2011年6月30日木曜日
2011年6月27日月曜日
『インド音楽序説』
デーヴァ『インド音楽序説』(中川博志訳、東方出版)読了。中川さんの講義の後でこれを読んだので内容についてわかったけれども、順序が逆だったら果たしてこれほど理解できたかどうか。実に、何度でも言うが、音楽とは聴かなければわからない。そして、トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』(岩波文庫)を読み始める。明日にあなたが生きているなどと、誰が言った?心に沁みますね。
アオムシ
エンジェルズ・イヤリングにアオムシが!どうも葉に穴が開いていると思ったら、裏側にアオムシがついていました。うむむ……。その上、ここ数日の強風で一本枝が折れてしまった!とにかく、全部一応駆除し、その上に殺虫剤の効きそうなやつをかけておきましたが……、心配です。
El sur
エリセ監督の第二作『エル・スール El sur』を見る。DVDボックスの続き。父と娘の話というのは、なかなか身につまされるね。映像美、もちろん。スペインの中での北と南の違いというのはよくわからなかったが、大変なものだ。北フランスと南フランスの違いより大きい感じがする。そこには、もちろん「内戦」というファクターがあるだろう。これもフランスにはないものだ。
2011年6月26日日曜日
Philippe Manoury
フィリップ・マヌリの講演&コンサート(於、同志社女子大学)。講演の通訳をやり、その後、栄光会(父兄会)の相談役、そしてまたコンサートに戻るという分刻みのスケジュール。コンサートは、Pluton、 Le livre des claviers、 Neptuneの三曲。なんと東京から野平一郎さんも来ていた。浅田彰も来ていたらしい(コンソール担当の檜垣君の証言)。Midi のピアノ鍵盤とのインターフェースの具合が悪く、Pluton は最初の10分でだめになったらしい(ぼくは父兄会でいなかった)。その後の演奏は素晴らしかった。打楽器は本学の打楽器コースの学生さんたちとティエリー・ミログリオ(ぼくが聴けなかったピアノはアンクザ・アプロディウ)。それなりに面白いけれども、ぼく自身がやりたいという音楽ではないな。
De Brunhild
Je pense que c'est très intéressant et important que tout le monde le sache, donc je te cite, Brunhild, excuse-moi.
リュック・フェラーリとモンポウ、即興についての興味深い証言。奥さんからのメール。
Cher Ryosuke,
Je te remercie. Oui, je comprends très bien maintenant! Et ton idée Séverac
me plaît.
mais: "comment pourrais-je comprendre?!" (je cite Luc) - Cette phrase est
dite par une jeune femme dans une des pièces "collection de petites pièces
ou 36 enfilades pour piano et magnétophone".
Il est vrai aussi que Luc aimait bien Mompou. Et je suis heureuse que toi
aussi ...
Quant à 'improvisation, oui, Luc aimait beaucoup mais était incapable,
croyait-il, d'improviser. C'est pour cela qu'il a conçu pour l'improvisation
des projets, partitions, propositions dès 1962. Et c'est seulement avec
"Archives sauvées des Eaux" en 2000 qu'il s'est lancé lui-même à improviser
encore très timidement à côté de DJ Olive, puis au fil des expériences, de
plus en plus hardi avec eRikm, ensuite Scanner, Martin Tétraux, Otomo
Yoshihide. en 2001 il se sentait prêt à improviser avec Noël Akchoté et
Roland Auzet dans "Impro-Micro-Acoustique".
C'est curieux d'ailleurs de penser qu'il faut passer par le jazz pour
développer cet usage et cette technique d'improvisation, alors qu'elle
existe depuis probablement toujours mais dans l'enseignement, les schémas,
les méthodes les doctrines ont mis un frein à la liberté, la spontanéité.
Mais toi, savant, tu sais beaucoup mieux exprimer ces choses-là et donc
comprendre les hésitations de Luc ou tout autre.
Ceci une parenthèse peut-être un peu inutile pour toi. Mais j'avais envie de
dire.
