2012年1月30日月曜日
2012年1月29日日曜日
2012年1月28日土曜日
入試小休止中……
おとといは学科だけだったので音楽科目はなかったが、昨日から明日まで三日間は山盛りである。昨日はコールユーブンゲンと新曲視唱、今日はピアノを何十人と聴いた(聴かされた)……。これからは和声の監督。一時間ぼおっとしている(失礼)、いやいやしっかりと見張っているのである(笑)。
2012年1月26日木曜日
金魚が……
金魚がどうも具合が悪そう。すでに先日一匹はお亡くなりになって、裏の竹やぶにみんなで「埋葬」したのであったが、またもやもう一匹が動きが止まり、横になり、かろうじて息はしているようだが、どうも調べてみると病気のようで、そう言えば身体の周りに白いもやもやがあるのであった。うーむ……、やはり夜店の金魚すくいの金魚は長生きできないのか……?
2012年1月24日火曜日
Mont Rokkô-san en neige.
Mont Rokkô en neige, derrière chez moi à Ashiya. Ce matin il fait très froid... 家の裏から見える今朝の六甲山。雪が積もっているのがわかります。寒い寒い……。
2012年1月22日日曜日
ガムラン
Cap House Q2 で「早春ウヨンウヨンの会 」。ガムランは久しぶりに聴いたが、とても懐かしい。大学院生の時に芸大のガムランクラブに潜り込んでいたのでした。すでに小泉文夫氏は亡くなっていたが、その熱い雰囲気はあった気がします。やっぱりいいですね、特にこのQ2は昔の神戸港税関の跡地だか何だかで、すぐ窓の向こうには海が広がっていて、船が行き交っている。まるで海の上に浮いているような立地です。ジャワのダンスは初めて見たのだけれども、これもまた優雅でよかった。音楽・ダンス・海・船・山とよいところばかり満喫でした。出演はCap House本拠の「ふいご日和楽団」と客演がHana&Joss、そして大石麻未さんでした。ブラヴォー!
2012年1月21日土曜日
京都コンサートホール
京都コンサートホールで打ち合わせ。高橋アキさんと。今秋、10月6日(土)の高橋アキコンサート。ジョン・ケージ生誕100年記念ということで、盛りだくさんのプログラムの中に、かく申すわたくしめも参加させていただく、6台ピアノのための(!)ケージ《ザ・ビートルズ》があるのでございます。ピアニストは、高橋アキ・河合拓始・藤枝守・柿沼敏江・細川周平・椎名亮輔(敬称略)です。すごいでしょ!詳細はまた追ってお知らせいたします。
2012年1月18日水曜日
Symphonie déchirée
リュック・フェラーリの《引き裂かれた交響曲》(1994〜98)のスコアがサラベールから送られて来た(CDの原盤はちょっと前に)。ブリュンヒルドから、今度この曲のCDを出すので、解説を書いて欲しいと頼まれたのが発端である。編集はカトリーヌ・ペイヤンという人がやっているようだが、これがまたダニエル・シャルルの弟子らしい。スコアを見ながらCDを聴くと、さまざまなことがよくわかるし、考えさせられることも多い。その上、最近にはジャクリーヌ・コーの映画『引き裂かれた交響曲の物語』を(何回も!)見たばかりである。このアンテルフェランスはすさまじい。今度二月にパリに行くので、いろいろとできそうである。ブリュンヒルドに手伝ってもらわねば。
このことが一つと、あと懸案であった、ピエール・マリエタン主催「音のエコロジー国際学会」にはいちおうレジュメを出したが、ピエールは学会にぴったりだと言ってくれた。うーむ、これで今年の夏はフランスとスイスである。
このことが一つと、あと懸案であった、ピエール・マリエタン主催「音のエコロジー国際学会」にはいちおうレジュメを出したが、ピエールは学会にぴったりだと言ってくれた。うーむ、これで今年の夏はフランスとスイスである。
2012年1月17日火曜日
打ち上げ
ゆうべは、ようやっと「ジャクリーヌ・コー新作映画上映実行委員会の打ち上げを実行する委員会」のメンバー(下田さん、石上君、小島さん、村上君、ぼく)が集まることができて、打ち上げを実行することができた(笑)。安く、多く、広く、ゆっくりできるところということで、梅田大阪駅第二ビル地下二階で。下田さんのバンド時代の話で大盛り上がり。西城秀樹の話とか、河合奈保子にギターを教えた話とか。すごい!
2012年1月16日月曜日
2012年1月15日日曜日
子ども祝福
子ども祝福礼拝式。本当は秋にあるはずなのだが、牧師の坂本先生が身体を壊していらしたので、今日にまで延期になった。やはり、小さい子どもたちからは何か知らないがエネルギーみたいなものを貰うような気がする。うちの娘たちもしっかり参加させていただきました。その後は、三宮の洋食「門」で。定番トンカツ定食はやはり美味。子どもたちは「スパゲッチ」でした。
2012年1月13日金曜日
金魚
一昨日は娘たちが西宮の十日恵比寿に行って来て、特にあゆみ(4歳)が金魚すくいの特技を発揮したらしい。7匹もすくったが、権利は一人2匹なのだそうで、これがその戦果。
そして、昨夜は東京の実家からいらない本といってピカソの画集が送られて来たが、さっそく画家志望のいづみがそれを写していると、どこからともなくよい香りが。きょろきょろしていると、何と!またまた夜来香が咲き出しているのでした。
2012年1月12日木曜日
増刷
そうそう拙著『デオダ・ド・セヴラック』の売れ行きがよいらしく、増刷決定です。皆様のおかげでございます。今まで出した本でこれほど早くに増刷されるのは、初めてです。さて、このおりに訂正箇所をいくつか正しておく必要。
さまざまな仕事
『レコ芸』2月号の記事を書き(海外版批評もすることになりそう)、マリエタンの国際学会の発表要旨を準備し、高橋アキさんから送られて来た10月京都の演奏会のためのケージの曲を見、ブリュンヒルドその他から送られて来た《引き裂かれた交響曲》CDライナーノートのための資料を精査。おお、卒論も見て、発表会の準備をしなければならない。おやおや、知らないうちに仕事がたまっているのであった……。他に忘れていることはないかな?
