足立信彦『〈悪しき〉文化について』読了。異文化理解ということについて、非常に明快に問題点を整理してくれている。非常に勉強になった。「文化相対主義」の危険、「普遍主義」の傲慢。その間でどのような解決策を見出したらよいのか。ヘルダーがそのような思想の持ち主であったとは知らなかった。
また二つばかり、それに関連して。
まず第一は、ぼくが大学生の頃に或る演奏会でピアノを弾いた時、その曲は確かフォーレの作品であったと思うが、それを Estrellita Wasserman が聴きに来てくれていた。演奏会後に彼女(フランス人)にぼく(日本人)の演奏(フランスの作品の)がどうだったのかと尋ねた。当時のぼくはナイーブだったので、「フランスの作品を日本風に演奏している」などというような感想を期待したのだったが、彼女の答えは「素晴らしかった」というだけであった。その時に感じた失望感を未だに覚えている。またその時に考えたのは、彼女は音楽の専門家ではないので、違いがよくわからないのではないか、ということだった。つまり、「音楽」という「言語」について考えたわけだ。
もう一つは、パリの東洋語学校 Langues'O (INALCO)で教えていた頃、当時の日本語セクションの長であった François Macé と話していて、ぼくが木村敏のこと(「もの」と「こと」の話など)を誉めていたら、彼が言った言葉。「しかし、日本語にはこれこれの表現があり、西洋語にはないから、日本人はかくかくしかじかである、という言い方は多少問題がある。〜人というものを、それほど簡単に前提にする議論は科学的ではない。」(表現は違ったかもしれない。)なるほどと思ったのだった(それ以外で彼に感心することがそれほどなかっただけに、これは印象に残っている)。