques, juifs, soldats, ouvriers, clochards.... sous le vent très froid, pluvieux. Triste et gai en même temps.
Pas d'appel de Philippe, comme dab.

2009年12月2日水曜日

Paris

なんとかパリに到着。冬のパリは雨模様で、寒く暗い。パリ8の事務の無能さは相変わらずだが、とりあえず自由に行動させてもらうことに。フィリップとは明日相談。