2010年12月9日木曜日

グリム兄弟

橋本孝『グリム兄弟とその時代』読了。「その時代」の方にもっと詳しい分析などがあると面白かっただろう。そしてなんとまあ誤字脱字の多いこと。これは、著者の責任か(日本語もおかしいところがある)、編集者の責任か、両方か。出版社の名前が「パロル舎」だけあって、話し言葉がメインですか(苦笑)。

2010年12月8日水曜日

中沢新一氏

中沢新一氏からお礼メール。彼には『狂気の西洋音楽史』と同時に『思想』の抜き刷りも送っていた。「あとがき」のぼくの彼への「謝辞」に恐縮しておられた。大変にこの著作を評価していただいて、こちらこそ恐縮である。

2010年12月7日火曜日

ギヨー先生から

Guillot 先生から、彼のセヴラックに関する著書が出版されたという手紙(アルマッタン社の広告のコピー)が来た。それには付箋で「En attendant votre livre. Bien à vous. G」とあった。

精神医学から臨床哲学へ

木村敏『精神医学から臨床哲学へ』読了。奥さんが同女の音楽出身だということを初めて知った。彼の感覚と非常に近いものを自分も持っていることを改めて感じた。詳しくは後ほど。

eRikm

寒梅館でエリックMを聴いた=見た。彼の短編映画集である。単なるポップス系のDJのようなもの(ターンテーブル演奏家?)かと思っていたら、大間違い。第一級の映像作家であり、musique électro-acoustique 作曲家である。まず、何の音楽的専門教育も受けていないということに驚き、そのコンセプトの興味深さ(「記憶」を重層化させる)にもう一度驚く。

2010年12月6日月曜日

周平さん

細川周平さんから手紙(!)。『狂気の西洋音楽史』と『思想』抜き刷りを送った礼状である。いろいろと書いてくれて、ありがたいことだ。しかし、極度の筆無精のぼく(妻にいつもあきれられている ― 彼女はものすごく筆まめなのである)にとっては、「手紙を書くということ」に感心するし、そのように「手紙を受け取ったこと」に大感激である。

〈悪しき〉文化

足立信彦『〈悪しき〉文化について』読了。異文化理解ということについて、非常に明快に問題点を整理してくれている。非常に勉強になった。「文化相対主義」の危険、「普遍主義」の傲慢。その間でどのような解決策を見出したらよいのか。ヘルダーがそのような思想の持ち主であったとは知らなかった。
また二つばかり、それに関連して。
まず第一は、ぼくが大学生の頃に或る演奏会でピアノを弾いた時、その曲は確かフォーレの作品であったと思うが、それを Estrellita Wasserman が聴きに来てくれていた。演奏会後に彼女(フランス人)にぼく(日本人)の演奏(フランスの作品の)がどうだったのかと尋ねた。当時のぼくはナイーブだったので、「フランスの作品を日本風に演奏している」などというような感想を期待したのだったが、彼女の答えは「素晴らしかった」というだけであった。その時に感じた失望感を未だに覚えている。またその時に考えたのは、彼女は音楽の専門家ではないので、違いがよくわからないのではないか、ということだった。つまり、「音楽」という「言語」について考えたわけだ。
もう一つは、パリの東洋語学校 Langues'O (INALCO)で教えていた頃、当時の日本語セクションの長であった François Macé と話していて、ぼくが木村敏のこと(「もの」と「こと」の話など)を誉めていたら、彼が言った言葉。「しかし、日本語にはこれこれの表現があり、西洋語にはないから、日本人はかくかくしかじかである、という言い方は多少問題がある。〜人というものを、それほど簡単に前提にする議論は科学的ではない。」(表現は違ったかもしれない。)なるほどと思ったのだった(それ以外で彼に感心することがそれほどなかっただけに、これは印象に残っている)。