芦屋川駅のそばの橋から開森橋方面をのぞむ。
川の中はぎっしりと草で覆われている。左端の方に川が流れているが、ここからは見えない。
東の方に下りて行くと、バス通りと阪急線が交差する辺りに墓地がある。前から気になっていたが、入り口のところを見ると「猿丸家の墓」、「摂津名所図絵うんぬん」の石碑に気が付いた。
これはもしかしたら百人一首の猿丸大夫の墓なのか?ということで、中を覗いてみると、何と「猿丸家の墓」という名の墓石だらけである。
東の方に下りて行くと、バス通りと阪急線が交差する辺りに墓地がある。前から気になっていたが、入り口のところを見ると「猿丸家の墓」、「摂津名所図絵うんぬん」の石碑に気が付いた。
これはもしかしたら百人一首の猿丸大夫の墓なのか?ということで、中を覗いてみると、何と「猿丸家の墓」という名の墓石だらけである。
あとで調べてみたところによると、猿丸家というのは江戸時代以来の芦屋近辺の名望家であるらしい(第4代芦屋市長など)。それが、自分の先祖として百人一首の猿丸大夫も同時に祀っているようだ。中に猿丸大夫の墓とされるものも存在すると。しかし、一般人は中には入れないので、こうやって外から覗いた限りでそれは確認できなかった。