リュック・フェラーリとモンポウ、即興についての興味深い証言。奥さんからのメール。
Cher Ryosuke,
Je te remercie. Oui, je comprends très bien maintenant! Et ton idée Séverac
me plaît.
mais: "comment pourrais-je comprendre?!" (je cite Luc) - Cette phrase est
dite par une jeune femme dans une des pièces "collection de petites pièces
ou 36 enfilades pour piano et magnétophone".
Il est vrai aussi que Luc aimait bien Mompou. Et je suis heureuse que toi
aussi ...
Quant à 'improvisation, oui, Luc aimait beaucoup mais était incapable,
croyait-il, d'improviser. C'est pour cela qu'il a conçu pour l'improvisation
des projets, partitions, propositions dès 1962. Et c'est seulement avec
"Archives sauvées des Eaux" en 2000 qu'il s'est lancé lui-même à improviser
encore très timidement à côté de DJ Olive, puis au fil des expériences, de
plus en plus hardi avec eRikm, ensuite Scanner, Martin Tétraux, Otomo
Yoshihide. en 2001 il se sentait prêt à improviser avec Noël Akchoté et
Roland Auzet dans "Impro-Micro-Acoustique".
C'est curieux d'ailleurs de penser qu'il faut passer par le jazz pour
développer cet usage et cette technique d'improvisation, alors qu'elle
existe depuis probablement toujours mais dans l'enseignement, les schémas,
les méthodes les doctrines ont mis un frein à la liberté, la spontanéité.
Mais toi, savant, tu sais beaucoup mieux exprimer ces choses-là et donc
comprendre les hésitations de Luc ou tout autre.
Ceci une parenthèse peut-être un peu inutile pour toi. Mais j'avais envie de
dire.
2011年6月25日土曜日
みつばちのささやき
ビクトール・エリセ監督『みつばちのささやき El espiritu de la colmena』を見た。村上君から借りたエリセのボックスDVDの一枚。スペインの田舎町。ほとんどフランスの田舎町も似たようなものだ。特に南仏は。地面すれすれで生きている人たちの雰囲気。そしてまた、子供時代の思い出の重要性。これは、実は「即興」という話に繋がって行くのだが……。
2011年6月24日金曜日
To be or not to be
昨日の講読の授業でショパン《軍隊ポロネーズ》を聴いて、ルビッチの映画『生きるべきか死ぬべきか To be or not to be』のことを思い出した、というか題名を思い出せなかったので、ここに書いておく。映画の冒頭はこのポロネーズで始まる。音楽の記憶とはすごいものだね。
2011年6月23日木曜日
Livre de l'intranquilité
Fernando Pessoa - Bernardo Soares, Livre de l'intranquilité édition intégrale, Christian Bourgois, 1999 読了。読み終わるのがもったいなく感じられるくらい。人生は夢だ、まさしく。おれが夢見るのを邪魔しないでくれ。以前に『非謐の書』がいい、と言ったけれど、もう少しわかりやすく『非静謐の本』というのもいいかも。「不穏」はいかんだろう、「不穏」は。何度でも言うが、ここには政治社会的な何ものもない。また「不安」では軽すぎる。
とかく
セヴラックのうたCDのブックレット原案がPDFファイルで送られて来た。タイトル変更で『セヴラック、歌曲とフランスの古いシャンソン』となる。さらに!表紙が何の関係もない黒い帽子に!せめてセヴラック愛用山高ならまだしも。これもいわゆる販売戦略なのだろうか。とかくこの世はままならぬ……。その他「ままならぬ」あり、ここでは語らぬ。それらすべてをあつめて、マイナスかけるマイナスでプラス、というのがソアレスか(しかし偶数でないとね)。
2011年6月20日月曜日
ジャクリーヌ・コーの映画上映
ジャクリーヌ・コー Jacqueline Caux の映画『引き裂かれた交響曲の物語 Contes de Symphonie déchirée』と『プリズムの色、時間のメカニズム Les couleurs du prisme, la mécanique du temps』の神戸での上映も決定しました。12月12日(月)に。彼女とぼくのトークもあります。場所は神戸アートビレッジセンターです。翌日には同志社大学今出川キャンパスの寒梅館でも同じ作品の上映あり。『引き裂かれた……』はリュック・フェラーリの《引き裂かれた交響曲》に基づく作品。『プリズム……』は、彼女の亡き夫ダニエル・コー、あの大里俊晴さんの賛嘆擱く能わざるDaniel Caux の残したインタビューや彼自身の映像・言葉、そしてもちろんそのアイディアを用いて、また亡きダニエルのためにとアメリカ(イギリス)の実験音楽家たち(その他)がこぞって出演している。ジョン・ケージ、ポーリーヌ・オリヴェロス、ラモンテ・ヤング、テリー・ライリー、スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラス、メレディス・モンク、ギャビン・ブライヤーズ、リシー・ホーティン。すごい!ジャクリーヌは、フェラーリの奥さんのブリュンヒルドと一緒に来日する予定。というのも、12月17日には東京で、ブリュンヒルドの新作をピアニストの井上郷子さんが演奏する予定だから。
セヴラックのうた
コジマ録音(ALM Records)からの『セヴラックのうた』発売最終決定(予定)です。Enfin, ça y est...
