2010年12月28日火曜日
フランス人の
フランス人のシューマン論。ブークールシュリエフのはスイユのシリーズ物の、いわば vulgarisation だから論外(つまり、きちんと書けている)としても、マルセル・ブリオンもミシェル・シュネデールも、学術書というよりは単なる読み物だね。何の意味があるのかと思う。フランスの知識人には、これは多分フランス高等教育の悪い面が出ていると思うが(何でも dissertation の)、何についても一応それなりに読めるものを書けてしまうという人が余りに多い。ジャック・アタリなんかその典型だ。何となく面白く読まされてしまうが、何の深みもなく、表面的で、読んだ後何も残らない。それとまた、関係あるのかないのかわからないが、フォーレがフランスのシューマンだ、みたいな先入観があるということもある。