2012年1月10日火曜日
音楽の話をしよう
寺内大輔『音楽の話をしよう』(ふくろう出版)を読んだ。「10代のための音楽講座」と副題があるが、これを中高の教科書に使ったらすごくいいだろうと思った。非常にアクチュアルな音楽の問題がほぼもれなく扱われている。ただ、やはり一番難しいのは「音」と「音楽」の差異だろう。音だけでは音楽にはならない。もしも両者が同じであれば、ちがう言葉の存在する意味がない。ある音を「音楽」として聴いたらそれが音楽だ、というような定義もあるよう(それが示唆されているよう)だが、これは「音楽」は音楽だという同語反復になってしまう。(リュック・フェラーリの好きなトートロジーですな。)さて、どう思いますか?
2012年1月9日月曜日
2012年1月8日日曜日
2012年1月7日土曜日
林光追悼
作曲家の林光氏が亡くなった。彼は吉田秀和賞の審査員でもあったので、授賞式などでお会いできるかとも思っていたが、それも叶わずとても残念である。受賞のスピーチでは、吉田秀和先生との関係について語ったけれども、林光氏との関係にも触れなければならないかと思って、記憶を探っていたのだが、高校の頃に同じクラブ(ブラバン)の古川聖先輩があるとき、林光の《フルート・ソナタ》の楽譜をもってきて、「これはフォーレに倣った曲なんだそうだ、君わかるかい?」と訊いてきたのを思い出した。当時からぼくはフランス近代音楽の「専門家」(?)とまわりに思われていたので、そういうことになったんだと思う。その他にも、中古楽譜で林光の《ピアノ・ソナタ》など見つけてきて、弾いていた。やはり、ちょっとフランス風の気持ちのよい曲であったと思う。ちなみに、古川先輩とはその他にも、ピアノ連弾用のショスタコヴィッチ《交響曲第一番》を弾いたり、バルトーク《二台のピアノと打楽器のためのソナタ》を弾いたりして遊んでいました。
2012年1月5日木曜日
2012年1月4日水曜日
好きか嫌いか
アラン・フルニエ『グラン・モーヌ』を読んでいて、「旅芸人」の語注にジプシーだの、ロマだのの話があって、その参考文献に今橋映子女史の著書があがっていて、何となく嫌な思い。彼女の専門はパリ関係の日本文学史なのだが、フランス系だし、家が小平ということで学生の時は親近感をもって接しようとしたのだが、変なバリアがあった。ミザントロープであることは非難するべきでもないので(ぼく自身そうだ)、ほおっておいたが、その研究態度がどうも不信感を呼んだ。彼女は別にフランスとか、パリとかは好きではないのだ(留学などしていないはず)。それは単なる「学問対象」に過ぎない。いわば「飯のタネ」である。これだって百歩譲って、仕事そのものを好きでなければいけないという法はない、とも言える。しかし……。不信感は残るよねえ。何で好きでもないものを研究しようとかするわけ?やっぱり、金になるとか、名誉になるとか?いやはや……。同じ印象を受けたのが、東大仏文の松村剛と……、(小さい声で)MN女史である。
水晶(再掲)
シュティフター『水晶』(手塚富雄・藤村宏訳、岩波文庫)読了。普通の人々がそのそれぞれの環境の中で普通の生活を営んでいる、それが尊い。この態度はジャン・ジオノにも共通する。そして我らがデオダ・ド・セヴラックにも。これを小市民的であるとか、ビーダーマイヤーだと言って非難するのもあるだろう。しかし、ますます実感するのだ、普通が一番だと。というよりも普通というのがいかに難しいものであるかと。何もないこと。ほとんど何もないこと。おお、リュック・フェラーリ。彼もまた同じことを考えていたのではないだろうか。シュティフターを晩年のシューマンが非常に好んでいたのもよくわかる。シュティフターはまた画家でもあった。下はその作品。
ウィーン郊外の家々Wiener Vorstadthäuser
2012年1月3日火曜日
水晶
シュティフター『水晶』(手塚富雄・藤村宏訳、岩波文庫)読了。普通の人々がそのそれぞれの環境の中で普通の生活を営んでいる、それが尊い。この態度はジャン・ジオノにも共通する。そして我らがデオダ・ド・セヴラックにも。これを小市民的であるとか、ビーダーマイヤーだと言って非難するのもあるだろう。しかし、ますます実感するのだ、普通が一番だと。というよりも普通というのがいかに難しいものであるかと。何もないこと。ほとんど何もないこと。おお、リュック・フェラーリ。彼もまた同じことを考えていたのではないだろうか。シュティフターを晩年のシューマンが非常に好んでいたのもよくわかる。シュティフターはまた画家でもあった。下はその作品。
ウィーン郊外の家々Wiener Vorstadthäuser
ウィーン郊外の家々Wiener Vorstadthäuser
2012年1月1日日曜日
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