市田良彦さんのランシエール論(『新<音楽の哲学>』白水社)を読んだ。ランシエール美学と哲学(特に彼のマルクス主義 — アルチュセール観)との関係がよくわかり大変有益だった。しかし、いわゆるシリアス現代音楽の言説としてブーレーズやシュトックハウゼンの言うことをそのまま信用してしまっているのは、ちょっと……。そしてまた、「大衆音楽」と美学はそもそも関係がないのではないか、という素朴な疑問も。たぶんアドルノもその「ジャズ分析」で、美学者としてではなく、社会学者として振る舞っているのでは(それが成功しているかどうかはともかく)………。あるいは広い意味での「隠喩」?