■セヴラック 歌曲とフランスの古いシャンソン/奈良ゆみ(ソプラノ)椎名亮輔(ピアノ) ALCD-7158
最終的には第4編集まで行きました。解説も渾身の作。全体に、手前味噌ではありませんが、かなり「よい出来」になっていると思います。みなさん、買ってくださいね。(そうそう、表紙もいいですよ。ぼくが、この間サン=フェリックスのセヴラックの家に行った時に撮ってきた写真を使っています。)
北インド古典音楽その3
昨日は最終回。一つの曲の演奏がどのように成り立っているかの解説。実際の映像を見ながら、中川さんが要所要所でストップして、その部分がどのような箇所なのかを解説してくれた。一つは何年か前の東京の夏音楽祭での「ドゥルパド」の演奏で、確かこれはぼくは録音を持っていた気がしたが、当時最初に聴いた時は確かに(男声がメインでもあり)地味でつまらないものに思えたものだ。中川さんの解説によって改めて聴くとやはり面白さが倍増である。初日からぼくの前に座っている人が寺内大輔さんだった。そして、イタリア現代音楽専門の高村さんとも知り合う。村上君は7時開始だと思って来たということで、終わり頃に到着。その後、二人で三宮かいわいで飲む。
2011年6月19日日曜日
北インド古典音楽その2
二日目はリズム(ターラ)について。手拍子を自分で打って確かめる。サイクルが最後に合った時の快感!家根谷さん、田村さんと知り合う(於、初日の迷い迷いの帰り道)。中川さんの翻訳した『インド音楽序説』(東方出版)を買った。すでに絶版だと言う。
2011年6月18日土曜日
北インド古典音楽
同女で音楽マネージメント論を担当頂いている下田展久さんの神戸 CAP HOUSE での企画。昨晩行ってきました。場所は神戸港を望む CAP CLUB Q2 という会場。ポートライナーのポートターミナル駅からなかなか複雑な経路を通って辿り着く、不思議な場所。
昨日はモード(ラーガ)の話。本などでの知識ではよくわからない「節回し」とかは、中川博志(HIROS)さんの実演ですっきりと納得。やはり音楽は耳で理解しないとだめだということですな。
2011年6月17日金曜日
Pessoa et Mompou, et vice versa.
Lire Pessoa en écoutant Mompou, ou écouter Mompou en lisant Pessoa, le moment de bonheur sans égal (le moment ibérique, mmm... ). J'écoutais l'Altitud, lorsque mes yeux tombèrent sur le mot "altitude" dans le texte du 8 septembre 1933... Quelle correspondance ! (je ne dis pas : coïncidence, car... )
2011年6月16日木曜日
2011年6月14日火曜日
2011年6月13日月曜日
サド・フーリエ・ロヨラ承前
バルト『サド・フーリエ・ロヨラ』読了。「生涯」が一番面白かった。文学理論的部分は、訳がもう古いんだね。「インターテキスト性」とか。またこれも同様だが、当時では仕方が無かったのかもしれないが、強引なこじつけ訳注なども多い。ラカン『エクリ』の翻訳を思い出した。「アベセ」の訳注でめちゃくちゃな解説が付いていた(これは東大の山田氏の御教示による)。もう一度新たなバルト全集を出すべきだろう、フランスでもあるんだから。(ふと思ったが、日本でも、もうあるのかな?)
