2011年10月15日土曜日
2011年10月13日木曜日
2011年10月11日火曜日
さかしま
ユイスマンス『さかしま』(澁澤龍彦訳、河出文庫)を読み返す。彼とセヴラックはパリのルドンの家で知り合ったのだった。けっこう彼らの共通点があって、特にラテン文学とカトリックの教養は興味深い。ユイスマンスがこんなに多くラコルデールについて言及していることは覚えていなかった。ラコルデールは、セヴラック(のみならず彼の父や叔父も)が卒業したソレーズ士官学校の創設者(というより中興者)の一人である。
2011年10月10日月曜日
ハーブ園
布引の滝の後には、ハーブ園へ。けっこうな人出であった。ドイツフェアというのもあって、ドイツビールが飲めると期待したが、あっさりはずれ。すべてドイツ製品は売り切れ。仕方なくアサヒビールを飲む。それでもやはり絶景のまえで飲むビールはうまい。ハーブエキスなど求め、ぶらぶら園内を降りて行く。いつも気になるのがこの花。
Guerlain L'Heure blue に使われているらしいが、要確認。その他、ラヴェンダーはまったく枯れていたけれど、セージの類いがきれいに咲いていました。
Guerlain L'Heure blue に使われているらしいが、要確認。その他、ラヴェンダーはまったく枯れていたけれど、セージの類いがきれいに咲いていました。
そしてもちろんコスモス。
布引の滝
布引の滝に行って来た。新神戸駅の一階から駅舎の下をくぐって、山の方へ登って行くのである。まずこんな道標が。
それを越えて橋を渡るとすぐにどんどんと上り坂になって行く。すぐ見えて来るのが雌滝という。
それをまた過ぎてどんどん登ると、階段やら坂道が急になって続いて行くが、それもこの流れの削った渓谷の中なので薄暗い。そしてしばらく行くと雄滝に到着。
これは下の雌滝に比べて規模も何倍も大きく、非常に高い所からいく段にもなって水が落ちて来る。滝壺を眺める場所の左手奥には不動を祀った場所があり、その手前に「涙石」があり「行平」の文字も読める。これは在原行平の歌「こきちらすたきのしら玉拾ひおきて 世のうきときのなみたにそかる」にちなむらしい。(写真は縦になっています。)
2011年10月9日日曜日
Acousmatic Concert
「関西の電子音楽の現在形」(同志社大学寒梅館)に行って来た。同志社女子大音楽学科の先生たちの作品を集めたもの。
檜垣智也『船上のプレリュード』『インコーポレアル』はフェラーリの「逸話的音楽」の正嫡という感じか。考えさせるのは、日本語の言葉の「近さ」。これは母国語ということから来るか、あるいはもっと音響学的なこと(デジタル/アナログ)か、あるいは……。
石上和也『淤母陀流神への奉納曲』はそのフォルムの不思議さが聴かせる。最後のミニマル的部分(タカタカタタカタカカ)は印象的。
清水慶彦『白傘蓋陀羅尼によるインヴェンション』はチェロと録音された音響との共演。非常に巧みに書かれている。この曲も最後のチェロのソロが印象的。
休憩を挟んで、RAKASU PROJECT『1無題/2みかか/3見えない音』。2の電話インターネット音は何だか懐かしい。最後の音響を「話し中」のツーツー音にしてフェイドアウトして欲しかった。他2曲は光センサーを使ったライヴエレクトロニクス。これは非常に面白い。光の相(時間的要素)の上に色も音響の変化に関係があるらしい。スペクタクル性を開発すると非常に面白そう。
葛西聖憲『1Etude des sons homogènes 1999/2Etude 2006』はフルートとヴァイオリンの音を基にした作品。良くも悪くも非常に巧みなメチエのある作曲家の作品だ。同じことは次の成田和子『ミュジコラマ2011』にも言える。要は素材が楽器音か、録音された具体音かの違いだけである。ただ成田作品の最後(『祈り』)に多少の冒険が感じられる。
檜垣智也『船上のプレリュード』『インコーポレアル』はフェラーリの「逸話的音楽」の正嫡という感じか。考えさせるのは、日本語の言葉の「近さ」。これは母国語ということから来るか、あるいはもっと音響学的なこと(デジタル/アナログ)か、あるいは……。
石上和也『淤母陀流神への奉納曲』はそのフォルムの不思議さが聴かせる。最後のミニマル的部分(タカタカタタカタカカ)は印象的。
清水慶彦『白傘蓋陀羅尼によるインヴェンション』はチェロと録音された音響との共演。非常に巧みに書かれている。この曲も最後のチェロのソロが印象的。
休憩を挟んで、RAKASU PROJECT『1無題/2みかか/3見えない音』。2の電話インターネット音は何だか懐かしい。最後の音響を「話し中」のツーツー音にしてフェイドアウトして欲しかった。他2曲は光センサーを使ったライヴエレクトロニクス。これは非常に面白い。光の相(時間的要素)の上に色も音響の変化に関係があるらしい。スペクタクル性を開発すると非常に面白そう。
葛西聖憲『1Etude des sons homogènes 1999/2Etude 2006』はフルートとヴァイオリンの音を基にした作品。良くも悪くも非常に巧みなメチエのある作曲家の作品だ。同じことは次の成田和子『ミュジコラマ2011』にも言える。要は素材が楽器音か、録音された具体音かの違いだけである。ただ成田作品の最後(『祈り』)に多少の冒険が感じられる。
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