2011年6月6日月曜日

宇治

宇治中学校に教育実習に行っている学生のための実習訪問というのをしに行った。そのついで、と言ってはなんだが、せっかくなので大倉侍郎さんに連絡をとって、久しぶりにお会いした。何と宇治中学は彼の母校だということ。
まずはその母校前で待ち合わせて、お天気もよいので、宇治川まで歩く。そこの「鮎宗」というご飯やで昼食(うなぎとビール)。宇治川に突き出して座敷があって、とても眺めが良い。
しかし、ここ一週間ほど宇治川の水位が高く、中の島は立ち入り禁止になっていた。水かさの増した宇治川の様子はこちら。
琵琶湖の水量が多いために、月ヶ瀬ダムから放水をたくさんしているとのこと。
その後は別れて、せっかくなのでぼくだけ(大倉さんは見飽きているので)平等院へ。
何年ぶりだろうか。ものすごく整備されていて、最新鋭博物館まで建っていた。その中で木彫の貴重な像が近くに見られたのがよかった。境内にはいくつかのお堂があるが、そのうちの一つに、頼政の墓があった。
解説板がその前に立っていた。これである。
なるほど、なるほど。ぼくなどは頼政と言えば「鵺退治」しか覚えていなかった。(そう言えば、その退治された鵺の死体が流れ着いたのが芦屋で、確か芦屋川沿いの公園に「ぬえ塚」というのがあったはず。)
その後、鳳凰堂の中にも入ったが、案内付き、10分間だけ、300円というもの。平等院に入るだけでも、600円取られているのだが。うむむ……。
平等院見学後また、大倉さんと連絡を取り、正門前の喫茶(茶舗)「赤門茶屋」で一休み。彼はここの入江さんとも知り合いで(何でも家が裏にあるらしい)、いろいろ話を聞いた。その中で「10年に一度の最高級茶」というのを試飲させてもらい、その「花のような香り」に魅せられる。さっそく買ってしまいました。絶対に市場には回らないそう。名前も無いのだが、入江さんが「花薫り」と付けていました。
その後は、同じ商店街で、茶団子を購入。これも、美味い店とそうでない店があるという。もちろん大倉さんおすすめの「美味い店」「能登掾、稲房安兼」のを購入。

2011年6月4日土曜日

カンディンスキー

カンディンスキー『印象III』のもととなった演奏会のことだが、初めての無調の作品の演奏会だと思い込んでいたのだった。そして、それはシェーンベルク《弦楽四重奏曲第二番》である。ということは、弦楽器奏者と歌手がいただけであって、ピアノはない。しかし、カンディンスキーの画面の大部分を占めるのはピアノである。ん……?なんか変ですよね。ちなみにこんな絵です。

残念ながら

残念ながら、ぼくにとっては、谷川俊太郎は「ポエジー」のない詩人である。彼とか大江健三郎とか、「正しい」知識人たち、全く彼らの言うこと、やることはただしいのだが、「ポエジー」は感じられない。散文的である。ここには武満徹なども入るかなあ。

カンディンスキーと青騎士

兵庫県立美術館でやっている「カンディンスキーと青騎士」展を見に行った。やはり、メインは『コンサートの印象』いやいや『印象III(コンサート)』である。近くによって見ると、右側の大きな黄色の部分が最後に描かれていることがわかる。解説によると、この部分はシェーンベルクの無調作品の印象だそうだ。ふーむ。しかし、1911年1月2日のコンサートというと何だろう?ピアノがあったのか?また、その後、青騎士の展覧会や属していた人たちの写真が何枚かあるうちに、シェーンベルクの『後ろからの肖像』というのがあったが、これってフェラーリの《Und so weiter》のジャケットのもとかな、と思った。そして、トマス・デ・ハルトマン。彼がいたんだよなあ。グルジェフとカンディンスキーは関係がなかったのだろうか?いや、確かあったような。いろいろ考えられる……。

Christophe Rousset

クリストフ・ルーセのクラヴサンのコンサートが茨木であったのに行ってきた。これもまた震災のチャリティ・コンサートである。この間の芦屋でのチャリティ・コンサートにもましてものすごい人出で、入るのに大層な列を作らなければならなかった。中では舞台にまで椅子が持ち出されていた。そして、芦屋でのと同様、大声でしゃべくるおばさんたちの圧倒的なパワー。ぼくがようやく空いている席を見つけて、そこにいたおばさんに「ここ、空いていますか?」といちおう訊いてから座ると、そのおばさんから「いい席が空いていてよかったわね、あんた」と言われました。一瞬どう応対したらよいかとまどいましたよ。これがいわゆる「大阪のおばちゃん」なのですね。その後も、演奏中に携帯を鳴らすおばちゃんや、ぼくのすぐ後ろでは、演奏ももう終わりになろうという頃、おばちゃんというよりおばあさんなのでしょうが、「ああ、腰が痛い、ちょっとすみません足を伸ばさせて」と死にそうな声がしたりもしました。しかし、そういった色々な「事件」にもかかわらず、演奏は力のこもった素晴らしいものでした。クラヴサンでの「熱演」というのは初めて。

2011年6月3日金曜日

Mompou, Ballet

モンポウの《バレー》、《プレリュード第11、第12》の楽譜を手に入れた。《バレー》の方は前書きが全くカタルーニャ語しかない。なんとか解読すると、この楽譜の校訂はピアニストのジョルディ・マソ(CDを録音した人だ)の手になるものらしい。ますます彼に会わざるを得なくなった。そしてなんとこの楽譜はFundació Frederec Mompouの出版である。そんなものがあったのか!

2011年6月1日水曜日

サド・フーリエ・ロヨラ

『サド、フーリエ、ロヨラ』の日本語訳を読んでいるが、誤訳というか、訳注に訳者の思い違いが現れている。訳者は篠田浩一郎。98ページ。ちゃんと翻訳は「転移」となっているが、これが精神分析の「転移」ではない、「移転」がどうたらというわけのわからない訳注がついている。その後も、訳注の中で誤解があった。どうもこの訳も隔靴掻痒なのは、それらから来ている?