2011年6月10日金曜日
トマトの実2
トマトの実がこんなに大きくなってきました。
そして、けっこう他の枝にも多くの実がついています。しかし、余り手入れもしていないので、このままほっといていいのだろうか。ちょっと心配。
また、エンジェルズイヤリングもどんどん大きくなっています。突然、地面から一本の枝が生えてきたかと思うと、それがどんどん伸びて、花をたくさんつけました。挿し木をした小さな枝もちゃんと根付いて、花まで咲かせています。強いですね。
2011年6月9日木曜日
ベルナルド・ソアレス
ベルナルド・ソアレスの言うことはいちいちもっともである。世の中にこれだけ多種多様の数え切れない人間がいる中でどれだけが自覚しているだろうか?ハイデッガーも違うことは言っていない。そしてそんな中での「わたし」は?そのうえで何かをするとは?それが自己満足でいいのか?他人は関係ない。評判?そんなものに捕われるのは自分を失うことだ。しかし、ソアレスにはないものが一つ。それは大切な家族である。その意味で「闘う家長」には共感する。しかしこれは西欧的には封建的で徹底していないんだろうな。
2011年6月8日水曜日
2011年6月7日火曜日
2011年6月6日月曜日
宇治
宇治中学校に教育実習に行っている学生のための実習訪問というのをしに行った。そのついで、と言ってはなんだが、せっかくなので大倉侍郎さんに連絡をとって、久しぶりにお会いした。何と宇治中学は彼の母校だということ。
まずはその母校前で待ち合わせて、お天気もよいので、宇治川まで歩く。そこの「鮎宗」というご飯やで昼食(うなぎとビール)。宇治川に突き出して座敷があって、とても眺めが良い。
まずはその母校前で待ち合わせて、お天気もよいので、宇治川まで歩く。そこの「鮎宗」というご飯やで昼食(うなぎとビール)。宇治川に突き出して座敷があって、とても眺めが良い。
しかし、ここ一週間ほど宇治川の水位が高く、中の島は立ち入り禁止になっていた。水かさの増した宇治川の様子はこちら。
琵琶湖の水量が多いために、月ヶ瀬ダムから放水をたくさんしているとのこと。
その後は別れて、せっかくなのでぼくだけ(大倉さんは見飽きているので)平等院へ。
何年ぶりだろうか。ものすごく整備されていて、最新鋭博物館まで建っていた。その中で木彫の貴重な像が近くに見られたのがよかった。境内にはいくつかのお堂があるが、そのうちの一つに、頼政の墓があった。
解説板がその前に立っていた。これである。
なるほど、なるほど。ぼくなどは頼政と言えば「鵺退治」しか覚えていなかった。(そう言えば、その退治された鵺の死体が流れ着いたのが芦屋で、確か芦屋川沿いの公園に「ぬえ塚」というのがあったはず。)
その後、鳳凰堂の中にも入ったが、案内付き、10分間だけ、300円というもの。平等院に入るだけでも、600円取られているのだが。うむむ……。
平等院見学後また、大倉さんと連絡を取り、正門前の喫茶(茶舗)「赤門茶屋」で一休み。彼はここの入江さんとも知り合いで(何でも家が裏にあるらしい)、いろいろ話を聞いた。その中で「10年に一度の最高級茶」というのを試飲させてもらい、その「花のような香り」に魅せられる。さっそく買ってしまいました。絶対に市場には回らないそう。名前も無いのだが、入江さんが「花薫り」と付けていました。
その後は、同じ商店街で、茶団子を購入。これも、美味い店とそうでない店があるという。もちろん大倉さんおすすめの「美味い店」「能登掾、稲房安兼」のを購入。
2011年6月4日土曜日
カンディンスキー
カンディンスキー『印象III』のもととなった演奏会のことだが、初めての無調の作品の演奏会だと思い込んでいたのだった。そして、それはシェーンベルク《弦楽四重奏曲第二番》である。ということは、弦楽器奏者と歌手がいただけであって、ピアノはない。しかし、カンディンスキーの画面の大部分を占めるのはピアノである。ん……?なんか変ですよね。ちなみにこんな絵です。
残念ながら
残念ながら、ぼくにとっては、谷川俊太郎は「ポエジー」のない詩人である。彼とか大江健三郎とか、「正しい」知識人たち、全く彼らの言うこと、やることはただしいのだが、「ポエジー」は感じられない。散文的である。ここには武満徹なども入るかなあ。
カンディンスキーと青騎士
兵庫県立美術館でやっている「カンディンスキーと青騎士」展を見に行った。やはり、メインは『コンサートの印象』いやいや『印象III(コンサート)』である。近くによって見ると、右側の大きな黄色の部分が最後に描かれていることがわかる。解説によると、この部分はシェーンベルクの無調作品の印象だそうだ。ふーむ。しかし、1911年1月2日のコンサートというと何だろう?ピアノがあったのか?また、その後、青騎士の展覧会や属していた人たちの写真が何枚かあるうちに、シェーンベルクの『後ろからの肖像』というのがあったが、これってフェラーリの《Und so weiter》のジャケットのもとかな、と思った。そして、トマス・デ・ハルトマン。彼がいたんだよなあ。グルジェフとカンディンスキーは関係がなかったのだろうか?いや、確かあったような。いろいろ考えられる……。
Christophe Rousset
クリストフ・ルーセのクラヴサンのコンサートが茨木であったのに行ってきた。これもまた震災のチャリティ・コンサートである。この間の芦屋でのチャリティ・コンサートにもましてものすごい人出で、入るのに大層な列を作らなければならなかった。中では舞台にまで椅子が持ち出されていた。そして、芦屋でのと同様、大声でしゃべくるおばさんたちの圧倒的なパワー。ぼくがようやく空いている席を見つけて、そこにいたおばさんに「ここ、空いていますか?」といちおう訊いてから座ると、そのおばさんから「いい席が空いていてよかったわね、あんた」と言われました。一瞬どう応対したらよいかとまどいましたよ。これがいわゆる「大阪のおばちゃん」なのですね。その後も、演奏中に携帯を鳴らすおばちゃんや、ぼくのすぐ後ろでは、演奏ももう終わりになろうという頃、おばちゃんというよりおばあさんなのでしょうが、「ああ、腰が痛い、ちょっとすみません足を伸ばさせて」と死にそうな声がしたりもしました。しかし、そういった色々な「事件」にもかかわらず、演奏は力のこもった素晴らしいものでした。クラヴサンでの「熱演」というのは初めて。
2011年6月3日金曜日
Mompou, Ballet
モンポウの《バレー》、《プレリュード第11、第12》の楽譜を手に入れた。《バレー》の方は前書きが全くカタルーニャ語しかない。なんとか解読すると、この楽譜の校訂はピアニストのジョルディ・マソ(CDを録音した人だ)の手になるものらしい。ますます彼に会わざるを得なくなった。そしてなんとこの楽譜はFundació Frederec Mompouの出版である。そんなものがあったのか!
2011年6月1日水曜日
サド・フーリエ・ロヨラ
『サド、フーリエ、ロヨラ』の日本語訳を読んでいるが、誤訳というか、訳注に訳者の思い違いが現れている。訳者は篠田浩一郎。98ページ。ちゃんと翻訳は「転移」となっているが、これが精神分析の「転移」ではない、「移転」がどうたらというわけのわからない訳注がついている。その後も、訳注の中で誤解があった。どうもこの訳も隔靴掻痒なのは、それらから来ている?
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